最初の挨拶
パンダとジョン

BBC制作、現代版シャーロック・ホームズのドラマ「SHERLOCK」ファンのブログです。
①正典/聖典(原作)と比較しながらドラマを観て、元ネタ探し
②ドラマでまだ出てこない原作の事件は、SHERLOCKだとどんな話になるのかな?と妄想する

…を一人で(主にトイレとかお風呂で)楽しんでいたのですが、
さまざまな方にご意見をいただけたら楽しいだろうなあ、と思って始めました。
ネタバレ満載ですのでお気をつけください!
★原作の文章を引用する際、主に新潮文庫版(延原謙・訳)を参考にさせていただいております。
★全ての記事は、推測やこじつけを基にしており、たまに妄想も入っております。ご了承の上ご利用ください。
★このサイト及び記事へのリンクは、どうぞご自由になさってください。
【お願い】 ★記事における間違いは、できる限り修正したいと考えております。お気づきの点がありましたら、ご教示いただけるとありがたいです。
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The show must go on!

プリンス邸に乗り込んで好き放題やったジョンとシャーロックに対する、ケニー・プリンスのコメント。

"You are like Laurel and bloody Hardy."
「君たちはまるでローレル&ハーディみたいだな」

私はこの「ローレル&ハーディ」を知らなくて、友人に聞いてみたところ調べてくれました。
リンク先のwikiにあるように、1921年から1951年、サイレント時代からトーキー時代の初頭にかけて、アメリカ映画で活躍した喜劇俳優だそうです。
小さくて細いローレルと巨漢のハーディの、いわゆる凸凹コンビです。

どんな風にシャーロックとジョンに似ているのか、まずは動画をごらんください。



いかがでしょうか。
確かにローレルは、ちょっと神経質そうな感じがジョンに似ているかも。
ハーディは、シャーロックというよりも、演じているベネディクト・カンバーバッチ氏に無邪気な笑顔が似ている気がします。(この動画ではあんまり笑ってませんけど)

ところで、どうしてプリンス氏の口からこの名前が出たのか、wikiのリンクを辿ってみて納得いたしました。

淀川長治 世界クラシック名画撰集「ローレル&ハーディの天国二人道中」

ローレルとハーディは、そっちの仲良しではないかという視点で淀川氏は楽しんでおられたわけですね。
それにしても淀川氏、ハーディのべイビーフェイスを絶賛し過ぎです。Babe Hardyと呼ばれていたそうなので淀川氏に限らないと思いますが、そちらの方に人気ということは察しがつきました。そこでプリンス氏と繋がるのか~。私はすごく遠回りしたけど、イギリスやアメリカの視聴者はすぐにピンとくるのでしょうね。

さて、原作との比較。
ここでのジョンとシャーロックは、お笑いコンビではなくて「記者とカメラマン」のつもりだったようです。
こんな風に正体を隠して潜入捜査をすることは、ホームズ単独でならよくあるので別項で扱いますが、二人揃って、というのは珍しいと思います。「犯人は二人」で芝居帰りの二人連れを装ったり、「ショスコム荘」の近くの宿に、釣り人のふりをして滞在した時くらいかしら(でも、何だかんだ言って結構釣りを楽しんでいるように見えました)。あ、「株式仲買店員」では、失職した「バーマンジーのハリスさんとバーミンガムのプライスさん」を名乗って、不審な会社の面接を受けています。(ホームズがハリスで会計が専門、ワトスンがプライスで事務職という設定です)「高名な依頼人」ではワトスンが偽名を使って、骨董マニアの医師のふりをしてグルーナー男爵を訪ねていますね。

二人揃って別人の役をしているとき、ホームズもワトスンもどこか楽しそうなんですよね。
第1話のシャーロックとジョンも、警官のまねを楽しそうにしていましたね。
私が一番好きなのは、グラナダ版の「青い紅玉」で、賭け事好きな紳士たちを即興で演じる二人!
ワトスンがにこにこ笑って手をだす場面が、何度観ても微笑ましいんです。



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この記事へのコメント

Laurel and Hardy! - RM - 2011年09月21日 23:45:31

この名前、どこかで読んだことがあるぞ、と思って急いで雑誌をひっくりかえして、みつけました!Edward Hardwickeが言っているではありませんか!その時は読み過ごしていたのですが。わあ、そういう歴史ある二人組だったのですね。で、Edwardがどう言っているかはいつか書くとして(うふふ)、ナツミさんが書かれたことについて。つまりジョンとシャーロックは「そっちの仲良しではないか」とみる人がいるわけですね。最初のハドソン夫人の言葉からもそれは察することができます。そして英米の視聴者はケニー・プリンスの言葉に、ここでちょっと、クスッとするわけですね。

ところで、まわりにはそう見る人もいる、ということとは別に、実際にはどうか、これからどうなるか、ナツミさんはどうお考えですか?それはこれからゆっくりお書きになることかもしれませんね。私はナツミさんの「寅さん説」に賛同することからもわかるように、二人の間には浮世離れした、不思議な友情(それを「愛情」と呼んでもかまいません。)が育つことを願っています。

Martinが、"Sherlock is gayest story ever"と言ったのはご存知ですか?
http://www.digitalspy.co.uk/tv/s129/sherlock/news/a320978/martin-freeman-sherlock-is-gayest-story-ever.html
これをどう解釈するか、もうお話するとながくなりますね。一つだけ。Martinが "We all saw it as a love story. Not just a love story, but those two people who do love each other.” と言ったことにうれしくなりました。

グラナダ版の「青い紅玉」に関しては、もう、大きくうなずくばかりです。なんて楽しそうなんでしょう!

(追記)Martinが言ったこと、途中で切ってしまっていたので、追加しました。

Re: Laurel and Hardy! - ナツミ - 2011年09月23日 13:52:20

わ~、ハードウィック氏は何と言っておられたのでしょう!書いていただけるのを楽しみにしておりますね!

そうか!プリンス氏がシャーロックとジョンの関係を言っていると考えても面白いですね。
私は「プリンス氏はローレル&ハーディ好き」→「プリンス氏はゲイである」ということを暗示しているのかな、と思っていました。
彼は単にシャーロック&ジョンの凸凹コンビぶりやドタバタした雰囲気からそう言っただけで、彼の性的な嗜好にまでつなげるのは私の邪推かもしれませんが。
(プリンスとハウスキーパーのラウルが「そういう関係」だったのは間違いないですが、ローレル&ハーディを『ゲイの人が好んで観るコンビ』と断定してよいものか…そういう感覚は英国で生活していないとわからないので、はがゆいなあ。仄めかされている可能性は十分にあると思います)

おっしゃるように、二人は周りの色々な人から恋愛関係だと思われてますよね。
私自身の考えを書かせていただきますと、まず二人がゲイかもしれない、という「可能性」を堂々と作品内に取り込めるようになったことが素晴らしいと思います。それだけでも現代版を作った意味があるんじゃないでしょうか。

RM様が二人の間の感情を『浮世離れした、不思議な友情(それを「愛情」と呼んでもかまいません。)』とおっしゃっているように、友情と愛情の境は、浮世(世間や他人)の基準で分断できるものではないですよね。
私たちは他人との関係を「親友」「友達」「パートナー」というように分類するけれど、一つ一つの関係の密度や内容は、それぞれ全く違うのではないでしょうか。

唐突な話題で申し訳ありませんが、よく雑誌などでセックスレスの夫婦が問題視されていますよね。私はまだ独身で当事者の気持ちはよくわからないながら、「夫婦になったら定期的にセックスしないと駄目なのかなあ」と疑問に思ったりします。問題は、セックスしないこと自体ではなく、そのせいでお互いへの愛情を疑ったり自信が持てなくなることですよね。もしその二人の関係が良好で、いや、そうでもなくてもパートナーであることに苦痛や違和感を感じていなくて、それが一人と一人の幸せにつながっているならいいんじゃないかな、と思うのですが…(子孫を残すと言う意味では、生物的、社会的には大問題なのかもしれませんね)

要するに、二人の人間の「関係性」に重きをおけば、セックスは不可欠なものではないし、恋愛なのか友愛なのか、と客観的に名前をつけることにも、それほどの意味はないような気がするのです。(自分たちはカップルである、という自覚から生まれる愛もあるとは思いますが)

シャーロックとジョンの話に戻します。友情とゲイの関係の違いを「セックスするかどうか」で分けるのも浅薄な考えなのかもしれませんが(不勉強ですみません)、二人が性的な関係を持ったとしても、それはそれで一つの絆のかたちだし、そうならないからといってセックスするカップルよりも関係が浅い、とも言えないと思います。
原作では、どちらかが結婚して離れることがあっても、引退して遠く離れた場所でそれぞれの仕事をしていても、ホームズとワトスンの絆は壊れなかったわけですし、そこに私たちは魅力を感じるのだと思います。(今私は『絆』という言葉を使いましたが、マーティン・フリーマンの使ったLoveという言葉に無意識に当てようとした日本語がこれなのかもしれません。日本語の文章の中での『愛』という言葉は強すぎるというか、性愛に直結した印象を持たれてしまいそう、という危惧があったので…)

こういう私の考えが良いにしろ悪いにしろ、この時代に生まれて育った以上、今の社会の影響が必ず入っているわけですが、「現代版ホームズとワトスン」の関係にも、現代の社会の影響を受けた製作者の考えが現れていいと思うのです。脚本家の一人に、自身が同性愛者であることを公言しているマーク・ガティス氏がいるのは、物語に説得力を与えるためにも、とても良いことなのではないでしょうか。同性のカップルで堂々と愛情を育む、という選択肢があるのが現代なのですから。
同じように、性的な交渉なしで素晴らしい関係を育てることだってできるはずです。
シャーロックとジョンの間に芽生えた絆がどう育っていくか、リアルタイムで(!)立ち会える幸運に預かれた私は、さまざまな可能性を否定せずにこのLove Storyを見守っていきたいと思います。

未熟な筆で考えを伝えようとすると、いつも長くなってしまって申し訳ありません。
とりあえず今のところは、こんな風に考えております。

例えば、RM様のジェレミーへの強い気持ち、私のホームズへの不思議な執着、それらは肉親やパートナーへのものとは違うけれど、確かに「愛情」ですよね。
人間の心って、本当に不可解で面白い。だからこそ皆、さまざまな方法で誰かの心にアクセスしようとするのでしょうね。


Re2: Laurel and Hardy! - RM - 2011年09月24日 00:34:22

ナツミさんに、ブログ二回分くらい書いていただいて、もったいなかったなと思いつつ、でもナツミさんが先日書かれたように、対話によって引き出されるものもあるということで、このブログの読者の皆様には許していただきましょう。

まず小さな(?)こと二つから。私が勘違いしていましたが、「視聴者はすぐにピンとくるのでしょうね」とナツミさんが書かれたのは、シャーロックとジョンがローレル&ハーディになぞらえられたことについてでなく、プリンス氏がローレル&ハーディを例に出したことに、だったのですね。

そしてはじめのコメントでは「うふふ」と笑いながら書きましたが、Edwardがローレル&ハーディのことを言ったのはこんなふうです。ホームズとワトスンの関係を懐かしいコメディ・デュオにたとえたのはおもしろいですね。ホームズ/ワトスンとユーモア、というのも興味ある話題だと思います。ただ、これから書くこととは直接はつながらないような、でもやはり少しつながるような。

I look at the way Jeremy plays Holmes and think, "How would a person who is a friend of this man's behave?" I think that any working relationship between two people has to have a lot of humor. People who work for long stretches together usually—I don't know whether this is an expression in America—"send each other up." A lot of teasing and banter goes on.

It seemed to me that a lot of the "Good heavens, Holmes!" lines have always been, "Good heavens, Holmes!" (delivered in perfect imitation of Nigel Bruce)—bluff and non-understanding. But if you deliver them with a bit of humor, as if there's a big smile on the man's face and he's somebody who is appreciating and joining in, then you get a different thing. That's what I tried to do. It is the classic comic relationship, whether it's Laurel and Hardy or whomever you like. There's the brains, and the person who works on intuition and emotion. (The Armchair Detective, Vol.25, No.1, 1992)

さて本題です。ナツミさんが書かれたのを読んで驚きましたが、根本のところでとても似た感覚を持っているように感じます。ただ、私はこの1年くらいでとてもかわったのです。

ジェレミーのファンフォーラムのとても魅力的な人達の中に、homosexual, bisexualな人が何人もいます。私は今までheterosexualの人以外を知らなかったのですが、彼女達を知ることで、今までの自分がどこかで、homosexual, bisexualな人を、「普通」ではない人とみていたことに気づきました。本当に不思議なことですが、偏見がなくならないと、自分が偏見を持っていたことに気づかないのですね。特に私が好きな3人は、一人は異性の、一人は同性のパートナーと暮らし、一人は今はパートナーを持たずにすごしています。そしてもちろん、ジェレミーがbisexualであったことは、ひとのsexualityに関する私の感覚をかえるのに大きな役割をはたしました。

そして、ファンフォーラムにはasexualだという人もいます。ソウルメイトのことが、ジェレミーの二度目の奥様Joanに関するスレッドで話題になったことがあります。ジェレミーが「ソウルメイト」という言葉を使ったのを私は読んでいないのですが、ジョーンと最初に会ってその目をみたとき、昔から知っていたような感覚を持った、ということは言っていて、ジェレミー以外の人がジェレミーとジョーンの関係のことを「ソウルメイト」という言葉で書いているのをよくみます。

その話になった時に、ある人が(一般論として)ソウルメイトとは必ず恋におちて、性的関係を持つとは限らない、一度も会うことがないソウルメイトもいるはずだ、と書いたのです。その時にasexualだという彼女がまっさきに賛同と感謝の言葉、そして、自分はよく、何かが欠けた人間のようにみられるけれども、そうではないのだ、と書きました。

そこで私も気づきました。asexualであることは、誰かを好きにならないことではない、そう、ナツミさんが書かれた言葉を使わせていただけば、彼女もまたたくさんの絆をつないで生きてきたのだ、と。彼女は若いのですが、知的でやさしくて、以前のフォーラムのスレッドが悲しいトラブルで閉じられる時の彼女の発言は、冷静で論理的で、多くのメンバーのこころの内を見事に言い表した、気持ちのこもったものでした。

こうして私の中で変化がおきてみると、相手が同性か異性か、性的関係があるかないかは、本質的なところでは、さほどのことではないと思うようになりました。もちろん、何の違いもないとは決して言いません。でも一番大切なのはそんなことではない、と思えるのです。

さあそこで "Sherlock" に話をもどすと、Martinがgayという言葉を使ったのを読み、二人は互いに愛しあっていると言うのを読んだ時、とてもうれしかったのですが、私は性的関係があるという意味で言ったとはとりませんでした。一般にはgayとは多分、同性と性的関係がある、あるいは望むことを意味するのだと思いますが。(あ、それとMartinが現在形や現在完了形でなく、過去形で"We all saw it as a love story.” と言ったのが少し気になったのですが、これは文脈からして、以前はそうみていたけれども今は違う、ということではないと解釈しています。この記事を紹介してくれた人のコメントも、そのように読めました。間違っているようでしたら、どうぞ教えてください。)

そして、ジョンとシャーロックが「浮世離れした友情、あるいは愛情を育ててほしい」と私が書いた時には、ジョンは女好きで、シャーロックはasexual、そしてこの二人の間に絆(あるいは腐れ縁なんて言葉もありましたね!)が芽生えていく、そんなことを想像して、一般的に言われるgayとは少し違う関係を考えていました。でも、原作やグラナダ版に私はまだしばられているのかもしれない、と気づきました。

この物語には多くの可能性がありますね。本質的なところは、そう、原作やグラナダ版もまたLove Storyであったのですから、それが現代版でどう描かれるか、とても楽しみですね。

Re: Re2: Laurel and Hardy! - ナツミ - 2011年09月24日 21:45:46

二通り、三通りに解釈できてしまうような、読みづらい文章を書くのは私の悪い癖で…気をつけて直していかなきゃ、ですね。それも、こうしてボールを投げ返してくださるからこそ気づけたことです。いつもながら、ありがたく思っております。

ハードウィック氏が単純に「デイビッド・バーク氏のワトスン」を受け継いだのではないな、ということはなんとなく感じていたのですが、ご本人はそんな風に考えていたのですね。
長い歴史の中で、友人二人の関係性が変わっていく、というのは原作からも感じます。ホームズとワトスンは、より遠慮のない間柄になっていますね。(『這う人』ではホームズがワトスンの都合に構わず電報で呼びつけたり、『恐怖の谷』の冒頭で『ほんとに君には時々うんざりさせられるよ(延原謙訳)』とワトスンが言ったり)
そういう関係は、ユーモアを持って描かないと殺伐としたものに見えてしまいますよね。ジェレミーとハードウィックは、バーク時代よりも円熟した関係を見事に表現していると思います。
ナイジェル・ブルースによる「道化者」的なワトスン像は、否定されるべきステレオタイプという批判を受けがちですが、ハードウィック氏はそれも自分のワトスンの血肉にしている、ということにも感銘を受けました。

さらに、FC2禁止ワード満載のコメントに真正面から答えて下さって、本当に感謝しております。
(あとで、ちょっとまずかったかしら、と心配になったのです…)

RM様がご自身の物語を語ってくださったので、私も自分のことを書きますと、友人との触れ合いを通してsexualityに対する考え方が変わった、という経験を私もしています。
勉強したいことがあって、少しの間海外の一都市で暮らしていたことがあるのですが、とても尊敬できる友人と巡り合うことができ、様々なことを話し合う中で彼がhomosexualであるということを知りました。
その後彼のパートナーを紹介され、一ヶ月ほど彼らのフラットの一室を間借りしたのですが、その間、彼らと色々なことを話し(当時私は若く、考え方も今以上に幼く、英語力も十分ではなかったので、話したと言うよりも教えてもらった、友人関係というよりも庇護されていたというのが正しい表現かもしれません)、自分の中の無意識の偏見というか、無意識であることの傲慢さというか、とても一方的な「常識」を振りかざして生きてきたことに気づかされました。
それ以来私は偏見のない、何でも受け入れられる人間になった…かと言えば、そんなことは全然ないのです。
ただ、違う価値観に対してどこまでopenになれるか、という自分との戦いがこの時から始まったと思います。

Sexualityの問題は、理屈ではなく本能的な嫌悪に直結しているので、扱いがとても難しいですね。誰もほんとうには他人の問題を理解しきれないのではないか、と思うほどです。
少なくとも私は、偏見を捨てきれていません。sexualityだけでなく、全てにおいて「自分と違う考えを当たり前に受け入れる」ということが私には難しく、ついつい性別や世代で括ってしまったり、国籍で括ってしまったり(対人関係において、男だから、とかゆとり世代だから、とか○○人はこうだ、ということを口にしないまでも思ってしまって、個人単位で向き合った時にひそかに反省したりするのです)、寛容でない人に対して寛容になれない、という奇妙な矛盾を抱えてしまったりします。

ジェレミーとジョーンの物語は私も少しだけ聞き知っていたのですが、「ソウルメイト」という言葉がいま初めて自分の中にすとん、と落ちてきた気がします。
理屈も、自分ではどうすることもできない本能も、全てを超えた存在がいてくれたら、どんなにいいでしょう。そういう存在が望む前から与えられている人もいれば、望んでも一度も出会うことがない人もいるのでしょうね。
もしソウルメイトに出会えていないとしたら、自分とは違う人や自分の理解し難いものに真剣に関わること、その過程で傷つくこと、自分の小ささに気づいて悩み苦しむこと、といった修行のようなものを経て、ソウルメイトをソウルメイトだと気づける力が備わる気がする、というか、そうであって欲しい、と思うのです。

ホームズとワトスンの関係も、何の確執もなく順風満帆に育まれてきたわけではありません。訳によってずいぶん印象は違ってしまうのですが、ワトスンが結婚した後、二人は明らかに気まずくなっているし、ホームズのワトスンに対するちょっと度を越した執着も、それでいてワトスンの能力を信頼していない部分も、ワトスンのホームズに対する諦めのような気持ちも、原作には隠さずに描写されています。二人がお互いにとってのソウルメイトだったかどうかは私たちにはわかりませんが、物語に書かれていないたくさんの葛藤をも経て、「最後の挨拶」では温かく手を握り合い、睦まじく語り合う友人同士になれたのでしょう。

また、どれほど頑張っても、結局ソウルメイトに出会えない人生もあると思います。でも、人を理解しようとする努力をやめてしまった途端に、ソウルメイトを持てる可能性は激減してしまう。だから私も、openであろうとする戦いを続けていかなくてはいけないのだと思います。

Martinが使った"gayest story"という言葉がシャーロックとジョンの性的な関係を意味しているとは、私も思いませんでした。gayという言葉の意味する範囲がよくわからなくなってきましたし、そもそも私の英語力ではあてにならないのですが、"love story"という言葉に結びつけるために、ちょっと衝撃的な表現を選んだのかな?過去形を使ったのは、今はそう思っていないということでなくて、製作段階でそういう思いを込めたんだよ、というように私は受け取りました。
SHERLOCKがアメリカで放映された時のインタビューだったかと思いますが、モファット氏とガティス氏も、シャーロックとジョンが性的な関係を持つか、という質問に否定の答えを返していたように思います。ただ、二次創作(fan fiction)においてどうするかは視聴者の自由だ、と言っていたような。(これはちょっと調べなきゃですね)

個人的な希望としては、私も二人には性的な関係のないところで絆(腐れ縁も可!)を育てて欲しいと思っています(fan fictionは、それはそれで楽しむので別として)。
互いに別のパートナーがいてもいなくても、一緒でも別れ別れでも、女好きでもasexualでも、全てを超えて繋がっていられる「友達」というのは、私には素晴らしい関係だと思えるのです。
でも、もし二人が性的な関係を持つことを選択しても、それを受け入れられる自分でありたい、そうあるべきだ、と自分に課題を出しているのかもしれません。

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シャーロック・ホームズが好きです。どちらかというとワトスン君がより好きです。

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