最初の挨拶
パンダとジョン

BBC制作、現代版シャーロック・ホームズのドラマ「SHERLOCK」ファンのブログです。
①正典/聖典(原作)と比較しながらドラマを観て、元ネタ探し
②ドラマでまだ出てこない原作の事件は、SHERLOCKだとどんな話になるのかな?と妄想する

…を一人で(主にトイレとかお風呂で)楽しんでいたのですが、
さまざまな方にご意見をいただけたら楽しいだろうなあ、と思って始めました。
ネタバレ満載ですのでお気をつけください!
★原作の文章を引用する際、主に新潮文庫版(延原謙・訳)を参考にさせていただいております。
★全ての記事は、推測やこじつけを基にしており、たまに妄想も入っております。ご了承の上ご利用ください。
★このサイト及び記事へのリンクは、どうぞご自由になさってください。
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記事索引「ブリキの文書箱

ジムとダイヤと青いガーネット

前記事の場面と同時に描かれるジムの侵入シーンでは、ロンドン塔に展示された「クラウン・ジュエル」の展示ケースを割るために、ダイヤモンドが使われます。シャーロックは「(ガラスは)結晶化した炭素にはかなわない」と言うのですが、ホームズも宝石を「炭素の結晶」と表現していました。

「(前略)こんな四十グレーンばかりの炭素の結晶が人殺しを二度、硫酸浴びせを一度、自殺を一度、窃盗にいたっては数しれずおこしているんだぜ。こんな美しい玩具が、人を牢獄や絞首台へ送る役目をつとめるとは、誰が想像しよう。」(後略・『青いガーネット』)


「科学の人」らしい物言いに、くすりとさせられます。
(でも、ガーネットは炭素じゃないですね。原作ではblue carbuncleと書かれているこの石。カーバンクルは丸く磨き上げられたガーネットを意味すると同時に、赤い宝石の総称でもあり、ドイルがどの石を意図して書いたのかはよくわからないそうなんです。Wikiの『青い紅玉』の項には、『ブルー・カーバンクル』の正体についてさまざまな説が挙げられる中に、『ブルー・ダイヤモンドのこと』という説の紹介があります。)

また、「ダイヤでガラスを割る」という行為からは、「青いガーネット」を拾ったピータースンの「ダイヤでがしょう?すばらしいもんだ。ガラスがパテのようににザックザクときれますぜ」という台詞も思い出されます。この時、新聞に広告が出て話題になっていたという、「モーカー伯爵夫人の青いガーネット紛失事件」を知らなかったピータースン。新聞を読まないような人々にとっても、既に「ダイヤがガラスよりも硬い」ということは常識だったんですね。

それもそのはず、ダイヤモンドは、なんと紀元前3世紀から珍重されていたとのこと。
ダイヤの一番古い記録はインドにあるらしいのですが、採掘量がとても少なかったことや、あまりにも硬くて研磨が困難だったことから、宝飾品ではなく魔除けとして用いられていたそうです。
宝飾品として注目されたのは、研磨方法が発見された1445年以降。
どうやって研磨するかというと、ダイヤでダイヤを磨くようです(なるほど…!)。
17世紀末、「ブリリアントカット」という技術が発明されます。ダイヤの表面にたくさんの面をつくり、光を反射させることで、きらきらと輝かせ、ダイヤならではの美しさを引き出すのがこのカットの特徴だそうです。
今でも、宝石といえばまずダイヤを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。ダイヤと人間の長い長い歴史から見れば、19世紀に生きたピータースンの知識が、21世紀の庶民の私とそう変わらないのもうなずけます。

それにしてもピータースン、拾った宝石で実際にガラスを切ってみたんでしょうか。う~ん、私ならできない!
彼にとってダイヤの「凄さ」は、美しさよりも硬さにあったのかなあ……

ひょっとしたら硬度を比べることで「ブルーカーバンクル」の正体に近づけるかもしれないと思い、こちらの表(修正モース硬度)を参照しました。ガーネット(柘榴石)は10、ガラスは5。これって、「パテのようにザックザク」切れるほどの違いなのかしら?結局よくわかりませんでした……。ダイヤモンドは15で、やはり圧倒的ですね。

ダイヤの歴史についてはこちらのサイト(ユーアクセスさん)で、簡潔にまとめられたものが読めます。
Wikipediaでは、「四つの署名」にも登場した「グレート・ムガール」など、有名なダイヤを図にして比較しています。ジムが侵入したロンドン塔に保管されているものも複数ありますので、ご興味のあるかたはリンク先をごらんください。
また、「グレート・ムガール」に関しては、"Sherlock"シーズン1の2話冒頭で、シャーロックと戦っていた男と関連があるのでは、という話題が当ブログコメント欄で出たことがあります。
憶測の域を出ませんが、もしご興味があればこちらもご一読ください。

(過去記事)Jalia Diamondと翡翠のヘアピン

ちなみにジムが身にまとっていた王冠などの「クラウン・ジュエル」ですが、どんなものがあるかwikiで確認できます(英語版のみ)。日本の「クラウン・ジュエル」としては、「三種の神器」が挙げられていますね。

(原作からの引用はすべて延原謙訳)

ぶらさがる人形

このお話のはじめの方で、シャーロックたちの部屋ににだらんとぶらさがっている大きな人形(マネキン?)、すごく気になっていました。

「等身大人形」自体の元ネタは、「空家の冒険」でモランの狙撃対策に使われたホームズの胸像(『グルノーブルのオスカー・ムニエ』作。フランスに潜伏してる時に知り合ったんでしょうか)や、「マザリンの宝石」で宝石泥棒を欺くために使われた全身像なのだと思います。

そこまではいいんですが、なんで上からぶらさがってるんでしょう。

「彼」についてだと思うのですが、バスルームから出てきたジョンが"Did you just talk to him for a really long time?"(『ずいぶん長い間話しかけちゃったのか?』)とシャーロックに聞きます。人形が、延々と続くシャーロックの話を聞かされてるうちに首を吊りたくなっちゃったのか、ということでしょうかね。シャーロックは"Oh, Henry Fishguard never committed suicide.(『ああ、ヘンリー・フィッシュガードなら絶対自殺じゃないよ』)と答えます。
シャーロックは、ヘンリー・フィッシュガード氏が首吊り自殺したかどうか、人形を使って検証したのでしょうか。

原作中で首吊り自殺に見せかけた殺人があったのは、「入院患者」。ホームズは首吊り死体の近くに残された葉巻などから、侵入者による他殺であることを見抜くのですが、ワトスンによると「その夜以来三人の殺人犯人たちは、ついに警察の手にはかからなかった。(延原謙訳)」そうです。
シャーロックも、この事件に関係した警察の無能ぶりを嘆いていますね。この後も、ヘンリー・フィッシュガード氏を殺した犯人は、結局見つからないのかもしれません。






逆転と対立

盗難未遂というか、ものすごい不法侵入というか、とにかくジムの引き起こした事件によって裁判に引き出されるシャーロックですが、原作では裁判を望んでいたのはホームズの方でした。

「(前略)そこから手をのばして、僕は彼の身辺にすっかり網をはった。そしていまはそれを締めるばかりになっているのだ。三日で――つまりこの月曜日には機が熟する。教授はその仲間のおもだった連中といっしょに、官憲の手につかまるだろう。それから今世紀未曾有の大刑事裁判が開始されて、今まで迷宮入りとされている事件が四十件以上も解決され、全被告が絞首台にのぼらされるだろう。(後略・『最後の事件』)」



原作と現代版では、干渉する側とされる側が逆なんですね。
原作では、ホームズからモリアティ教授に。
現代版では、ジムからシャーロックに。

そして、追う側と追われる側の逆転も起こります。
ホームズは、「網を締める」側から命を狙われて逃げる側に。
シャーロックは、追い詰められた状況で自らジムを呼び出します。

逆といえば、「最後の事件」の最終的な舞台は、スイスにあるライヘンバッハの滝。それまでに起こった(少なくとも、発表されている)事件の中ではホームズとワトスンが一番遠くに足を延ばしているのに対し、現代版では「始まりの場」であるセント・バーソロミュー病院に回帰しているのも面白いなと思います。

さて、この「逆転現象」から思い出される台詞があります。

You hope to place me in the dock.
I tell you that I will never stand in the dock.
You hope to beat me.
I tell you that you will never beat me.
If you are clever enough to bring destruction upon me,
rest assured that I shall do as much to you.’

「君は私を法廷に立たせるつもりでいるが、
私はけっして法廷には立たない。
君は私を打ちのめすつもりでいるが、
私はけっして打ちのめされない。
君にもし私を破滅させるだけの聡明さがあれば、
私にも君に同じものを報いるだけの聡明さはあるのですぞ」



「最後の事件」で、モリアティ教授がホームズに言い放つ台詞です。改行は私が勝手に施したのですが、まるで一編の詩のように思えませんか?

モリアティ教授は21歳で二項定理に関する論文を書き、ヨーロッパ中で有名になった天才数学者だといいます。
数学を人生のかなり早い時期に諦めた私としては、「二項対立」という多分数学とはあんまり関係ない言葉が頭をよぎりました。

相対する二人の人物。
相対する二つの思惑。
それを数学者らしい、美しい対称を形づくる言葉であらわした、モリアーティの台詞。

現代版がいちいち原作の「逆」をやろうとするのは、やはり美しい対称を作りたかったからでしょうか。


…ということをつらつら考えていたのですが、何せ数学に弱いもので、言い出す勇気がずっとありませんでした。「全然違うよ!」と教えてくださる方の数学講義、お待ちしております。理解はできないと思いますが、反省はいくらでも致します……!

シャーロックのジムに関する証言で、思いついたことをメモとして添えます。(数学の試験で、初めのほうの計算問題でわずかな点数を稼ごうとする生徒みたいに……)

マイクロフトの「ソッファ~」発言同様「元ネタ」かどうかはわからないのですが、シャーロックの"First mistake."という台詞からは、「美しき自転車乗り」でホームズの推理のあら探しをしようと頑張るウィリアムソン老人が言う「うそ第一号だ(Lie number one.)」という台詞が思い出されました。これは、延原先生の訳が印象的だからかもしれませんねえ。

また、"He's a spider.A spider at the centre of a web, a criminal web with a thousand threads and he knows precisely how each and every single one of them dances."
「彼はクモだ。巣のまん中に陣取って、千もの糸で犯罪の網を織る。そしてどの犯罪のどんな動きも把握している。(拙訳)」
という台詞は、「最後の事件」に出てきます。

「(前略)彼は犯罪者中のナポレオンだ。大ロンドンの未解決事件のほとんど全部と、悪業の半分の支配者だ。その上天才で学者で理論的思索家なのだ。第一級のすぐれた頭脳をもち、巣の中央にいるクモのようにじっとしているが、その網には放射状の線が無数にあって、その一本一本の振動が手に取るようにわかる。(後略)」


「ノーウッドの建築士」にも言及がありました。

(前略)「あの男が生きていたころは、毎朝の新聞が面白い暗示を無限に提供してくれた。ごくわずかな痕跡とか、ほんの微かな暗示にすぎなくても、僕にはその背後にひそむ凶悪な智能が、容易に見すかせたこともしばしばだった。ちょうど蜘蛛の巣の一端におこった静かなトレモロから、中央に頑張る醜悪な蜘蛛の存在に気づくようにね。(後略)」



(原作からの引用は全て延原謙訳)

【事件の重要なネタバレ】不名誉と友情

なかなか更新できない言い訳でもありますが、"The Reichenbach Fall"も、原作「最後の事件」も、向き合うのにエネルギーがいる作品ですね。「最後の事件」の冒頭でワトスンが「このペンをとるのは、私にとって心おもき業」と言う気持ちを、今更ながらほんの少し分かったような気すらします。

ジョンのブログでも、事件のことは詳しく書いていません。ただ、賑わっていたコメント欄を書き込みできないようにし、事件に触れたニュースの動画を貼った上で、たった一行

"He was my best friend and I'll always believe in him."
「彼は親友だった。僕は彼を信じる。ずっと、これからも。(拙訳)」


と書いています。

短編集「シャーロック・ホームズの冒険」、「シャーロック・ホームズの思い出」は、共にホームズがライヘンバッハの滝で消息を絶った後に発表されています。
「冒険」のはじめに収められた「ボヘミアの醜聞」は1891年7月にストランド誌に発表されていますが、ホームズが「死んだ」のは同年の5月4日。記録は残されていたにしろ、とても速い展開です。
「最後の事件」が発表される1893年12月まで、精力的な短編の発表は続きますが、作業したワトスンの心境を思うと、ホームズがすでに故人ということを全く匂わせない生き生きとした描写が逆に切なく感じられます(ドイル先生の事情についても皆さんいろいろご存知と思いますが、一旦おいといてください)。

作品の中でだけでも、ホームズとロンドンを走り回った日々を蘇らせたかったであろうワトスン。
しかし「最後の事件」だけは、親友の死に触れないわけにはいきません。
もともとワトスンには、彼にとっての深い傷であるこの事件を作品にするつもりはなかったようです。

私はこの種の物語のペンを以上でとめておき、その後私の生活に空虚を生じたまま、二年後の今日にいたってもなお満たされないでいるところの、あの事件には口を閉じているつもりだった。(『最後の事件』)



ワトスンが、己の傷口をこじ開けることになろうとも事件を発表しようと思い立った理由、それはモリアティの兄によってもたらされた、死んだ親友の「不名誉」でした。
先ほど引用した文章は、このように続いています。

けれども最近ジェームズ・モリアティ大佐の書いた死んだ弟の名誉を支持しようとする二、三の文書は、私の出馬を強いた。かくなるうえは私もペンをとって、あるがままの事実を公表せざるを得ないのである。事件の絶対的真相を知るものは私だけである。私としてはこの真相を秘しておいても、もはや何の役にもたたない時節の到来したことを満足に思う。


もうこれは、ただの記録の一篇ではありません。発表と言う名の復讐なのだというワトスンの気迫、そして血を流すような思いが伝わってきて、読むたびに胸を打たれます。最後の一文など、挑戦的ですらあります。
ジョンの記事も、表現は違っても骨子は同じです。亡友が背負わされた不名誉にたったひとりでも抵抗し続けるという、これは宣言です。見えない敵(それはジムやその関係者という具体的な加害者だけではなくて、マスコミや彼を貶める人々、マイクロフトを含め、シャーロックを追い詰める状況を作り出したすべての人間ではないでしょうか。仮にジョンが一瞬でもシャーロックを疑ったとしたら、自分自身さえ含まれているのかもしれません)への、静かな宣戦布告です。

友達、という概念にはいろいろな関係が含まれていて、ここからが親友でここからがただの知り合い、というような定義はできないものと思いますが、私にとってはホームズとワトスンの関係がひとつの基準になっています。
楽しいことだけを共有するのは知人や友人。自分の命やそれに準ずるもの(私は名誉もそれに当たると思います)が侵されそうになったとき、本気になってくれる人は親友。
ホームズとワトスンはそれぞれ違う世界を持っていて、全てをさらけ出しあっているわけではありません。
愛する人も(少なくともワトスンには確実に)別にいるし、人生を賭ける仕事も、一部重なっているだけで全体的に見れば全然違う。口に出さなくても、お互いに批判的な目で見ている部分だっていっぱいあります。
でも、大事なところでは自分の身を顧みずに相手を思うことができる。わざと遠ざけることで友を守ったホームズ(シャーロック)と、精神的な戦いを続けていくことを選んだワトスン(ジョン)は、共に深い孤独を背負うことになりましたが、やはり素晴らしい親友同士です。私も、誰かにほんとうの意味で親友と思ってもらえる人間になれたらと思います。

ところで、この「最後の事件」に書かれた「モリアティ(の兄弟)によってホームズの名誉が傷つけられた」というエピソードは、"The Reichenbach Fall"のお話を作る上で大きなヒントになっていると思います。
同時に、あまりにも突然現れたモリアティという「強敵」に違和感を抱いた読者に「モリアティはホームズの妄想の産物」という説も何度となく唱えられているので、「現実世界の反応のパロディ」でもあるようです。
以前にもご紹介しましたが、このパスティーシュではモリアティの謎について非常によくできた説明がなされていますね。それは物語の種明かしではなく発端なのですが、最後にもうひとつどんでん返しがあるのも、心憎いと思います。

シャーロック・ホームズ氏の素敵な冒険―ワトスン博士の未発表手記による (扶桑社ミステリー)シャーロック・ホームズ氏の素敵な冒険―ワトスン博士の未発表手記による (扶桑社ミステリー)
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(原作の引用部分はすべて延原謙訳)


【事件の重要なネタバレ】ヒーローになる時

今回は「元ネタ探し」ではなく、感想です。

"The Reichenbach Fall"は、"Sherlock"のとても重大な節目にあたるお話で、今までたくさんの方がご感想を書かれたのではないかと思います。
私は、この重要なお話の意味を本当に理解できているかどうかよくわかりません。でも、わからないなりに、今の時点で感じたことや考えたことを、書き留めておこうと思います。
台詞や物語の解釈などで間違っているところがあったら、教えていただければありがたいです。

まず、シャーロックが次々に難事件を解決して、「ヒーロー」となっていく様子が描かれます。
(余談ですが、ここで出てくる『誘拐されたお父さん』=『唇が捩れた男』で、タイピンは口止め料というのが、誰も聞いてくれない私のプチ妄想です)
一方でジョンは「マスコミは態度を変えるもの」みたいなことを言って、あまりに持ち上げられるシャーロックがそのうちにこき下ろされるではないかと心配しています。

ジョンの心配は、最悪の形で現実になってしまいます。
ジム・モリアーティの目的は、ヒーローに祀り上げられたシャーロックを汚辱へと「転落」させることでした。

ところで、世間にどう扱われようと、シャーロックは自分のことを「ヒーロー」とは思っていません。

「勝手に人をヒーローに祀り上げるな、ジョン。ヒーローなんかいない。もしいたとして、僕はそんなものになりたくない(拙訳)」

第一期の三話で、彼ははっきりとそう言っています。

では、原作ではどうだったのでしょう。
これもまた、ホームズ自身の口から語られています。

「君はモリアティ教授の名を聞いたことがあるかい?」
「ないねえ」
「ここに悪の天才、世の驚異がある。彼はロンドン中に幅をきかせておりながら、しかもその名は誰にも知られていない。そこが犯罪史上最高峰に位するゆえんなのだ。これは僕がまじめに考えているところだがね、僕はもし彼をうち倒し、社会をその魔手から救いえたら、そのときこそ僕の経歴がその最高点に達し得た喜びを感じるし、また僕はすぐにでも探偵の仕事をやめて、平穏な生活にはいってもいいとさえ思う。」(『最後の事件』延原謙訳)



モリアティ教授の目的は作中で語られていないのでわからないのですが、ホームズの行動の理由はこの台詞で明らかなように、社会正義のためです。自分の信じた正義で社会を救うためにすべてを賭けてもいいと、彼は言うのです。

ここで、私はいつも考えてしまいます。
正義って、いったい何なのでしょう。
ホームズはとてもシンプルでクリアな思考で、迷いなく動いているように私には見えます。
それは、彼が「社会正義のため」という大義名分を得ているからではないでしょうか。

でも、「ヒーローになりたくない」というシャーロックも、「社会を悪から救いたい」というホームズも、一皮向けば同じ本音を持っています。あまりに卓越した、「空転するエンジン」のような頭脳を持て余して、束の間その回転を受け止めてくれる、犯罪というゲームを心待ちにしています。
ホームズの「社会のために働きたい」という気持ちが偽りなわけではありませんが、犯罪が起こることを望んでいるのも、確かに彼という人間の一面なのです。

では、悪とは何でしょうか。
実際に手を下して、誰かを害する者だけが悪なのでしょうか。
それをわくわくしながら待っている者は、悪ではないのでしょうか。
さらに、フィクションとはいえ、それを面白がって観たり読んだりしている私は、全く悪ではないと言えるでしょうか。

そういう考え方でいくと、まさにシャーロックの言うとおり、「ヒーローなんかいない」のです。
「ソシオパス」として生きてきた彼は、世間の与える慣習や固定観念を簡単に受け入れられません。その分、何が良くて何が悪いのか、人一倍戸惑いながら、考えながら生きてきたのでしょう。シャーロックは、自分が、いや、全ての人間が本質的にヒーローになり得ないことをわかっていたのだと思います。
ジムについては筆をあらためてじっくり書きたいと思いますが、おそらく彼もどこか似た人生を送ってきたのでしょう。ヒーローと犯罪王の違いは、本当に些細なものなのでしょう。

では、本当にこの世にヒーローなんていないのか?というと、そんなことはないと私は思います。


シャーロックのお墓に、ジョンは語りかけます。

「君は…言ってたよな。
 『僕はヒーローじゃない』って。

うん、君は人間じゃないって思ったこともあったよ。
でも、これだけは言わせてくれ。
君は、いいやつだ。
一番……人間だった。今までに僕が出会った誰よりも。」(拙訳)



ジョンはまだ知りませんが、シャーロックはジョンやハドスン夫人、レストレードを守るために、自分を「殺す」ことを選びました。
どうしてシャーロックがそういう行動をとったかというと、かつて命を救ってくれたジョン、危機に陥りながらもシャーロックの携帯を守ってくれたハドスン夫人、立場を超えて友情を示してくれたレストレードが、彼にとっての「ヒーロー」だったからではないでしょうか。
ヒーローは、マスコミが作るものではない。大義をかざすために現れるものでもない。
誰かが誰かのことを守ろうとする時、そこに「ヒーロー」が生まれるのです。

ひょっとしたらジョンは、戦場で「大義のためのヒーロー」になり損ねたのかもしれない。
または、正義のためのヒーローであろうとする人々に疲れたのかもしれない。
それは彼が語らない限りわからないことですが、少なくとも、彼はシャーロックの「ヒーロー」になる道を選びました。それが、別の観点からは責められるような道であっても。

きっと、考えるよりも前に、そうするしかなかったんです。ホームズが、犯罪が起こることを望んでしまう一方で、信じた正義のために命をかけようとするのも、同じことではないでしょうか。
完璧なヒーローは、シャーロックが言ったように、多分いません。でも、本当にいるヒーローというのは、もっとずっと個人的で、ささやかで、愚かですらある存在で、誰かが誰かをほんとうに守りたいと思ったら、不完全でも、不恰好でも、筋が通っていなくても、それになってしまう。
ジョンの言葉に置き換えると、そういう行動をとってしまう者を「人間」というのだと思います。

長く退屈な文におつきあいいただき、ありがとうございました。
次回からはまた、元ネタ探しの短い記事に戻ります。







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プロフィール

Author:ナツミ
シャーロック・ホームズが好きです。どちらかというとワトスンがより好きです。

2017年エイプリル・フールお片付けしました。お付き合いありがとうございました!片付けきれてないところがあったらお知らせいただければありがたいです。

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このブログで考察した「元ネタ」を、ドラマの時系列に沿って探すための索引サイトです。 順次更新致します。 「21世紀探偵・ブリキの文書箱」
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