最初の挨拶
パンダとジョン

BBC制作、現代版シャーロック・ホームズのドラマ「SHERLOCK」ファンのブログです。
①正典/聖典(原作)と比較しながらドラマを観て、元ネタ探し
②ドラマでまだ出てこない原作の事件は、SHERLOCKだとどんな話になるのかな?と妄想する

…を一人で(主にトイレとかお風呂で)楽しんでいたのですが、
さまざまな方にご意見をいただけたら楽しいだろうなあ、と思って始めました。
ネタバレ満載ですのでお気をつけください!
★原作の文章を引用する際、主に新潮文庫版(延原謙・訳)を参考にさせていただいております。
★全ての記事は、推測やこじつけを基にしており、たまに妄想も入っております。ご了承の上ご利用ください。
★このサイト及び記事へのリンクは、どうぞご自由になさってください。
【お願い】 ★記事における間違いは、できる限り修正したいと考えております。お気づきの点がありましたら、ご教示いただけるとありがたいです。
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じぶんだけのいろ

このところ、仕事関係でレオ・レオニの"The Color of His Own"のことをずっと考えておりました。
(日本では、『じぶんだけのいろ』というタイトルで谷川俊太郎氏が訳しています。)
レオ・レオニは、動物たちを主人公にした、さまざまな童話を残した絵本作家です。小学校の国語の教科書で「スイミー」を読んだ方もいらっしゃるのではないでしょうか。
取るに足らないようなちっぽけなものたちの、しかし真剣な思いが、愛情を込めて描かれています。中でも、人と違った考え方をする者、共同体の中で少し浮いている者に光を当てる作家だと思います。

「じぶんだけのいろ」はこんな話です。

おうむはみどり、ぶたはピンクというように、みんな「じぶんのいろ」がある。
でも、カメレオンだけは違う。行く先々で体の色が変わってしまう。
カメレオンはそれを悲しく思い、なんとかして「じぶんのいろ」を見つけようとするが、ことごとく失敗に終わる。
ある日カメレオンは、もう一匹のカメレオンに出会い、自分の悲しい気持ちを話す。
ぼくたちには『じぶんだけのいろ』なんて、みつからないんだろうか

もう一匹のカメレオンの答えとは?


"Sherlock"を観た友人たちの感想で、共通しているのが「さびしい感じがする」というものでした。

これに対し、ほぼ同時期に制作され、同じ原作を持つガイ・リッチー監督、ロバート・ダウニーJr.主演の「シャーロック・ホームズ」はまさに「血沸き肉躍る」タイプの映画。友人達の感想も、「ワクワクする」「爽快感がある」という感じでした。
二つとも作品としての評価はおおむね高かったにもかかわらず、印象はまったく逆だったようです。

この「さびしい感じ」はどこからやってくるのでしょうか。

シャーロックは、街のホームレスの人々や不良少年とのネットワークも持っていますし、調査のときは如才なく振舞っていますが、そんな彼に周囲の不審の目が向けられる描写も多く、「周りの人たちに違和感なく溶け込める」というよりも「周りの人たちから浮いている」という面が強調されているように感じます。
おしゃれで、TPOに合わせて様々な服装をしていた原作のホームズに比べ、シャーロックが(今のところ)いつも同じ黒いコートにマフラーなのも、頑なな印象を与えています。
ジョンのブログでも「12歳の子どものようだ」と言われているし、レストレードは、シャーロックを成熟した大人として対等に扱うというよりは、手綱を取りつつ見守るという、保護者的な役割を担っているように思います。
(『シャーロック・ホームズは大したやつだ。それに、まあ我々が非常にラッキーだったらだが、いつかいいやつにならないとも限らないしな』というセリフは、皮肉たっぷりではありますが、父親のような視点も感じます。)

原作のホームズがはじめからある程度社交性を持っていたのに対し、現代版は「子ども」で「ソシオパス」のシャーロックがジョンとの出会いを経て、人間的に変わっていく過程(それを『成長』と呼ぶべきなのか、私は適切な答えを持ちませんが)に重点を置いているようです。
また、現代の社会が舞台というのも何か関係があるのかもしれません。シャーロック・ホームズという人間にとって、寛容とはいえない時代になっているのでしょうか。

もうすぐ「Sherlock」が日本で放映されます。
自分と同じナショナリティを持ち、同じ文化の中で生きる人たちがどういう評価をするのかとても楽しみですが、中でもこの「さびしさ」をどう感じるか、色々な方にじっくり聞けたらと思います。


さて、「じぶんだけのいろ」ですが、結論を言ってしまうと、カメレオンの悩みは解決しません。
2匹のカメレオンの姿は滑稽にすら見えます。でも、2匹は微笑みあい、本当にうれしそうです。
レオニはこの作品を「ふたりはいつまでもしあわせにくらしました」という一文で締めくくっています。

私も、この作品は「ハッピーエンド」だと思います。
ただ、いつも印象的なことばで物語を結ぶレオニが、この紋切り型の一文を選んだのには意味があると感じました。
2匹のカメレオンが、それぞれに自分の歴史を持ち、独立した考えを持って生きている1匹と1匹として描かれているということにも。


(記事中に引用した文は私の訳によるもので、谷川氏の訳とは異なる部分があります)

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この記事へのコメント

それぞれの。 - ゆい - 2012年12月30日 11:28:19

はじめまして。
「SHEROCK」はさびしい感じがする、というこちらの記事を、自分のブログにリンクさせていただいたので、ご報告を、と思いお邪魔しました。

こちらの記事を読んだのは少し前なのですが、この「さびしい感じがする」ということばが、ずっと頭に残っていました。最近になって思ったのは、シャーロックもジョンも、心にそれぞれ抱えているものがあって(特にS1E1でそれが描かれているように思うのですが)、二人はまったく違う世界観を持つ違う人間で、このドラマはその違うことを強調しながら話を進めていくから、だから「さびしい感じがする」のかな、ということです。(すみません、ガイ・リッチー監督の「シャーロック・ホームズ」は観ていないので、比較ができないのですが。)

まったく違う二人が、相手に矯正されたり同化したりするのではなくて、それでも二人でいることで時に助けられ、影響され、「変化」する、それがこの物語の素敵なところなのかな、と私は思ったりしています。世の中にはいろんな物語がありますが、このドラマの根っこには、全員が(たとえ同じ場にいても)まったく違うものを見ていて、違う思いで生きていて、それでも関わって、影響しあうんだ、という感覚が常にあって、だから私はこのドラマが好きなのかなと思います。(もちろんそれだけではないのですが。)

昔の記事に、唐突に失礼いたしました。
このブログが大好きです。すべての記事をまだちゃんと読めてはいないのですが、コメント欄含め、読むたびにいろんなことを思い、考えさせられたり、とても楽しい内容に大笑いさせてもらったりしています。

……緊張して、なんだか堅苦しい文章になってしまいました……(人様のブログに書き込みするのも、リンクするのもはじめてでして…)
年の瀬に、すみません。

ひとりとひとりでふたり - ナツミ - 2012年12月30日 15:16:12

ゆい様

はじめまして!
実は、数日前に友人に「『Sherlock』の面白いブログがあるよ。好きそうな内容だから読んでごらん」と言われていて、今朝がた、検索でゆいさんのブログにお邪魔したところだったんです。そのほぼ同時刻にコメントをいただいていてびっくりしました!年の瀬にいただいた思わぬプレゼントのようです(私がジョンだったら、間違いなくこのタイミングで口説いてます)。初のリンク先になれるなんて、光栄です。ありがとうございました。

リンクしていただいた記事を読ませていただきました。(読んでくださっている方へ。ゆいさんのお名前から該当記事にジャンプできます!)

私は「1Q84」は読まなくては、と思いつつ先延ばしにしてしまってますが(すみません…)、ゆいさんがお好きだとおっしゃっている「聖☆おにいさん」は大好きです!でも、主役の二人をシャーロックやジョンと結びつけて考えたことはなくて、記事を拝読して「なるほど、私はこの二人のこういうところが好きで、あこがれているんだ」と納得しました。

>シャーロックもジョンも、心にそれぞれ抱えているものがあって(特にS1E1でそれが描かれているように思うのですが)、二人はまったく違う世界観を持つ違う人間で、このドラマはその違うことを強調しながら話を進めていくから、だから「さびしい感じがする」のかな、ということです。

本当にそうですね。二人の考え方の違い、衝突、分かり合えない虚しさやはがゆさは、物語の随所で描かれますよね。
シャーロックもジョンも、湯本香樹実さんのおっしゃるところの「誰のものでもない自分だけの孤独」は、ずっと抱え続けているのですね。ゆいさんが引用された文の中で、湯本氏は、「孤独」というものについて「誰にも踏み込めない領域を持ちながら他者を求める」と分析されていますね。
「他者を求める」部分、誰かにアクセスしたいという願望、シャーロックのそれがジョンのそれにかちりとはまった瞬間が"A Study in Pink”に描かれているのですね。

また、ゆいさんがおっしゃっているように、登場人物みんなに(サリーやアンダースン、そしてジェファスン・ホープにも)それぞれの孤独があるのですよね。
シャーロックと直接対決するホープの場合、別れた子どもを愛しているという「他者を求める」部分、そして、おそらく天才的な頭脳を思うように生かせなかったという挫折を抱えているであろうことが描かれますね。(『人に認められなかった。認めて欲しかった』と思うのも、やはり『他者を求める』ということではないでしょうか。)

>まったく違う二人が、相手に矯正されたり同化したりするのではなくて、それでも二人でいることで時に助けられ、影響され、「変化」する、それがこの物語の素敵なところなのかな、と私は思ったりしています。

感謝もされるけれど、理解されないことも多かったシャーロックは、利害と関係なく純粋に才能を「認めてくれる」人に出会えた。
ジョンはおそらく、戦友たちが死んでしまったのに自分は生き残り、怪我でこれ以上戦うこともできない、という現実に罪悪感を持っていたのだと思います。でも、新たな「戦場」でシャーロックに必要とされ、生きていてもいいのだ、と感じることができた。
さらにシャーロックがジョンに「足」を、ジョンがシャーロックに「命」を贈り合います。他者への無力感や失望を抱えていた二人に、「この人に生かされたんだ」「この人がいるから、今日から新しい人生が始まるんだ」という思いが芽生えたことが、微笑み合いながら歩いていくラストシーンに表れていると思います。

「成長」ではなく「変化」という言い方、いいですね。誰にも入れない自分だけの領域、それがあるからこそ「じぶん」なのだけれど、それは他者と触れ合うことによって変化していく。
でも、どんなに変容しても他者と完全に同化することはできない。それが「さみしさ」の一因なのかもしれません。神様や支配者を絶対的な存在として他者と共有することが難しい時代だからこそ、その「さみしさ」がより浮き立って見えるのかもしれません。

なんて、コメント欄で語りすぎですね。ゆいさんのブログの「物語構造論」がすごく面白くて、"A Study in Pink"を観た時の興奮が一気に蘇ってしまいました。まだきちんと咀嚼しながら読めていないと思うので、あらためてお邪魔致しますね。

ところで、ガイ・リッチー版にはそういう人間の心の襞みたいなものが描かれていないような書き方をしてしまいましたが、BBC現代版でもリッチー版でも、二人のお互いへの思いが「あつい友情」「変わらぬ絆」というような綺麗な概念に純化されることなく、それぞれの視点でしっかり描かれていると思います。私や周りの友人が、現代版に特に共感してしまったというだけのことですので、この場をお借りして書き添えておきたいと思います。(ゆいさん、すみません!)

うわわわわ - ゆい - 2012年12月31日 11:20:02

ナツミさんの上のコメントを読み、ひっくり返りそうになりました。
私のブログに、同じタイミングでお越しいただいていたなんて……っ(そのご友人様も、そんな風に言っていただいたなんて、足向けて寝れません)

白状しますと、1度目のコメントで「リンクさせていただいたのでご報告を」なんてすまして書いておりますが、本当は数か月前、自分がブログを始めたか始めないかの頃にこちらのブログを知って大ファンになり、いつかお邪魔するんだ!とずっと思っておりました。こちらのブログの記事やコメント欄を読んでかなりの影響を受け、そこから思ったことや考えたことを自分なりに書いた文章が私のブログの中にはたくさんあり、ナツミさんにいつか読んでいただきたい、なんてことをずっと夢見ていたんです。今回の記事の内容を思いついて、「これだ!!リンクにかこつけてお邪魔しよう!!」と意を決して作戦を実行した次第なのです。(なんか重い子ですみません)


>シャーロックと直接対決するホープの場合、別れた子どもを愛しているという「他者を求める」部分、そして、おそらく天才的な頭脳を思うように生かせなかったという挫折を抱えているであろうことが描かれますね。(『人に認められなかった。認めて欲しかった』と思うのも、やはり『他者を求める』ということではないでしょうか。)

「俺は人の考えていることが読める」「みんな馬鹿だ」とホープが得意げに語っているシーンのシャーロックの様子を見て、シャーロックはちょっと歪んだ鏡に自分の姿を映した気分になったのでは、なんて思ったことを思い出しました。ホープは、「シャーロックが(ジョンがいなければ)行ってしまうかもしれない道」 を体現したキャラクターの一人なのかもしれないですね。

>ジョンはおそらく、戦友たちが死んでしまったのに自分は生き残り、怪我でこれ以上戦うこともできない、という現実に罪悪感を持っていたのだと思います。でも、新たな「戦場」でシャーロックに必要とされ、生きていてもいいのだ、と感じることができた。

「罪悪感」、そこまで思い至ってなかったですが、きっとそうですね。
「シャーロックの自殺」後のジョンは、もしかしたらまたその「罪悪感」に苦しめられているかもしれない、なんて思います。自分では罪悪感を感じるけど、他人に言ったら絶対「そんな風に思う必要はない」と言われるとわかっているから、その思いは、ジョンは誰にも言えない気がします。(戦場帰りだったかつても、シャーロックを失った今も)

>さらにシャーロックがジョンに「足」を、ジョンがシャーロックに「命」を贈り合います。他者への無力感や失望を抱えていた二人に、「この人に生かされたんだ」「この人がいるから、今日から新しい人生が始まるんだ」という思いが芽生えたことが、微笑み合いながら歩いていくラストシーンに表れていると思います。

本当に、そうですね……!
あのラストシーン、本当に、本当に大好きです。(S1E1はとても幸せな気持になって観終われる、というか。)


>「成長」ではなく「変化」という言い方、いいですね。誰にも入れない自分だけの領域、それがあるからこそ「じぶん」なのだけれど、それは他者と触れ合うことによって変化していく。

私は以前はよく考えずに、「成長」と思っていました。今でも、「SHERLOCK」を知らない友達に「よさ」を語ろうとする時に、「成長が描かれてる感じで」なんてつい言ってしまったりもします。

でも、「現代版は「子ども」で「ソシオパス」のシャーロックがジョンとの出会いを経て、人間的に変わっていく過程(それを『成長』と呼ぶべきなのか、私は適切な答えを持ちませんが)」というナツミさんの文章を読んで、「成長」ではなく「変化」と言うべきだ、と思うようになり、なるべくその言葉を使うようになりました。ちょっとした言葉の使い方で意味やニュアンスは変わってしまう、「言葉の選択」には本当によく悩みます。(深く考えずに書いてしまうことも多いですが…)

>でも、どんなに変容しても他者と完全に同化することはできない。それが「さみしさ」の一因なのかもしれません。神様や支配者を絶対的な存在として他者と共有することが難しい時代だからこそ、その「さみしさ」がより浮き立って見えるのかもしれません。

「現代版」を作るにあたってそこを強調したのは、やっぱり今が「そういう時代」だからなんでしょうね。


「物語構造論」関連の記事、すみません、わ、分かりにくいかと思いますが……(もっと上手にまとめられたらよかったんですが、あの書き方が精一杯でした……)ありがとうございます、付箋だらけの本と格闘したのが報われる思いです。

>ところで、ガイ・リッチー版にはそういう人間の心の襞みたいなものが描かれていないような書き方をしてしまいましたが、BBC現代版でもリッチー版でも、二人のお互いへの思いが「あつい友情」「変わらぬ絆」というような綺麗な概念に純化されることなく、それぞれの視点でしっかり描かれていると思います。

こちらの方こそすみません、観てもいないのになんだか否定的な書き方をしてしまってましたね……。(「SHERLOCK」のDVDを探しているのに目立つところにあるのはガイ・リッチー監督の映画の方ばかりで、勧めた友人も「TSUTAYA行ったけどそっちしかなかったよ~」なんていうので、個人的に目の敵にしていた時期があり(笑)いけませんね、今度ちゃんと観てみます!)

(最後にこの場をお借りしてもう一つご報告を。モリアーティの「Dear me, Mr. Holmes. Dear me!」絡みで少し前ちょとした記事を書いたのですが、その後こちらの「【事件の重要なネタバレ】驚きましたね (12/22)」の記事を読んで「そうなんだ!」と感動しまして……ブログのコメント欄の方で、こちらの記事もリンクさせていただいてしまいました。なんか立て続けにすみません。)

そして長くなってしまいましてごめんなさい。
(ナツミさんの文章を読むと、ほんとあれこれ思って、いろんなこと書きたくなってしまうんです…)

ありがとうございます! - ナツミ - 2013年01月01日 10:19:31

ゆい様

> (なんか重い子ですみません)

いえいえ、重いなんて、そんな!
むしろそんなに言っていただいて、どうしましょう。一年の初めにこんなに舞い上がってしまったら、滝や病院の屋上から落っこちそうで怖いです(←小心者)。

ゆいさんのブログにもコメントさせていただいたのですが、「物語の基本構造」に沿ってドラマをなぞっていくシリーズが本当に面白くて…!皆様には直接読んでいただきたいのですが、ほとんどが「行き当たりばったり」や「思いつき」でできているうちのブログの面影は感じられない、とても緻密な構成です!

私も自分のブログを作るまでは、私生活ではあまりネットに縁がなくて、SNSなども上手にコミュニケーションできなくて苦手にしていて、開設後も、ごく限られた好きなサイトしかチェックしていなかったのです。ゆいさんのブログには、自分では気づかなくて「ああっ!」と驚かされることや、ゆいさんの視点でしか気づけないことがたくさんあって、「頭のよい人の頭の中を覗く楽しみ」にハマリそうです。
数少ない共通点を挙げるとすれば……私もB型です。


> 「俺は人の考えていることが読める」「みんな馬鹿だ」とホープが得意げに語っているシーンのシャーロックの様子を見て、シャーロックはちょっと歪んだ鏡に自分の姿を映した気分になったのでは、なんて思ったことを思い出しました。ホープは、「シャーロックが(ジョンがいなければ)行ってしまうかもしれない道」 を体現したキャラクターの一人なのかもしれないですね。

「行き着く先はジェファスン・ホープ」!
な、生々しく怖い話だ…!

> 「シャーロックの自殺」後のジョンは、もしかしたらまたその「罪悪感」に苦しめられているかもしれない、なんて思います。自分では罪悪感を感じるけど、他人に言ったら絶対「そんな風に思う必要はない」と言われるとわかっているから、その思いは、ジョンは誰にも言えない気がします。(戦場帰りだったかつても、シャーロックを失った今も)

私は戦争も大きな災害も体験したことがなく、実感を持ってお話できないのですが、家族や恋人、友達など親しい人を喪った場合、「生き残ってしまったことに罪悪感を感じる」というケースがあるのだそうです。

勝手な想像ですが、S1E1の冒頭、ジョンの悪夢の中で「ワトスン!」と叫ぶ声は、ジョンを庇った戦友のものなのじゃないかな、と私は思っています。その人がどうなってしまったかはわからないけれど、ひょっとしたら、パイロット版の「亡くなった戦友」の話につながるのではないかしら。
もしこの仮説が合っていたとして、その人を喪って、シャーロックも喪ったとしたら。そして、シャーロックもまた自分を庇ったことに、ジョンがうすうす気づいていたとしたら。それは本当に苦しいことですよね。

そして、「あなたは悪くない」と言われるのが怖くて、その苦しみを口に出せない。
苦しくて苦しくて、吐き出したいけれど、吐き出すことができない。
きっとそれは、自分で自分を既に裁いてしまっているからなのでしょうね。
そうだとしたら、ほんとうに悲しいです。タイプしながら既にうるうるしてます。


> あのラストシーン、本当に、本当に大好きです。(S1E1はとても幸せな気持になって観終われる、というか。

そ、そうか!今年は仕事始め前にいきなりブルーかい……と思ってましたが、S2E3を観た後の処方箋は、S1E1を観ることですね!(何時間テレビ見る気だ)


> 私は以前はよく考えずに、「成長」と思っていました。今でも、「SHERLOCK」を知らない友達に「よさ」を語ろうとする時に、「成長が描かれてる感じで」なんてつい言ってしまったりもします。
>
> でも、「現代版は「子ども」で「ソシオパス」のシャーロックがジョンとの出会いを経て、人間的に変わっていく過程(それを『成長』と呼ぶべきなのか、私は適切な答えを持ちませんが)」というナツミさんの文章を読んで、「成長」ではなく「変化」と言うべきだ、と思うようになり、なるべくその言葉を使うようになりました。ちょっとした言葉の使い方で意味やニュアンスは変わってしまう、「言葉の選択」には本当によく悩みます。(深く考えずに書いてしまうことも多いですが…)

わたしも、今でも「成長」という言葉を使ってしまうことが多いです(もちろん、文脈によっては、その言葉を使うほうがよい場合もありますよね。)
私の場合、自分の中に「大人はこうあるべき」という思い込みと言うか、なにか勝手な基準があって、その型に人を当てはめようとしてしまうのですね。そうでないものは「未熟」で、いずれそうなるべきなのだと。
ブログを開設してまもない頃に、RMさんが「シャーロックが人間として未熟だとは思わなかった」というようなコメントをくださって(RMさん、おっしゃっていた意味とずれていたら申し訳ありません)、はっとさせられたことをよく覚えています。文章を書く上でも、仕事などの日常生活においても、大きな影響を受けました。(完全に『型』や『偏見』を捨てられたわけでもないのですが…)

ゆいさんのブログの、

「自分の思い通りにならないから、その人を嫌いになる。
自分の思っていたような人ではなかったから、裏切られたような気分になり、その人を嫌いになる。
その人が、自分が好きだった頃とは変わってしまったから、嫌いになる。
(中略)でも、そういうのは、何だかやっぱり悲しい。」

という文章も、かなりショックでした。頭をがん、とやられたような気がしました。
何がそんなにショックだったか、うまく説明できないのですが、シャーロックとジョンの友情を、私は軽い言葉でほめたたえたり、うらやましがったりするけれど、人とそういう絆を結べる人には、それだけの資格があるのだなあ、私はまだまだだなあ、なんて思ったりして……
(勝手に引用してしまってごめんなさい。ご迷惑であれば削除しますので、おっしゃってくださいね!)


ガイ・リッチー版について、ゆいさんは否定的な書き方なんてなさってないですよ~!
時間が経ってから自分の文章を読み返して、ちょっと誤解をまねくかな、と思ったのですが、ゆいさんへのコメントに混ぜ込んでしまったのでご心配をかけてしまいましたね。すみませんでした。

そして、「Dear me」は、文句なしにに2012年の元ネタ・オブ・ザ・イヤーですね!
全面的にらいかみんぐさんの功績なんですが、ちゃっかり「うちマター」にしていただいてて、らいかみんぐさんごめんなさい…近々菓子折りでもお送りします…!

> そして長くなってしまいましてごめんなさい。
> (ナツミさんの文章を読むと、ほんとあれこれ思って、いろんなこと書きたくなってしまうんです…)

そのお言葉を、そっくりそのままお返しします!
どうしても、コメント欄に書き込む文章が(下手すると本文よりも)長くなってしまいます。ご負担をおかけしてはいないでしょうか。こう、短い文にしっかり内容をこめて、さらっとお返しできるようになりたいのですが……
私のほうでは、拙い文章ながら、一生懸命考えて書くのを楽しんでおります。
短い文でも長い文でもどうかお気になさらず、気軽にお話していただけたら嬉しいです!

たびたび。 - ゆい - 2013年01月02日 18:07:25

なんだかもう、この記事のコメント欄を占拠したみたいになってしまいすみません……そして何だか自分のブログの話題をここでこんなに出していただいて、もうほんと恐縮なのですが、お言葉に甘えて、好きに書き込ませていただきます。こちらこそ、お褒めいただいて舞い上がって「今年の運はここで使い果たしたのでは」なんて一抹の不安に駆られたりしているのですが(バリツ習っといたら何とかなるでしょうか……)「こんなこと考える人もいるんだなあ」と面白がっていただけたら大変ありがたいというか。

>数少ない共通点を挙げるとすれば……私もB型です。

わわ、お仲間なのですね……!
いえ、もう血液型について勝手なことを書いてしまってまして、特にB型については(自分だけでなく、友達や職場の人も何となく当てはまると思ったことを書いてはいるのですが)自分がそれなせいかちょっと妙な人のような書き方をしてしまいましたが……ご、誤解なく文章を受け取っていただけてるのではないかと信じさせていただきます。同じ血液型でも、ほんとにほんとに、いろんな人がいますよね。うまの合う人も、ちょっと苦手に思う人も、どの血液型がどう、ということはなくそれぞれまんべんなくおります……。

>私は戦争も大きな災害も体験したことがなく、実感を持ってお話できないのですが、家族や恋人、友達など親しい人を喪った場合、「生き残ってしまったことに罪悪感を感じる」というケースがあるのだそうです。

私も、想像でしかないのですが……
日常の本当に些細なことが、その人が亡くなってしまったことによって大きな罪悪感となって遺された人を苦しめるものになるのではないかと思います。

お正月に観ようと思って借りていたDVDのうちの一本を今日観たのですが、それが本当にたまたま、それに近いものが描かれた話で、昨日ナツミさんのコメントを読んでいたので「あ…」と思いました。
ナツミさんがすでにご覧になっているかは分かりませんが、「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」というタイトルの映画です。11歳の少年が、とても仲良しだった父を9・11で失ってしまって、偶然見つけた父の所持品の「鍵」の謎を解くための行動を起こし……という話です。

その少年が、ちょっとシャーロックを思わせるようなところがあったりしました。(とても頭がよくて、でも少し人と接することを苦手としている、アスペルガーの検査を受けさせられたことがある、というような)

そうして途中で出てくるある人物とのかかわりに、S1E1のシャーロックとジョンに似たものを感じたりもしました。互いに傷を持っていて、でも二人で行動を共にしている時にはなんだかほっとさせられるようなコミカルなシーンがあったりもして。(そうして「相手に傷を見せるかどうか」の難しさも描かれたりしていたのですが)
観ている間ほとんど涙が止まらなくて鼻をずびずび言わせてまして、観るときには環境を整えた方がいいかなと思ったりしますが(笑)もし未見なら、よかったら……。


>勝手な想像ですが、S1E1の冒頭、ジョンの悪夢の中で「ワトスン!」と叫ぶ声は、ジョンを庇った戦友のものなのじゃないかな、と私は思っています。

私も何となく、そんな気がしていました。

>その人を喪って、シャーロックも喪ったとしたら。そして、シャーロックもまた自分を庇ったことに、ジョンがうすうす気づいていたとしたら。それは本当に苦しいことですよね。

う……
「シャーロック自殺」後のジョンの気持を想像すると本当に辛いので、むしろS2E3を見まくって耐性をつけたつもりの私なのですが、ちょっと泣きそうです。(今日はすでに涙腺が壊れてますし)
「守れなかった」という思いはあったかなあ、と思っていたのですが、「庇われた」ということに、うすうす気づいたら。または直後ではなくても、何らかの形で知ることになったら。ほんとに、ほんとに、苦しいですね……。
(しょ、処方箋S1E1を観なくては……)

>私の場合、自分の中に「大人はこうあるべき」という思い込みと言うか、なにか勝手な基準があって、その型に人を当てはめようとしてしまうのですね。そうでないものは「未熟」で、いずれそうなるべきなのだと。
>ブログを開設してまもない頃に、RMさんが「シャーロックが人間として未熟だとは思わなかった」というようなコメントをくださって(RMさん、おっしゃっていた意味とずれていたら申し訳ありません)、はっとさせられたことをよく覚えています。

RMさんとのコメント欄でのそのやりとり、私も前に読ませていただき、いろいろ考えさせられました。
私は高校生くらいの時、自分がまわりに比べてとても「未熟」であるように感じていて(よく知らない人には、大人びているように見られがちだったのですが)「どんな大人になりたいか」みたいなことを何かのきっかけで友人に訊かれた時に、「精神的に、ちゃんと『大人』になってたい」と言ったら、友達は「『大人』はいやだけどなあ。『子どもの心』を持ってたい」と言ってて、なんというか、「大人」「子ども」のイメージは、本当に人それぞれなんだな、と思ったのを思い出したりしました。
それと、私は以前、「社会性のなさが許されるのは特別な才能がある人だけ」と思っていて、(自分を含めて)特別な能力もないのに「(年齢不相応に)未熟な人」というのが許せないような、そんな時期がありました。でも、なんというか、そういう直線的なものの考え方をするのではなくて、人それぞれ持っている性質みたいなものがあって(それは目に見える形の「才能」の有無に関わらず)、変えられないものは変えられないし、でも本人やまわりの人にとってなるべくいいように変わっていけるならそれがいいんだろうな、みたいにいつの間にか思うようになっていて。(とはいっても、許せないような気がしてしまうことはやっぱり今でもあって、よくない気がしたりもするのですが)
「SHERLOCK」では、何だかそういうものも描かれているような感じがします。もちろん、シャーロックは「特別な才能」があるんですけれども。(な、なんか考えがまとまってなくてとりとめなくてすみません。)


>何がそんなにショックだったか、うまく説明できないのですが、シャーロックとジョンの友情を、私は軽い言葉でほめたたえたり、うらやましがったりするけれど、人とそういう絆を結べる人には、それだけの資格があるのだなあ、私はまだまだだなあ、なんて思ったりして……
(勝手に引用してしまってごめんなさい。ご迷惑であれば削除しますので、おっしゃってくださいね!)

引用いただいたのを見て、びっくりして、少し恥ずかしかったのですが(←ブログに書いといて何を今更です……)、自分の文章を読んでそんな風に感情を動かされた、と言っていただくのは、やっぱり、書いた人間としてはだいぶ嬉しかったりもします。

でも、私は、世の中の「人とそういう絆を結べる人」(シャーロックとジョンも)だって、「常に変わらず」相手を受け容れられるわけではないと思ってて。(悲しいことに、なんですが。)
「『それでも』どうであろうと受け容れるよ」という心が示される時、というのは、なんというか奇跡のようなものだと思っていて……(それこそ、自分の記事のネタで申し訳ないですが、「聖人」なら別なんですが)
と、ナツミさんがどのように感じられたのかよく分かってもいないのになんかえらそうな書き方になってしまってすみません。

あの文章が自分の中に出てきたのは、自分が人を失望させた、ということも今まで多々あって、それで辛かった記憶もありますが、私自身が、他人に対してそんな風になってしまうことが最近もあり、そんな自分が悲しかった、というのも大きかったです。

私は「まわりの人に理解されていない人」を悪く思いたくない気持が妙に強くて、「あの人何を考えているのか分からない、変だ」みたいにみんなに言われてたりすると、(実際にその場で庇う発言をするとは限りませんが)「それってこういうつもりだったんじゃないかな」と(想像力を駆使して)つい弁護したくなる性分がありまして。

でも、そういう人といざ長期間直接関わりあうことになり、そうして実際にその「被害」みたいなものをこうむり続けると、疲れ果ててしまって、結局自分も「やっぱりあの人と関わるとしんどい」という結論に達してしまったりもして。あからさまではないにしても、私のそういう意識の変化は、たぶんその本人にも伝わるものだと思えて。「(悪く思わないよう)がんばった」分、こちらの「被害」意識はどうしても強くなってしまってもいますし。

その、たとえばジョンは、結構シャーロックの悪口を言っていると思うのです。(もちろんその内容は、会った直後のブログ内容みたいなひどい感じのから、もっと優しいものへと変化しているとは思うのですが)そして本人にも、文句とか不満をちゃんと口にしています。

適当に悪口を言いふらし適当に本人に悪態をつきながら、それでも変わらず同じ距離感でいる他の人たちの方が、逆にその人を「ありのまま受け容れている」んだな、と、そんな風に思って。なんというか、対人関係で一番大事なのは「自分が」自然体で無理をしないことで、その上で「決して見限らない」とか、そういうことがあるのかな、と。ある性格分析で、「共感はするけど受容性は低い」みたいな文章を読んで「自分のことだ……」と思ったことがあるのですが。

……ええと、本当に何を言いたいのか分からなくなってきました。
つまりその、そうです、「資格」というなら、本当に、私も何とかしないといけないです……。

>ガイ・リッチー版について、ゆいさんは否定的な書き方なんてなさってないですよ~!
いやもう、文章の受け取られ方というのは幅があるかと思うのですが、きっと滲んだものがあったかなと(笑)

「Dear me」の件、ありがとうございます!(リンクがいつも事後報告ですみません)
発見されたらいかみんぐさん、ほんとにすごいです!!

で。……あの、優しいお言葉に甘えた結果こんなに長くなってしまいましたよ?
(す、すみません……)
ちょっとほんとに訳の分からないことをいっぱい書いてしまいました。
?な部分は適当にお受け流しください……。

なるほど… - ナツミ - 2013年01月03日 04:37:19

ゆい様

こちらこそ、貴重なお休みにお時間を取らせてしまって申し訳ないです!たくさん書いていただいてとっても嬉しいです(シャーロックみたいに免状とれるまでバリツせねば…)が、ご負担になっていないといいのですが!ご自身のブログの更新もしっかりとなさっていて、もう尊敬です…!(私はゴロ寝し過ぎて、年賀状の返事すら…)

> B型について

ご心配かけてしまいましたが、B型人間として気を悪くしたりは全然ないですよ~!
むしろ、納得してしまいました。私は自分の趣味嗜好を「重箱の隅をつつきすぎて、よく何もないとこをつついてる」と思うのですが(たぶんこのブログにもそれが表れてると思います)、書かれていることがあまりにもどんぴしゃで…!
お気を悪くなさらなければよいのですが、「ドラマの一部分をズームアップしてそこから考える」という意味では、ゆいさんのブログと似ているのかもしれません。(そこでの思考の過程とか、そこから生まれる説得力とかは、私のは全然ダメなんですが…)

星座占いとか、血液型占いとかって、「人間の性格や運命がたった数種類に分類できるわけがない!」とか、「血液型を気にするのなんて日本人だけ!」とか言われることも多いと思うんですが、私は好きなんです。まるごと信じているわけではないのですが、長い間多くの人の口に上ってきたことというのは、やはりひとつの文化なのだと思います。
日常生活は些細な「決断」にあふれていて、私のような小心者にはその「決断」がちょっとしたストレスだったりするんですが、時に占いが背中を押してくれたりします。(大きな決断は、ちゃんと自分の頭を使ってしなくてはダメだと思いますが)

って、ゆいさんのブログの記事に書き込めばよかった~!(今更!)皆さん、ぜひご訪問ください。

「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」、映画評を読んで観たいなあ、と思って、劇場に行く時間も算段していたのに結局行けなかったんです。
(たまたまですが、今日(1月3日)10:00からWOWOWプライムで放送があるようです!観られる環境の方はぜひ…!)

主人公の男の子、ちょっとシャーロックに似ているのですね。
「相手に傷を見せるかどうか」それは、大人にとっても難しい…幼くして傷を抱えてしまった少年、というだけでも観る前から泣きそうなんですが、DVDを探して観てみたいと思います(次の日が休みのとき、一人で、タオル完備で!)

> 「シャーロック自殺」後のジョンの気持を想像すると本当に辛いので、むしろS2E3を見まくって耐性をつけたつもりの私なのですが、ちょっと泣きそうです。(今日はすでに涙腺が壊れてますし)
> 「守れなかった」という思いはあったかなあ、と思っていたのですが、「庇われた」ということに、うすうす気づいたら。または直後ではなくても、何らかの形で知ることになったら。ほんとに、ほんとに、苦しいですね……。

有り得るひとつの救い(私たちにとっても、シャーロックにとっても)は、ゆいさんもブログでおっしゃっていたように「ジョンが真相に気づく」ということなんですよね。最後の電話にヒントが隠されていることもあり、その可能性は高いんじゃないかと思います。でもS3まで真相はわからないので、今はたっぷり悲しんでおこうかと…(100年遅く生まれた原作ファンの私は、リアルタイムで悲しめることさえ嬉しかったりします。ホームズに関してはもうちょっとしたMです)

> 私は高校生くらいの時、自分がまわりに比べてとても「未熟」であるように感じていて(よく知らない人には、大人びているように見られがちだったのですが)「どんな大人になりたいか」みたいなことを何かのきっかけで友人に訊かれた時に、「精神的に、ちゃんと『大人』になってたい」と言ったら、友達は「『大人』はいやだけどなあ。『子どもの心』を持ってたい」と言ってて、なんというか、「大人」「子ども」のイメージは、本当に人それぞれなんだな、と思ったのを思い出したりしました。

「大人」「子ども」それぞれにプラスのイメージとマイナスのイメージがあって、どこをとるかにもよるのですね。たぶん、お友達には「大人は汚い」というようなイメージがあったのでしょうね。
私は、自分のしていない経験をしている人を無条件に尊敬してしまうところがあって(その人の全部を尊敬できるかというと話は別なんですが)、年齢に関わらず、経験値が高い人=大人、というイメージを持っています。何かにおいて経験値が低い、ということは、その分野に対して偏見がなかったり、新しい眼をもって臨めるので、よいことでもあるのですが、とにかく何事に関しても自分の経験値が低いので、私はいろいろなことに関して早く「大人」になりたいです。(ひょっとしたら、高校生の頃のゆいさんに似ているかもしれません。)

> それと、私は以前、「社会性のなさが許されるのは特別な才能がある人だけ」と思っていて、(自分を含めて)特別な能力もないのに「(年齢不相応に)未熟な人」というのが許せないような、そんな時期がありました。でも、なんというか、そういう直線的なものの考え方をするのではなくて、人それぞれ持っている性質みたいなものがあって(それは目に見える形の「才能」の有無に関わらず)、変えられないものは変えられないし、でも本人やまわりの人にとってなるべくいいように変わっていけるならそれがいいんだろうな、みたいにいつの間にか思うようになっていて。(とはいっても、許せないような気がしてしまうことはやっぱり今でもあって、よくない気がしたりもするのですが)

ゆいさんは、お仕事とか、学校の活動などで人を「育てた」ご経験があるのでしょうね。
「人をどこまで受け容れられるか」という話題ともつながるような気がするのですが、とても難しいですよね。
シャーロックとジョンを例にひいていらっしゃいましたが、たしかにジョンもシャーロックも「聖人」じゃないから、お互いが受け容れられないこともあるのですよね。

> 「『それでも』どうであろうと受け容れるよ」という心が示される時、というのは、なんというか奇跡のようなものだと思っていて……

そうか、そういうことなんですね。「資格」とか「誰にでもこうしなくてはならない」とか、杓子定規に考えることではなくて、自分の中から自然に「この人にこうしたい」という気持ちが出てくるのが大事なことなのかもしれません。

私は思うのですが、「『まわりの人に理解されていない人』を悪く思いたくない」という人がいるのは、人間の社会においてすごく大事なことではないでしょうか。ゆいさんが、その方をずっと好きでいられたか、だんだん嫌いになってしまったか、は全く別の問題として、誰かが誰かから悪く思われている時、「想像力を駆使して、糾弾されている側の気持ちを弁護しようとする」という人が「いる」ということ自体がまず尊いことだと思うんです。
複数の人が揃ってひとつの考えに「囚われる」ということは、とても怖いことだと思います。少数派が絶対正しいわけじゃなくて、理解されてない人だって悪いヤツは悪いと思います。でも、その「悪い」は、「その場での行動が適切ではない」を超えて、「あいつのすることは全て悪い」「あいつは嫌いだ」「あいつの存在自体が憎い」とエスカレートしてしまいやすいですよね。ゆいさんは、そういう強い流れの中でも理性的でいられる方なのだと思います。

> たとえばジョンは、結構シャーロックの悪口を言っていると思うのです。(もちろんその内容は、会った直後のブログ内容みたいなひどい感じのから、もっと優しいものへと変化しているとは思うのですが)そして本人にも、文句とか不満をちゃんと口にしています。

> 適当に悪口を言いふらし適当に本人に悪態をつきながら、それでも変わらず同じ距離感でいる他の人たちの方が、逆にその人を「ありのまま受け容れている」んだな、と、そんな風に思って。なんというか、対人関係で一番大事なのは「自分が」自然体で無理をしないことで、その上で「決して見限らない」とか、そういうことがあるのかな、と。ある性格分析で、「共感はするけど受容性は低い」みたいな文章を読んで「自分のことだ……」と思ったことがあるのですが。

たぶんジョンも、ゆいさんのような理性の持ち主なのですね。
悪口も言うし本人にも悪態をつく、でも突き放さない。
でも、ジョンにも受け容れる限界はありますよね。たとえば、ジムの気持ちを慮ることはできるかもしれませんが、仲良くなるのはムリだと思う…(キティの家でマジギレしてましたし)

人に共感すること(自分の『好き』『嫌い』の感情が、極端な偏愛や憎悪に走って人を傷つけないようにコントロールできること)さえできれば、世の中には敵も味方もいていいのかもしれません。
そう考えると、ちょっと明日からの仕事が気楽になるかなあ…(イヤ、やっぱり正月明けはつらいんですが!)


たびたび2 - ゆい - 2013年01月03日 18:09:54

またもやお邪魔いたします。こちらが勝手に書いた長い文章について、「負担では」なんて気遣ってくださって、ほんとにすみません。確かにぼうっとしているとあれこれ考えてしまい、文章が湧いてくるのでメモに走ったりしておりましたが……それはいつものことでして。姪っ子(4歳)のしきりの元カルタ取りをしたり福笑い(その場でてきとーに作った)をしたり、お酒飲んだりしておりました。自分のブログの方は、無茶な更新をしたためにストックが底を突いてなにげにピンチです(笑)なんというか、妙な充実感のあるお正月でした。いえほんと、人様のブログのコメント欄でこんなことになりなんというかすみません。

>「重箱の隅をつつきすぎて、よく何もないとこをつついてる」

それ!それはまさしく私です!!私の場合はもう万事が!!(英語の勉強でそういうことしたから……以下略)

>お気を悪くなさらなければよいのですが、「ドラマの一部分をズームアップしてそこから考える」という意味では、ゆいさんのブログと似ているのかもしれません。(そこでの思考の過程とか、そこから生まれる説得力とかは、私のは全然ダメなんですが…)

「ドラマの一部分をズームアップしてそこから考える」、たぶんこちらのブログを見て、「あ、こういうやり方があるんだ」と影響を受けた部分があるかと思います……。
でもこちらのブログはちゃんと「元ネタの検証」で、きちんと調べた「原作」を引用した上での考察なので、「根拠」は確かというか……。
私はそういった礎となる知識がまるでないので、想像の上に想像を積み上げていて、なんというか、単なる妄想100%です。「ズームアップして『そこにそれがある!』と言ってるけど、それ、実際にあるの?」というものが土台という。実を言うと「うちのブログはそんなんです」ってことを言いたくてあの血液型の記事を書いたような(笑)
ついでに書きますと、こちらのブログのオープンな雰囲気は、私には到底真似のできないもので、そういうところに、私はとても憧れています。

>星座占いとか、血液型占いとかって、「人間の性格や運命がたった数種類に分類できるわけがない!」とか、「血液型を気にするのなんて日本人だけ!」とか言われることも多いと思うんですが、私は好きなんです。まるごと信じているわけではないのですが、長い間多くの人の口に上ってきたことというのは、やはりひとつの文化なのだと思います。

いろんな占いを、私もそれはすべてを信じているわけではないですが、それなりに当たってることもあると思ってて。結構影響も受けたり。でも、むしろ気にしてしまうのがいやで、朝テレビで「今日の運勢」が始まったら全力でチャンネル変えに行ってしまいます……(というかほんとにいろいろ、うちのブログの記事のこと話題にしていただいてすみません。ありがとうございます…)

>S3まで真相はわからないので、今はたっぷり悲しんでおこうかと…(100年遅く生まれた原作ファンの私は、リアルタイムで悲しめることさえ嬉しかったりします。ホームズに関してはもうちょっとしたMです)

こちらのブログのコメント欄のやりとりの中でのYOKOさんの文章「この夕日の向こうに、ジョンとシャーロックが生きてるロンドンがあるんだな」というのに、なんだかじんとしたのを覚えています。(YOKOさん、勝手にすみません)*ナツミさん、もし不適切だったら、この部分削除くださいね。
原作ファンの方にはそういったせつなさもあるんですよね。
でも私も、「リアルタイムでつい想像」(シャーロックについてもジョンについても)に喜びがないとはいえません。製作者の方たち、ファンのM要素を理解されてこんな焦らしを……?

>ゆいさんは、お仕事とか、学校の活動などで人を「育てた」ご経験があるのでしょうね。

そう言われて初めて気づいたのですが、確かにその影響が大きいかもしれません。
あと、姉の子育てを間近で見たり、友達の子育て話を聞いたりしたのもあるかもしれないです。こんなに小さいうちから、こんなに違うんだなあ、と。


>私は思うのですが、「『まわりの人に理解されていない人』を悪く思いたくない」という人がいるのは、人間の社会においてすごく大事なことではないでしょうか。ゆいさんが、その方をずっと好きでいられたか、だんだん嫌いになってしまったか、は全く別の問題として、誰かが誰かから悪く思われている時、「想像力を駆使して、糾弾されている側の気持ちを弁護しようとする」という人が「いる」ということ自体がまず尊いことだと思うんです。
複数の人が揃ってひとつの考えに「囚われる」ということは、とても怖いことだと思います。少数派が絶対正しいわけじゃなくて、理解されてない人だって悪いヤツは悪いと思います。でも、その「悪い」は、「その場での行動が適切ではない」を超えて、「あいつのすることは全て悪い」「あいつは嫌いだ」「あいつの存在自体が憎い」とエスカレートしてしまいやすいですよね。ゆいさんは、そういう強い流れの中でも理性的でいられる方なのだと思います。

「理性的」かはわからないですが(流れの中で、1人あらぬ方向に感情的になっているかもしれません(笑))そっか、「いろんな考えの人がいるからいい」と私もいつも思うのですが、そうですよね、その「いろんな考え」に、「私の妙な弁護」だって、入れてもいいかもしれない……んですよね。

>人に共感すること(自分の『好き』『嫌い』の感情が、極端な偏愛や憎悪に走って人を傷つけないようにコントロールできること)さえできれば、世の中には敵も味方もいていいのかもしれません。

なんというか、私はこのブログの、あったかくて真摯な雰囲気が本当に大好きでして。さすが、このブログのブログ主さんだ……!と、改めて、ファンになり直してしまってます。
私もがんばって、正月明け仕事に立ち向かいます!!

シャーロックのお導き - YOKO - 2013年01月04日 11:58:20

ゆいさん、ナツミさん、こんにちは。
お二人の往復書簡をうっとり拝見していましたら、私の名前も登場してて嬉しくなってコメントしちゃいます。
お二人の高尚なやりとり(なんて書くと、絶対お二人で束になって謙遜合戦が繰り広げられるのはようくわかってますので、どうかそこは割愛してくださいませ^ ^)の中におじゃましちゃってすみませんが、いろんな人と一緒に語り合えるのがブログというかネットの良いところですものねー。

ゆいさんのブログにはちょっと前におじゃまして、すごいなーと思ってたのですが、やっぱりお二人出会われましたね。この世界の不思議に対面した気分です。

YOKOさん!! - ゆい - 2013年01月04日 18:34:25

わあ、こんにちは!!
おかえりなさい!!!(…ってここで言ったら変?でしょうか……)

人生初のコメント書込みから始まって、高尚というより、なんというかその(あ、はい、割愛させていただきます…その、ほんとにあれなんですが…)やりとりさせていただいて、YOKOさんと実際にここでも会えたのが(自分のブログに来ていただけた時も『あの方が来てくださった!』と妙に興奮してたのですが、なんというか、こちらのブログのコメント欄を、読むだけの人間だった私が、今加わってて、お話できてるというのが)何だかとても不思議で、とても嬉しいです。(そして勝手に引用しちゃってすみませんでした…)

初詣のおみくじが微妙だったのですが、もう、シャーロック大明神を信じてついていくようにします!(そしてやっぱりバリツ!!)

充実の3が日 - ナツミ - 2013年01月05日 11:32:37

ゆい様

> 姪っ子(4歳)のしきりの元カルタ取りをしたり福笑い(その場でてきとーに作った)をしたり、お酒飲んだりしておりました。

楽しそうなお正月ですね~!その場で福笑い作成なんて、すごい~!しかし、4歳児がしきるカルタもすごそうだ!なんか、幼児ならではの過酷かつ非情なルールがありそう!

私は子育ての経験がないので、人間が赤ちゃんから大人になるまでを見届けたことがなくて。こどもの人生はもちろんお母さんとも叔母さんとも違うものだけれど、誰かの成長を見るということは、自分の人生を生きながら、もう一度人生をはじめから観察するようなものですよね。子育てをしている人の人生の密度を思うと、すごいなあと思ってしまいます(しない人は、その他の方面の経験値が上がっていくはずと思いますが、私はできているかなあ…)。

小さい時から人って違うんだ、とか、そういうことを実感できるのもいいですね。
もちろん環境によるものも大きいと思いますが、とても小さい時から違うと言うことは、やはり「持って生まれたもの」もあるのですね。

> 私はそういった礎となる知識がまるでないので、想像の上に想像を積み上げていて、なんというか、単なる妄想100%です。「ズームアップして『そこにそれがある!』と言ってるけど、それ、実際にあるの?」というものが土台という。実を言うと「うちのブログはそんなんです」ってことを言いたくてあの血液型の記事を書いたような(笑)

そうか、周到な「ブログ傾向紹介記事」だったのですね(笑)!
すべての血液型に触れてくださったので、自分や周りの人のこととして楽しみながら読めて、最後には無理なくゆいさんのおっしゃりたいことを飲み込めました。(そういう技術って、尊敬してしまいます。)

私は一応原作は読んでいるし好きなのですが、いわゆるシャーロッキアンの方々と違い、体系的な知識がない、とでもいいましょうか…事件が起こった年代なんかもいちいち覚えていないし、ドラマを観ていて「ああ、これはなんか覚えがあるような…」と思ってから本を引っ張り出して確認するような、非常に直感的・原始的な感じでやっているんです。こじつけがほとんどだし、もっと言ってしまうと「元ネタ探し」というのはただの切り口で、実際は自分の妄想を垂れ流したいだけなんだと思います。だから時々「解説サイト」とか「その件はここで説明されています」などと紹介していただくと、ありがたく思う一方でものすごく焦っています!「すみません!すみません!何にも解けてないし説き明かしてないんです!すべて妄想なんです!」みたいな……

> ついでに書きますと、こちらのブログのオープンな雰囲気は、私には到底真似のできないもので、そういうところに、私はとても憧れています。

それは本当に、書き込んでくださる方々に恵まれていると思います!
よく書き込んでくださる方も、一回だけの方も、本当に個性的で、あたたかくて。言葉だけでも「顔が見える」ような方ばかりです。コメントの終わりのほうでもずいぶん褒めていただいてしまってうれしいんですが、ブログ主はとってもクローズドな人間なので、「あったかくて真摯な雰囲気」は、書き込んでくださる方が作ってくださっているのだと思います。
もちろん、「いやだな」と思うような書き込みに対処しなければならない場面も今後出てくるかもしれないですが、開設してから今までにいただいたコメントのすべてが宝物で(もちろんゆいさんのもです!)、ブログだけのことではなく、今後の人生全般を力づけてくれると思います。ほんとにありがたいです。

思い切ってブログを始めてみたことで、「誰かからの言葉が力になる」というのが学べたので、クローズドな私も、最近はおずおずと人様のブログにコメントさせていただいたりしてます…そこでブログ主さんのお言葉をいただけると、また嬉しかったりして(ご迷惑かけてなければいいのですが…!)。ゆいさんのブログにもお邪魔させてくださいね。(ご迷惑かけそうな気がしてますが…!)

> むしろ気にしてしまうのがいやで、朝テレビで「今日の運勢」が始まったら全力でチャンネル変えに行ってしまいます……

そうなんですか!?私は凝視してしまうタイプです。(5分後には忘れてるけど…)
かなり前に日記欄でも紹介したのですが、(あ、YOKOさんのお誕生日の頃だったから、10月前半ですね)石井ゆかりさんという占いライターさんの影響が大きいかもしれません。石井さんの、読んでいる人の運勢を「いい、悪い」と決め付けず、客観的に、あたたかく語る姿勢がすごく好きなんです。もしよかったら覗いてみてください、あ、でも気になってしまう方には、「年報」なんて年単位で精神的負担になってしまうかもしれないので、ご無理はなさらないでくださいね!

「筋トレ」 http://st.sakura.ne.jp/~iyukari/

> 「理性的」かはわからないですが(流れの中で、1人あらぬ方向に感情的になっているかもしれません(笑))そっか、「いろんな考えの人がいるからいい」と私もいつも思うのですが、そうですよね、その「いろんな考え」に、「私の妙な弁護」だって、入れてもいいかもしれない……んですよね。

「理性と感情」難しいですね。自分のために誰かが感情的になってくれたら嬉しいという思いもあるし、感情に流されてはいけない、という思いもあるし。
ホームズとワトスンもよく「知と情」の引き合いに出されるけれど(理屈っぽくてカドがたっちゃうのがホームズで、情に流されちゃうのがワトスン)、シャーロックが感情的になっていてジョンが冷静な場面も、””SHERLOCK”にはむしろ多いような。二人しかいなくても「いろんな考え」があって、そこにもっといろいろな人の考えが絡んできて、その交わりから物事が動いていって、面白い物語が生まれていくんでしょうね。当事者たちは必死だから「面白い」というのは違うかもしれないけど、私たちもまた、物語の登場人物なのかもしれませんね。時には読者の目を持って、物語を面白くするために動くのも「あり」かな?

書いてる途中で出勤日や新年会をまたいでしまい、お返事が遅くなってしまってすみません!ゆいさんのお休みを奪ってしまったかもしれませんが、じっくりとお話できて、私にとってもすごく充実したお正月でした。また遊びにきていただけたらうれしいです!

YOKOさんのお導き - ナツミ - 2013年01月05日 11:53:30

YOKOさん、わたしからも、おかえりなさい!
ブログを拝見しました。とても楽しい台湾ご滞在だったようで、よかったです!
台湾でのお友達関係を見ていても、YOKOさんの「人を結び付ける力」ってとても人間業ではない!とクローズドな私は(あ、いろいろ割愛しますが)思ってしまいます。
シャーロックは確かにきっかけになってくれましたけど、YOKOさんのお導きで出会えた人もたくさんいます。シャーロックにもYOKOさんにも感謝しないと!

> 一緒に語り合えるのがブログというかネットの良いところですものねー。

本当ですね。私は家の近くにSHERLOCKや原作、グラナダシリーズなどを好きな人がいないので、本当にネットには感謝してます。怖いことや悪いことも起こるし失敗もするけれど、やっぱり私は誰かと言葉を交わすのが好きで、ネットに助けられて素敵な方々とお話ができる幸せを感じてます。

たびたび3 - ゆい - 2013年01月06日 11:04:01

>しかし、4歳児がしきるカルタもすごそうだ!なんか、幼児ならではの過酷かつ非情なルールがありそう!

ちなみに、実はカルタも、なかったのでその場で作りました(笑)
「あんぱんまん」「めろんぱんなちゃん」「ばいきんまん」「みゆ(実家で飼ってる猫の名前)」(画:姪っ子 文字:私)
「ねこ」「ねずみ」「いぬ」(画・文字:私)←あ、「ね」がかぶった、と思ったけど、そのまま使いました。
7枚しかないので一試合がとても短時間。
ルールとしては、
①札を読む人と試合に参加する人は姪っ子が決める。(たとえば「ゆい、きゅうけい!」と命じられたら参加できない。で、「やれやれ」とお茶とか飲んだりしてると、「ゆい、きゅうけい終わり!」と言われ、行くまで呼ばれ続ける。ちなみになぜかその時だけ、ママもおばあちゃんも私も全員、下の名前で呼び捨てにされていました)
②札は先に手を触れた人のものではなく、奪った人のもの。(誰が先に押さえてようと、姪っ子が掴んだら姪っ子のもの)*ちなみに私は大人げないので、姪っ子が手を伸ばすより先にさっと自分のところに取っておりました。
③お手つきし放題。

>こどもの人生はもちろんお母さんとも叔母さんとも違うものだけれど、誰かの成長を見るということは、自分の人生を生きながら、もう一度人生をはじめから観察するようなものですよね。

姉の子育てをかたわらでちょくちょく見られて自分はラッキーだな、と思います。あまりに大変そうに私には感じられて、自分で子供を育てるのは絶対無理だと思ってしまってますが……。
姪っ子が1歳の頃に私は仕事で新人の指導員をしていたので、それで余計いろいろ考えたのかもしれません。

>子育てをしている人の人生の密度を思うと、すごいなあと思ってしまいます(しない人は、その他の方面の経験値が上がっていくはずと思いますが、私はできているかなあ…)。

本当に、本当に、子育てというのは大変なことだと私は思っていて、そういう意味では私は世の中のすべての「お母さん」を尊敬します。そうして「人生を再体験してる感じ」と言うのを聞いたこともあります。すごく「視野が広がる」んだろうなあ、と、友達の話を聞いたりすると思います。
でも、すみません、こんなことわざわざ書くべきではないかもですが、「子育て」してなくても、「経験」不足でも(たとえば高校生くらいの段階ですでに)人について本当に「わかっている」ような素晴らしい人もいれば、さまざまな経験をされ何人もの子供を育て上げているのにとても狭量な、なんか大事なことを「わかってない」ように見える人もいる、と、私はどうしても思ってしまうんです……(その「わかってる」「わかってない」とかも私の個人的な尺度でしかないんですが。……ああ、どうしよう、やりとりを重ねるとブラック度が増すようです。すみません。)

>私は一応原作は読んでいるし好きなのですが、いわゆるシャーロッキアンの方々と違い、体系的な知識がない、とでもいいましょうか…事件が起こった年代なんかもいちいち覚えていないし、ドラマを観ていて「ああ、これはなんか覚えがあるような…」と思ってから本を引っ張り出して確認するような、非常に直感的・原始的な感じでやっているんです。こじつけがほとんどだし、もっと言ってしまうと「元ネタ探し」というのはただの切り口で、実際は自分の妄想を垂れ流したいだけなんだと思います。だから時々「解説サイト」とか「その件はここで説明されています」などと紹介していただくと、ありがたく思う一方でものすごく焦っています!「すみません!すみません!何にも解けてないし説き明かしてないんです!すべて妄想なんです!」みたいな……

なんというか、(もし失礼だったらすみません…)肩の力を抜いて読める感じというか、親しみやすいほっとする雰囲気があって、でも読んでいると「そうか!」と思わされたり、ナツミさんならではの見方にじんとしたりくすっと笑えたりする、ので、私はとてもナツミさんの文章が好きなんです。(あと、ここを知ったばかりの頃だと思いますが……私、「ハト派」と「タカ派」で夜中にひとりで大笑いしました……)

私はまだ原作をすべて読んでないですし(「SHERLOCK」を知ってから読みだしたらすごく面白くて数冊は読んだんですが、なんか読んでると幸せなんでもったいなくなってしまって、途中で「もうちょっと、元気出ない時とかのために置いておこう」←通勤時の読書でかなり気分が左右されるんで と中断しています…)原文なんてさっぱりなんで、こちらの記事で「そうなんだ!」と知ることが多いです。

そして、もう自分のことも開き直りますが、私は(自分のも他人のも)妄想大好きです。すべての「物語」は、はっきり言って誰かの妄想なんですから!!(ただ、「自分の妄想の上に妄想」より、「先人の偉大な妄想(つまり原作)の上に妄想」の方が、ちょっとかっこいいな~と私は憧れるわけです)

>ブログ主はとってもクローズドな人間なので、「あったかくて真摯な雰囲気」は、書き込んでくださる方が作ってくださっているのだと思います。

確かに読んでいて、素敵な方がいっぱいコメントされてるなあ、とは思ってましたが。でも私はやっぱり、「人が集まってくる」という意味でも、ナツミさんのお人柄が大きいと思いますよ!(すみませんが、誰が何と言おうと!!)

私のブログはそのような雰囲気とは程遠いですが、読んでいただけて、さらにコメントまでもいただけたりしたら、それはほんとにとっても嬉しいです。

なのでナツミさんにうちの方にもまた来ていただけたら、ほんとにほんとに嬉しいです。年末にコメントを書いていただいたのを読んで、私がどんだけ嬉しかったか!!私は嬉しすぎると逆に動揺して顔面蒼白になったりするんですが(←高校受験の合格発表時に他中学の子の写真の隅っこに写りこんでいて、1年でその子と同じクラスになり、「こんな顔してるから、この子絶対落ちたんだと思ってた」とか言われたんですが)もうそんくらい白くなって動揺してパニくってましたよ!こちらのコメント欄で、読んでいただいたこと事前に知ってなかったら、どうなっていたか……。
(ちなみに、YOKOさんに初コメントをいただいた時……その日はたまたま東京出張だったのですが(私は神戸在住です)、会議が終わって携帯を見てコメントいただいたことを知って私は一気に挙動不審になり、ちょっとこれはやばい、と自分でも思って、ブログを始めたことを誰にも言っていなかったのですが、言い訳したくて一緒に来てた仲良しの同期の子に、帰りの新幹線で洗いざらい話してしまいました……)

……って、こんなに「動揺する」って書いたら「じゃあ、やめておこう」と気を遣われてしまいますか……?その、動揺しますが、とにかくコメントいただけたら、嬉しいんです!!


>そうなんですか!?私は凝視してしまうタイプです。(5分後には忘れてるけど…)

>かなり前に日記欄でも紹介したのですが、(あ、YOKOさんのお誕生日の頃だったから、10月前半ですね)石井ゆかりさんという占いライターさんの影響が大きいかもしれません。石井さんの、読んでいる人の運勢を「いい、悪い」と決め付けず、客観的に、あたたかく語る姿勢がすごく好きなんです。

リンク貼っていただいたページを開いてみたら、私、この方の本知ってました!!
友達が「当たってると思うし、あと、この人の書き方すごく好き」といって持ってきてくれたのを読んだのを覚えています。
たしかその後自分の星座のをちょこっと本屋で立ち読みして、買おうかどうしようかすごく迷った挙句、「『今、すごくあの本が必要だ!』という時が来たら買おう!!(今はまだ大丈夫だ!)」みたいなことを思って結局買わなかったのですが。

私は基本的に占いを読むのが好きです。
でも、でも……朝のテレビの占いだけは……「最下位」とか言われると、なんかすごくへこむんで……っ(いえ私も5分後には忘れますが…)
(ちなみにYOKOさん!天秤座ですよね!?一緒です!!)


>「理性と感情」難しいですね。自分のために誰かが感情的になってくれたら嬉しいという思いもあるし、感情に流されてはいけない、という思いもあるし。

誰かが、自分と近い方向性で感情的になってくれてると、すごくありがたく感じられる時があったりします。逆に「この人は、私の言ったことをてきとーに利用しててきとーにいなしてくれる」という人(なんというか、例えば刑事ドラマの熱血な若手の手綱を握る落ち着いた先輩みたいな)がその場にいると、安心して感情的になれたりとか。

>ホームズとワトスンもよく「知と情」の引き合いに出されるけれど(理屈っぽくてカドがたっちゃうのがホームズで、情に流されちゃうのがワトスン)、シャーロックが感情的になっていてジョンが冷静な場面も、””SHERLOCK”にはむしろ多いような。

たしかにホームズは「知」という感じがするけど、シャーロックはなんか感情的なイメージですね。理屈を言ってても、なんだか感情的な感じが。(まくしたてることが多いから?)
ジョンも「情に流される」というよりは、「情を大事にしようとする」(もちろんそれは作為的ということではなくて、ジョンの自然な「情」から生まれてる気持だと思うんですが)感じで、むしろ理性的に見える……

>二人しかいなくても「いろんな考え」があって、そこにもっといろいろな人の考えが絡んできて、その交わりから物事が動いていって、面白い物語が生まれていくんでしょうね。当事者たちは必死だから「面白い」というのは違うかもしれないけど、私たちもまた、物語の登場人物なのかもしれませんね。時には読者の目を持って、物語を面白くするために動くのも「あり」かな?

私は脳内がかなり「物語」に浸ってる人間なので、
「気づいたけど見て見ぬふりした小さなことが……実は大変なことになるのでは?」とか「何かを得ると代償に何か失うのでは?」とか、「あの出来事は伏線で、今度こういうことが起こるのでは?」とか、現実生活でも反射的に妙な物語的因果律に縛られてものを考えてしまったりしますが……(でも因果律どおりになることはあんまりない、とこの年になってようやく分かってきた感じですが)
「物語を面白くするために動く」っていう感覚はいいですね!
(あ、でも、「面白い物語」にするには「主人公をとにかく苦境に立たせること」って何かで読んだような気も……)

>書いてる途中で出勤日や新年会をまたいでしまい、お返事が遅くなってしまってすみません!

とんでもないです!お疲れ様です!!
私も4日が出勤でしたが、うちの会社は新年初日の出勤日は半日勤務でいいという、ありがたい制度なんで……(そのかわり月曜が怖いのですが)

ってまた長々とすみません。
長い文章に何度もお相手いただいて申し訳ないなあ、と(これでも)思ってはいるんです……
でも書きたかったんです……

「めろんぱんなちゃん」が取りたい - ナツミ - 2013年01月07日 06:28:05

ゆい様

楽しいお正月の様子をありがとうございました!自作カルタ、かわいらしいですね!
しかし「きゅうけい」ルール(笑)!…やはり4歳児おそるべし!非情のライセンス…!!

> でも、すみません、こんなことわざわざ書くべきではないかもですが、「子育て」してなくても、「経験」不足でも(たとえば高校生くらいの段階ですでに)人について本当に「わかっている」ような素晴らしい人もいれば、さまざまな経験をされ何人もの子供を育て上げているのにとても狭量な、なんか大事なことを「わかってない」ように見える人もいる、と、私はどうしても思ってしまうんです……(その「わかってる」「わかってない」とかも私の個人的な尺度でしかないんですが。……ああ、どうしよう、やりとりを重ねるとブラック度が増すようです。すみません。)

なんとなく、ゆいさんのおっしゃりたいことがわかるような気もします。何においても、「これさえやれば必ず人として完璧になれる」ということはないんでしょうね。「大事なこと」の基準も、人によって違うわけですし。だから、「○○をしたから偉い、してないとだめ」と単純には言い切れないですよね。

> なんというか、(もし失礼だったらすみません…)肩の力を抜いて読める感じというか、親しみやすいほっとする雰囲気があって、でも読んでいると「そうか!」と思わされたり、ナツミさんならではの見方にじんとしたりくすっと笑えたりする、ので、私はとてもナツミさんの文章が好きなんです。

「失礼」なんてとんでもない!うれしいです!
正直、いかめしい書き方をしないと情報源として信用されない、ということはあると思います。でも、このブログに関しては、情報源として信頼されるサイトよりも、気軽に楽しんでいただける場をめざしたかったので、そう言っていただいて報われる思いです。(「ハト派」「タカ派」みたいなバカネタも笑って許していただけてありがたいです!)

> 私はまだ原作をすべて読んでないですし(「SHERLOCK」を知ってから読みだしたらすごく面白くて数冊は読んだんですが、なんか読んでると幸せなんでもったいなくなってしまって、途中で「もうちょっと、元気出ない時とかのために置いておこう」←通勤時の読書でかなり気分が左右されるんで と中断しています…)

う、うらやましいです…!まだ読んでないところがあるのは、先に楽しみがある、ということですもんね!このブログで「ネタバレ」してしまうこともあると思いますが、こちらは適当に読み流しつつ、原作を楽しんでくださいね!きっと新しい「発見」があると思います。その発見をまた、シェアしていただけたら嬉しいです。

石井ゆかりさんの本、私もそんな感じで悩んだ挙句、購入して手元に置いてます。本が好きな人にとっては手に入れることで力づけられたり、取り出して読むことで慰められたり、本というものに単なる「情報」以上の意味があるのですよね。

> すべての「物語」は、はっきり言って誰かの妄想なんですから!!

おお、名言…!
でも私は「自分の妄想の上に妄想」に憧れますよ~!何もないところから話を組み立てる、というのはすごいことです!
「物語」に浸る、というのもすごく共感しました。
私も、「気づいたけど見て見ぬふりした小さなことが……実は大変なことになるのでは?」と考えてしまうタイプで、たとえば急いで倉庫の鍵を閉めてしまったあとで(中に誰か閉じ込めていたりしないかしら…)という妄想に悩まされ、結局休日に見にいったり(それはただのうっかり者か?)まあ、99パーセント誰かが入ってたりはないんですけどね!あれ、これって自分を苦境に立たせてるんでしょうか……

> たしかにホームズは「知」という感じがするけど、シャーロックはなんか感情的なイメージですね。理屈を言ってても、なんだか感情的な感じが。(まくしたてることが多いから?)
> ジョンも「情に流される」というよりは、「情を大事にしようとする」(もちろんそれは作為的ということではなくて、ジョンの自然な「情」から生まれてる気持だと思うんですが)感じで、むしろ理性的に見える……

そうそう、ジョンの方が落ち着いてるんですよね。原作のホームズは「最初からすべてわかってる」という感じがするんですが、それはワトスンがある程度気を遣って書いてあげてるからで、実際は観察者の目を持ってるワトスンの方が冷静だったのかも、なんて考えるのも楽しいです。

そして、コメントについて。新幹線でお友達に嬉しさを語らずにいられなかったゆいさんのお気持ち、すごくよくわかります!私がこうしてコメントいただくと嬉しいのと同じで、やはり他の方もコメントがあると嬉しいんだなあ、ということを確かめられてありがたいです。(私はどうしても、『こんなことを書くと迷惑かなあ』などと後ろ向きに考えてしまって結局書かないことが多いので…)お言葉に甘えて、ゆいさんのブログに、またお邪魔させてくださいね!

妄想訂正 - ゆい - 2013年01月07日 22:11:17

<すべての「物語」は、はっきり言って誰かの妄想なんですから!!(ただ、「自分の妄想の上に妄想」より、「先人の偉大な妄想(つまり原作)の上に妄想」の方が、ちょっとかっこいいな~と私は憧れるわけです) >

って前に書いたの、なんだかこれだとまるで、自分はブログで一から何かを書いてると言ってるみたいだ、と気づきまして……。

「SHERLOCK」について、原作の知識を踏まえた妄想の方が、何も知らないで勝手に個人の頭だけで考えた妄想より素敵だな、と、そう言いたかったのです。ううう……すみません。

物語への浸かり具合もお仲間なのが嬉しいです。
私も日々そんな感じです。
そうですよきっと、「物語」を面白くするために自分を苦境に立たせて……毎日大冒険の濃い日々ということで。

ナツミさんとじっくりお話できて、とっても幸せでした。

ぜひまたお邪魔させてくださいませ。
そしてぜひともうちの方にもお越しくださいませ!

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Author:ナツミ
シャーロック・ホームズが好きです。どちらかというとワトスン君がより好きです。

『高名の依頼人』のこと書きましたが、6月24日までグラナダ版がGYAOで無料で観られるそうです。
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