最初の挨拶
パンダとジョン

BBC制作、現代版シャーロック・ホームズのドラマ「SHERLOCK」ファンのブログです。
①正典/聖典(原作)と比較しながらドラマを観て、元ネタ探し
②ドラマでまだ出てこない原作の事件は、SHERLOCKだとどんな話になるのかな?と妄想する

…を一人で(主にトイレとかお風呂で)楽しんでいたのですが、
さまざまな方にご意見をいただけたら楽しいだろうなあ、と思って始めました。
ネタバレ満載ですのでお気をつけください!
★原作の文章を引用する際、主に新潮文庫版(延原謙・訳)を参考にさせていただいております。
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アイリーン・アドラー

アイリーン・アドラーについて、私にはずっと「言いたいこと」がありました。
『SHERLOCK』のアイリーンに限った話ではありません。パスティーシュに描かれた彼女に出会うたびにもやもやと燻っていて、でも言葉にした途端に「いや、そういうことじゃないかも」と自分で否定してしまうような、まとまらない思い。
以前にもコメント欄でYOKOさんや神崎真さんとお話したことがありますが、その時の自分の発言を見ても、整理できていないなあ、と思います。

ひとつだけはっきりさせておきたいのは、原作でのアイリーン・アドラーを私はとても好きだし、『SHERLOCK』にしても他の映像化作品にしても、一人のキャラクターとしてはそれぞれに魅力を感じているということです。
「もやっ」の原因は、おそらくアイリーン・アドラーという人の「捉えられ方」と、彼女とホームズの関係性にあります。

アイリーンは悪女というか、ファム・ファタールというか、性的な魅力を武器に、狡猾に立ち回る女性と思われていることが多いと思います。
原作でもホームズをして「男子が生命を投げだしかねない美しさ」 と言わせるほどの美女として描かれています。

原作でのアイリーン・アドラーは、オペラ歌手。ホームズの索引によれば、「一八五八年米国ニュージャージーの生れ、最低女声音(コントラルト)歌手、スカラ座出演、ワルシャワ帝室オペラのプリマドンナを経て歌劇壇引退」。
現代版のアイリーンはベルグレイヴィアの素敵な家に住んでいましたが、原作では「セント・ジョーンズウッド区サーペンタイン広小路のブライオニー荘」という瀟洒な住宅に住んでいま した。セント・ジョーンズ・ウッドはビートルズのアビーロードがある地域ですね。検索したらどちらも高級住宅街だということはわかったのですが、どうして変更されたのか、違いが感覚的につかめないのが悔しい……単に「ボヘミア」と「ベルグレイヴィア」の語呂合わせなのかな?
ヴィクトリア朝において、芸能人であり、婚外の男女関係を結んでいて、男装して散歩するなど心のままに行動してしまうような彼女は、「ふしだら」で「まともではない」存在だったのでしょう。ただ、現代の意味において(『悪女』ではあっても)「悪人」であったかどうかは、原作からは読み取れません。アイリーンはホームズを「出し抜いて」はいるけれど、特に悪いことはしていない。ボヘミア王への「脅迫」はホームズ側からみれば悪事かもしれないけれど、はじめに裏切ったのは王の方だし、公平に見て犯罪というよりは恋愛関係の拗れなんですよね。
『SHERLOCK』でのアイリーン・アドラーは、いわゆるSMの女王様。原作以上にはっきりと「セックスワーカー」です。その職業が道義的に正しいものかどうかは、私には今ここでは断言できませんが、人に迷惑をかけずに誰かの需要を満たしているなら、悪いこととは言い切れないと思います。
原作でアイリーンがしていた「脅迫」は、愛する人と再出発するためのただ一度の「自衛」だったかもしれないのに対して、現代版ではさまざまな相手から脅迫の材料を集めていたようです。そもそもどうしてクライアントから情報を収集するようになったのか、理由がはっきり描かれていないので(本人は「自衛」と言っていますし、確かに危ない橋を渡る職業なんでしょうが、人を脅迫してまで……?って思ってしまうのは私の頭が固いのかな)、視聴者から見たらやはり「悪人」ということになるのではないでしょうか。
ホームズの「紳士にあるまじき」変人ぶりと、アイリーンの「淑女にあるまじき」行動力は、少なくとも原作では公平に描かれているのに、二次創作になると、アイリーンだけ「悪さ」を強調されてしまう。

もっとも、ホームズだって誇張されたり誤解されたりしている部分があるのですから、「アイリーンだけ」という言い方はそれこそ公平ではないですね。
『SHERLOCK』という作品は、ホームズを21世紀の若者として再創造する、という大胆なアレンジを施しながらも、その「変換」が原作への深い理解と緻密な分析を基にしている、という点が素晴らしいのですが、私には「アイリーンだけステレオタイプの悪女に見える」という不満があり、それを「あー、所詮男性目線で作られた作品なんですよねハイハイ」と短絡的に「一個人としての社会への不満」に結び付けてしまった。それが「もやっ」の一因ではないか、と思います。

しかし私は、『SHERLOCK』の製作者が言いたかったことを理解しきれていなかったのかもしれません。
そう思ったきっかけは、NHKの人形劇『シャーロックホームズ』です。

『シャーロックホームズ』ではホームズを15歳の少年に、物語の舞台を寄宿学校に置き換えています。
この作品にも、原作へのこだわりが詰まっていますよね。『SHERLOCK』と同じように、原作を読み解き、その世界を大胆に再構成しています。
オペラ歌手のアイリーンの役割を学園内に設定するとしたら「音楽の先生」か「歌のうまい少女」ではないかな、と思いきや、「保健室の先生」なんですよね。しかし彼女のナースとしての有能さは描かれない。「保健室に来る生徒のほとんどは仮病」というような台詞もありました。まあ、そういう子との関わりも養護教諭の大事な仕事ではあるのですが、この作品に関して言えば、「保健室の先生」という設定にはフェティシズムの匂いを感じます。
原作のホームズや、『SHERLOCK』のシャーロックが決してアイリーンに感じていなかったであろう、「年上の女性・白衣の天使への憧憬」を伴った描写に、製作者の目くばせが見えてしまうんです。「保健室の先生!イイでしょ?この設定ならホームズも恋しちゃうでしょ?」みたいな……シチュエーションに助けられて、年長の美女に優しく(あるいは厳しく)してもらえるという、風俗サービスに向けるような欲望を感じる(私もジュード・ロウのワトスンの軍服姿にときめいてしまうクチなので、決してそういう男性を責めているわけではないのですが)。
15歳のホームズも、彼女の美貌や属性ではなく頭の良さに惹かれたのかもしれない。でも、少なくともこの設定自体には、原作やアイリーンというキャラクターの「中身」へのこだわりはあまり感じられません。
思えば現代版のメアリもナースでしたが、そちらは「有能さ」をメインに描かれ、いわゆる「ナース萌え」は見当たりませんでした。もちろん海外にも「ナース萌え」も「年上の女性萌え」もあるでしょうが、保健室の先生がマドンナ的存在である、というのは日本の「学園もの」におけるある種の「お約束」なのだと思います。
アイリーンはその時代、その文化のフェティシズムを背負わされるキャラクターなのかも。性的倒錯の象徴的存在である「SMの女王様」という設定は、そういう観察を突き詰めた末の結論だったのかもしれませんね。

もうひとつ気になるのは、ホームズとアイリーンの関係性。
原作では、この二人の間に恋愛は描かれません。アイリーンにはノートンという新婚の夫がいますし、この二人が不仲だったとか偽装結婚だったとかは、少なくとも作中には書かれていません。
ただ、彼女の写真を譲り受けて大事に保管し、何十年も後の「最後の挨拶」においても彼女の名を出したホームズの行動に、「恋愛感情」を読み取ることはできます。アイリーンの賢さを声高に讃えながらも、パートナーとしては彼女を選ばなかった(立場上仕方のないことなんですけどね。アイリーンもそのリスクは承知してたはず)ボヘミア王から「写真を譲り受けた」という行為は、「自分のほうがアイリーンの良さを分かっている」と行動で示しているようにも見えます。
アイリーンとノートンの結婚式はホームズの口から語られるだけで、ホームズ以外の誰もノートンの姿を見ていない、というのも「実は、ホームズとアイリーンは恋愛関係にあった」と考える人々の論拠になっているようです。
これは、アイリーンの行く末をジョンもマイクロフトも知らず、シャーロックだけが知っているという『SHERLOCK』の描写につながるかもしれません。
ついでに言えばジョンたちがアイリーンを「死んだ」と思いこむ(S2の時点では、視聴者にも『アイリーンを逃がしたのはシャーロックの妄想じゃないか』と思う人がたくさんいたと思います)のは、原作でワトスンが"the late Irene Adler"(故アイリーン・アドラー、または旧姓アイリーン・アドラー)という表現を使ったため、記録時点での生死が明らかになっていなかったことのパロディなんでしょうね。

原作『ボヘミアの醜聞』は、こんな風に結ばれます。

And that was how a great scandal threatened to affect the kingdom of Bohemia, and how the best plans of Mr. Sherlock Holmes were beaten by a woman’s wit. He used to make merry over the cleverness of women, but I have not heard him do it of late. And when he speaks of Irene Adler, or when he refers to her photograph, it is always under the honourable title of the woman.

以上が、ボヘミア王国を脅かした一大醜聞事件の報告であり、ホームズの功名な計画が、一婦人の機知によって、いかにうち挫がれたかという話の一条である。ホームズは以前よく女の浅知恵と笑い囃したものだが、近ごろはいっこうにそれを聞かなくなった。そしてアイリーンのことや、彼女の写真のことが話に出ると、彼は必ず「あの女(ひと)」という尊称をもってするようになったのである。



女性に負けた、という経験はホームズにとってエポック・メイキングな出来事だった。アイリーンがホームズの女性観を変え、ホームズがアイリーンをまたとない女性として認めたのは間違いないです。でも、男が女を理解する、認める、という行為は恋情を伴うものばかりではないはずだ、と思います。
恋愛至上主義、と言ったら大げさですが、「頃合いの」相手が登場したら恋愛に結びつけてしまう考え方も私の「もやっ」の一因かもしれません。いや、恋愛に結び付けるのは自由なんですけど、だったら「恋愛はしない」と言うホームズにだってそういう風に生きる権利はあるわけで、なんとなく「多数派の傲慢」みたいなものを感じるのかも。

現代版ではノートンの存在は描かれず(アイリーンはゲイと自称していて、取り巻きらしき女性は出てきますが、ノートンのようなパートナーではない感じ)、アイリーンがシャーロックを愛していた、ということになっています。
シャーロックからのアイリーンへの想いは、彼女のスマートフォンを譲り受けて保管し、アイリーンの存在を「あの女性(the woman)」として「消去」せずに記憶する(S3の『マインドパレス』描写でちゃんと出てきますね)、という原作通りの描写に留まっています。原作ではアイリーンの想い<ホームズの想い、だったのが、現代版では逆になっているわけです(シャーロックもアイリーンのために作曲したりしてるので、一概に『逆』とはいえないかもしれませんが)。
この「逆転現象」が、推理力勝負の結果に絡んでいるのにも結構もやっとしました。原作のアイリーンはホームズに頭脳戦で勝っていて、それゆえ「忘れられない人」になっていたはずなのに、これじゃこてんぱんだよ!って。
恋愛は勝ち負けではありませんけど、恋してしまった結果頭脳戦に負け、命まで助けられるとは……いったい何をもってthe womanなのか。原作でのアイリーンの写真には、ホームズにとっては「(探偵としての)己の慢心を諫める」効果があったと思いますが、現代版のスマホは、あえて勝ち負けで言えば「完全勝利の記念品」にしかならない。だとすると、シャーロックがスマホを手元に置いた理由は、彼女の能力に対する敬意ではなく、人として人を想う気持ちだった。『SHERLOCK』s製作者の解釈によるthe womanは、はっきり「恋愛」まではいかないとしても、やっぱり「そっち寄り」なわけですね。
思えば、この作品はシャーロックの探偵としての活躍を描きつつも、お話の軸は彼がジョンを始めとするさまざまな人に関わって、変容していく姿です。先に引用したように、原作にもそういう要素はありますが、現代版はより「人間」としての変化に重点を置いている。アイリーンも、好敵手でありつつ彼の「人間性」に大きな影響を与えた人物として描かれているとしたら、"the woman"という称号も「能力」への敬意抜きの方がいい、ということなのかな。
私なんかが今更言うことでもないですが、やっぱりとても良く練られた脚本なんですね(もちろん、『人間性』と『能力』、『尊敬』と『恋愛』にはっきりと境界線を引くことなんてできないので、我ながら不毛なことを言っているとは思うのですが)。

それはさておき、ここにも「保健室の先生」現象を感じます(現実の保健室の先生方には何の恨みもありませんよ!)。
つまり、作り手の「女性に対する考え方」が反映されてる気がします。人形劇『シャーロックホームズ』にあるのが強い女性への憧憬だとしたら、『SHERLOCK』のそれは、強い女性から牙を抜いてしまいたい、という衝動。
ただ、公平に言って、アイリーンばかりがそういう目に合っているわけでもないんですよね。シャーロックも、精神的にも肉体的にも文字通りこてんぱんにやられてますし、第3シリーズのジョンとメアリなんて、もう修羅場としか言いようがない状態に陥る。モリーも恋愛では結構ひどい目に遭っています。
でも、どの人も虚飾を完全に剥がされた上で、たくましく立ち上がってくる。紳士淑女としての気遣いは一切ない、人間同士の生々しい対決がそこにはあります。
裸になったところから積み上げていく強さや信頼が、この作品における人間関係のテーマなのかもしれません。

結局のところ、アイリーンの扱いに関して私の考えが整理できないのは、扱いの善し悪しのせいではなく、「女性を見る目」について普段から感じているもやもやを持ち込んでしまうから、だったようです。
アイリーンはホームズにとって、自分と同等か、それ以上の能力を持つ女性。
その彼女に向ける思いが、尊敬なのか、愛情なのか、はたまた別の何かなのか、知るすべはありません。だから、さまざまな解釈が生まれてくる。そこに「美女」だったり「奔放」だったりというアイリーンが持つ要素への、さまざまな見方も絡んできます。
「美形」とか「天才」とか、目立つ特徴を持った人に、私たちは偏った見方をしてしまいがちなのかもしれません。私は目立たないタイプなので、いわゆる「キャラが立っている」人が羨ましかったりもしますが、際立った特徴を持っていると、「派手な美人だから遊んでるはず」(人によっては『清楚な美人なんだから控えめに振る舞うべき』になるんでしょうが)、とか「頭がいいから性格は悪そう」とか、勝手なイメージを押し付けられるところから人との関係を始めなければならないのかもしれない。なかなか、ステレオタイプなイメージを裏切る部分を見てもらえない、ということになりますよね。「男と女が揃ったら恋愛が始まる」というのも、まあ動物としてのひとつの真理なのかもしれないけど、そうならない人もいる。

二次創作による物語は、それぞれの時代や文化の「人を見る目」の結晶でもある。
でも、保健室のアドラー先生が周りの男を弄ぶだけの人ではなかったように、また、現代版アイリーンが厳重にロックされた想いを隠し持っていたように、人には中身があります。人と人との関係だって、多種多様で良いはずです。
自分以外の人間が考えていることを、私たちは知らない。
当たり前のことのようですが、そういう事実を教えてくれるのも、また物語なのだなあ、と思います。

(原作からの引用はすべて延原謙訳)
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この記事へのコメント

アイリーンVSシャーロック・ホームズ - 篠田真由美 - 2015年04月19日 09:29:21

大変興味深く拝読しました。実はつい昨日アイリーン・アドラーが主人公のパスティーシュ『おやすみなさい、ホームズさん』を読了したところで、悪くはないけどいまいちだったなあ、的な感想だったもので、そのことも想起しました。

こちらのアイリーンは行動力も頭脳も抜群の美女で、でも悪女とはいえない。ボヘミアの皇太子と恋仲になって本気で王妃になることを夢見るけど、父王の病死で即位した新王が彼女に与えようとしたのは田舎の離宮で王の来るのを待つ妾の身分で、彼女はロンドンへ逃走する。知能に優れているというわりには、貴族でもないのに真剣に王妃になれると信じるあたり、少々不自然。そしてホームズは存在感ゼロのつけたしだったので、そのへんも物足りなかったです。

人形劇は見ていなかったので、そちらとの比較は出来ませんが、アイリーンとシャーロック・ホームズの対決に関する限り、アイリーンが勝利してホームズに彼女への敬意と記念の写真が残る原作の方が、シャーロックが勝利してアイリーンは敗北して退場する『Sherlock』より、フェミニズム的にも進んでいるような気がしてしまったのでした。

変更の理由 - 篠田真由美 - 2015年04月19日 10:24:02

何度もゴメンナサイ。現代版のアイリーンの住まいがベルグレーヴィアに変更された理由ですが、原作のアイリーンの住まいは別荘風の家、つまり長屋形式のタウンハウスではなく一戸建てに住んでいます。一方現代では、ロンドンの中心部で、一戸建ての家というのはあんまり多くなく、ほとんどが4階建て程度のタウンハウスで、それでも天井の高さや間口の広さでグレードはあり、現代版の彼女の家はかなり高級な部類にはいると思います。
きっちり見て回ったわけではないので、想像で補っていますが、現代のセントジョーンズウッドには、一戸建ての家はそんなにないのかも。あったとしてもさすがに豪邸過ぎて、独身女性の住居としてはリアリティに欠けるのかも知れません。一方現代のベルグレイヴィアは、各国の大使館なども多いセレブっぽい街のようで、現代版アイリーンにふさわしく見えるのかも。

Much ado about Irene - ナツミ - 2015年04月19日 16:33:21

篠田真由美様

ありがとうございます!

『おやすみなさい、ホームズさん』、私はとても好きなのですが、確かにちょっと無理のある展開ですよね。
原作との整合性と、アイリーンやネルへの読者の共感と、どちらも得ようとして欲張っちゃったのかな、という印象があります。
クライマックスでのネルの活躍は、ホームズファンにとってはこれ以上ないほどの晴れ舞台なんですけど、女性としては切ない場面。その二つがあいまって、私なんか興奮するんですけど、これって特殊な性癖というかニッチ過ぎる需要で、「ネル、かわいそう。アイリーンひどい」というのが公平な見方ですよね。

> こちらのアイリーンは行動力も頭脳も抜群の美女で、でも悪女とはいえない。ボヘミアの皇太子と恋仲になって本気で王妃になることを夢見るけど、父王の病死で即位した新王が彼女に与えようとしたのは田舎の離宮で王の来るのを待つ妾の身分で、彼女はロンドンへ逃走する。知能に優れているというわりには、貴族でもないのに真剣に王妃になれると信じるあたり、少々不自然。そしてホームズは存在感ゼロのつけたしだったので、そのへんも物足りなかったです。

この作品のアイリーンは元気で、頭がいいわりに無邪気で、処女性もあって、いかにも現代のヒロインという感じ。アイリーンとネルはホームズとワトスンの鏡像なのかもしれませんが、アイリーンがアメリカ人で、ネルがイギリス人という設定がホームズたちと違うところで、そこに「後世に書かれたパスティーシュ」ならではの俯瞰があるのでしょうね。
『おやすみなさい~』のアイリーンは、若くて怖いもの知らずだった「アメリカ」の象徴なのでしょう。「独身の貴族」でアメリカという国への期待を語っていたホームズは、アイリーンを見守るお父さんのような存在、ということなのかな。(といってもたった四歳差という設定ですし、『おめざめですか~』以降の展開も楽しみですね)

> 人形劇は見ていなかったので、そちらとの比較は出来ませんが、アイリーンとシャーロック・ホームズの対決に関する限り、アイリーンが勝利してホームズに彼女への敬意と記念の写真が残る原作の方が、シャーロックが勝利してアイリーンは敗北して退場する『Sherlock』より、フェミニズム的にも進んでいるような気がしてしまったのでした。

フェミニズムのという観点で観ると、おっしゃる通りなのだと思います。
どうしてフェミニズム的「後退」が起こったのでしょうか。
現実はともかく、現代のドラマにおいてはむしろ女性賛歌が目立つというか、男が悪者にされがちなので、意識的にひっくり返したのかなあ……。
ソースを失念していて申し訳ないのですが、現代版の製作者は「ネットでのファンの予想を観察していて、それを裏切るようにしている」と言っていたような気がします。
女は理性より感情が先に立つ生き物だ、というのは子どもを育てる性としての変えられない現実かもしれないのですが、「それはともかく女性だって人間で、男性に頭の悪い人といい人がいるのと全く同じように、女性にも頭のいい人がいるよ」とホームズに学ばせたのが原作だとしたら、社会の構造が少しずつ変わって(変わり切ったとは決して思いませんが)、そういうことが「常識」になった(はずの)現代においてこの作品を作り直す時、「視聴者の予想をひっくり返す装置としての製作者」が考えそうなのは、「アイリーンを負けさせる」か、「女性の特質を生かす」か、どちらかなのかもしれません。
後者は新味がないんで(峰不二子的アイリーン像は、ガイリッチー版がやったばかりですしね)、前者になったのかなあ。私は、峰不二子的ではない女性らしさでアイリーンを勝たせて欲しかったのですが。

こういう自転車操業的な作り方って、ストーリーテリングとしては邪道なのかもしれませんね。でも「その時の社会」の影響がふんだんに盛り込まれるので、観てる方としてはすごく興味深かったりします。製作者も一つの洗練された物語というよりも、皆で作り上げる社会現象というか、意図的に切り貼りされたモンスターとしてこの作品を扱ってるような気がしています。

すっかり話が逸れてしまってすみません!「ベルグレイヴィア」についてのご教示もありがとうございました。
ロンドンの住宅事情に納得しました。確かに、あの展開はフラットでは無理です!

『おやすみなさい、ホームズさん』でノートンがブライオニー荘にアイリーンたちを案内する場面でも、「ボヘミアン的な地域」という表現がありましたね。現代において、高級住宅地でありながら異国の風も感じられる、アイリーンにぴったりの場所が現代のベルグレイヴィアなんですね。(現代版アイリーンは英国人という設定ですけど、どこにいても異邦人であるような、独特の佇まいですよね)
白を基調にしたお城のように美しい建物も、原作に出てきた四輪馬車や、アイリーンの少女っぽい一面を感じさせてくれてよかった。(アイリーンのサイトが画面に映ったときは、この人『蝋人形の館』みたいな家に住んでるんじゃ……薄暗くてはさぞ携帯も探しづらかろう、と勝手に心配してました)

アイリーンに関しての考えってなかなかまとまらず、今回の記事もスッキリしないものになってしまいましたが、自分の社会への考え、女性というものへの考え、それから女性としての考えに連動して、今後も変わっていくのではないかな、と思っています。
個人的でごちゃごちゃした思考を経ているので、長い上にいつも以上に拙い話しぶりになってしまいましたが、「興味深い」というお言葉をいただけてうれしいです。バタバタと暮らしていると、作品に関する感想や考察だけならともかく、その根底にある、基本的な考えまでも織り込んで話し合える機会って、そうそうありません。お付き合いいただけて、本当にありがたいです。

少年ホームズから見たアドラー先生 - ak - 2015年04月19日 21:14:04

ナツミ様

こんばんは。
アイリーン・アドラーとホームズの関連ですが、パペット版中心の私からすると、ホームズに取って、アドラー先生とは心の恋人的存在でもあり、そして、頼れる大人という印象を強く受けます。結構、ピノキオと仙女の関係にダブらせたりしたりもしていますし。
この仙女、そしてアドラー先生もそうですが、必ずしもホームズに構うわけではなくて、肝心な所でほったらかしたりしている。ピノキオなりホームズなりの精神的自立を促すためのものとも取れますが、しかしこの辺でそろそろ出て来ても…と思うのに登場せず、ピノキオはサメに呑み込まれるし、ホームズは、最終回で先生にお別れを言いたいのに保健室は閉まったままです。しかも、合理性と現実を重んじるホームズにしては、誰もいないのがわかっているのに、3回も足を運んでいる。ひょっとしたら戻っているんじゃないか…というかすかな希望がある、でも裏切られる。
そして、ミルヴァートン先生に「新婚旅行に行っている」と聞いて落胆する。あの最終回は、モリアーティ教頭との対決、ワトソンとの別れもさることながら、アドラー先生と別れることに関するホームズの思いがかなり強く出ていたと思います。幻まで見てしまうわけですし。
少年のホームズはまだ青臭さがありますが、原作、またはグラナダ版のホームズとアイリーンの関係が、大人のホームズが、アイリーンを通してボヘミア国王と向き合うものだとすると、篠田様、ナツミ様お二人のコメとも関連しますが、『シャーロック』のは明らかに大人の男女的、しかもある意味男性優位的な感じですね。パペットつながりになりますが、『新・三銃士』のアトスとミレディーがちょっとダブります。

それとこちらですが
>こういう自転車操業的な作り方って、ストーリーテリングとしては邪道なのかもしれませんね。でも「その時の社会」の影響がふんだんに盛り込まれるので、観てる方としてはすごく興味深かったりします。

実はパペホにも同じものを感じます。明らかにこれも視聴者参加型なのですね。この場合は人形劇だから、視聴者からのパペットを募ったり、パペットの展示をやってみせたりする。最初からシリーズが決まっていて、それを機械的に放送するというのではなく、その時々で視聴者が求めるもの(あるいはそれの裏をかくもの)を作ると言うのは、新しい試みかなとも思われます。

学園に置き換えると考えやすいですね…… - ナツミ - 2015年04月20日 07:06:25

ak様

人形劇って作るのにすごく時間がかかりそうなので、シリーズ通してのお話がだいたい決まってから製作されたのかと、なんとなく思っていました。視聴者が参加できる部分があっても、それは話の筋そのものに影響しないものかと思ってたのですが、どうなんでしょう。私はテレビで見る以上の情報を持っていないので、公式ブックなどを見ていませんから、そういう記述があったのかもしれませんね。
昨今は大抵の番組に公式サイトなりSNSのアカウントなりあるようなので、スタッフが視聴者の反応を見ていることは確かですよね。

> アイリーン・アドラーとホームズの関連ですが、パペット版中心の私からすると、ホームズに取って、アドラー先生とは心の恋人的存在でもあり、そして、頼れる大人という印象を強く受けます。結構、ピノキオと仙女の関係にダブらせたりしたりもしていますし。
> この仙女、そしてアドラー先生もそうですが、必ずしもホームズに構うわけではなくて、肝心な所でほったらかしたりしている。ピノキオなりホームズなりの精神的自立を促すためのものとも取れますが、しかしこの辺でそろそろ出て来ても…と思うのに登場せず、ピノキオはサメに呑み込まれるし、ホームズは、最終回で先生にお別れを言いたいのに保健室は閉まったままです。しかも、合理性と現実を重んじるホームズにしては、誰もいないのがわかっているのに、3回も足を運んでいる。ひょっとしたら戻っているんじゃないか…というかすかな希望がある、でも裏切られる。
> そして、ミルヴァートン先生に「新婚旅行に行っている」と聞いて落胆する。あの最終回は、モリアーティ教頭との対決、ワトソンとの別れもさることながら、アドラー先生と別れることに関するホームズの思いがかなり強く出ていたと思います。幻まで見てしまうわけですし。

仙女もアイリーンも、教育のために突き放しているというよりはただ気ままに振る舞っていて、突き放された事実が結果的に少年に現実を教えている……ということでしょうか。そんな少年時代があったら女性恐怖症になりそうだ……

> 少年のホームズはまだ青臭さがありますが、原作、またはグラナダ版のホームズとアイリーンの関係が、大人のホームズが、アイリーンを通してボヘミア国王と向き合うものだとすると、篠田様、ナツミ様お二人のコメとも関連しますが、『シャーロック』のは明らかに大人の男女的、しかもある意味男性優位的な感じですね。パペットつながりになりますが、『新・三銃士』のアトスとミレディーがちょっとダブります。

私はak様のコメントを読んで、現代版シャーロックとパペットホームズの共通点に思い当たりました。両者とも性的に未熟、なんですね。『SHERLOCK』においては面と向かって童貞扱いされたことが反撃の引き金になり、少年ホームズなんかなす術がない。原作ホームズの「恋愛に興味がありません」宣言はそれを主義として認めてくれる人には主義で済むけど、コンプレックスと捉える人はそこを叩くために、セクシーアイリーンを送り込む。だんだん「もやっ」の原因がわかってきた。ホームズに勝たせるのって、オタク少年からチアリーダーへの逆襲、という意味合いもあるのかも。
あえて「勝ち負け」を学園内の人間関係に持ち込むとしたら、保健室の先生って、「頭で勝てない」という要素もありますね。さまざまな意味に置いて、未熟な時代の裸を見せているわけですから。逆に、知識を教える先生は、知識だけだったら子どもでも超えられるかもしれないし、チアリーダーには卒業後に逆転勝ちできるかもしれない。

まとまらないコメント返しをしてしまってすみません!お付き合いいただけて嬉しいです。
なんだかホームズ話の枠を(私が勝手に)超えて(私が)暴走気味になってきた気もするのですが、お話していてとても楽しいです。楽しいのは私だけだったらお許しください!

決闘のような恋 - 篠田真由美 - 2015年04月20日 09:38:16

 すみません。パペットホームズがわからないので、相変わらずBBCの話だけです。私はシャーロックの救出劇はドリーム説で、それはいまとなっては制作者の意図ではないと完全に明かされた感ですが、なんで自分がそれに未だに釈然としないかということを考えると、シャーロックにうち負かされたあげく、命まで助けられたらアイリーンの完全な敗北が明らかになってしまうから、そこが嫌だという気持ちがあるらしい、と気づいたのでした。

 シャーロックとアイリーンは対等であって欲しい。シャーロックは自分がリーディングできないアイリーンという存在に、恋ではなくとも強く惹きつけられる。アイリーンはシャーロックの知性に惹かれると同時に、彼を自分の前にひざまづかせて赦しを請わせたい獲物と意識する。ふたりの「恋」はどちらも、相手を得るのではなく、打ち負かしたい、つまりは決闘のようなもの。

 アイリーンはキーワードも恋心の発露というより、一種のいたずらだと考えていた。それを敢えて「恋だ」と言い切るのはシャーロックの攻撃。自分も意識していなかった恋愛感情だが、アイリーンがそれを否定できなかったのはなにより、キーワードを当てられた敗北があったから。この上彼女がシャーロックに救出されたのなら、彼女はもはや女王ではない。打ち負かされた女は「アイリーン」とはいえない。

 でもまあ、制作者の意図はシャーロックがアイリーンを救出し、最終的に彼女に勝利した、ということらしい。ケースブックを見るとシャーロックは本名で航空券を買ってカラチに飛んだので、マイクロフトは当然それを知っている。ではなぜわざわざジョンに彼女の死を告げにいったのか。そのへんが今度はモヤモヤしてきて、ゆいさんの「監視カメラ説」を採用したくなってしまう。解答をひとつに収斂させない、とというのがこのドラマのあくどい手だとは思いつつ、やっぱりモヤモヤいたします。

恋愛と友情と敵意のあいだ - ナツミ - 2015年04月21日 22:58:32

篠田真由美様

アイリーンの一方的な敗北が嫌、というお気持ちわかります。
私の場合はちょっとジェンダー論がごっちゃになったような不満が混ざり、篠田様の場合は、原作通りの好敵手であってほしい、というわけですね。そういう意味でのthe womanでなければ、「アイリーン・アドラー」ではない、と。

>  シャーロックとアイリーンは対等であって欲しい。シャーロックは自分がリーディングできないアイリーンという存在に、恋ではなくとも強く惹きつけられる。アイリーンはシャーロックの知性に惹かれると同時に、彼を自分の前にひざまづかせて赦しを請わせたい獲物と意識する。ふたりの「恋」はどちらも、相手を得るのではなく、打ち負かしたい、つまりは決闘のようなもの。

すごく納得しました。
初期の頃(2011年のログでRMさんとお話したと思うので、多分日本での放映前かすこし後くらいかな)マーティン・フリーマンが「これはラブストーリー」と言ってて、恋愛と友情の境界線って何か、と考えたことがあったんです。
私には未婚の友人がわりと多いのですが、女どうしで暮らしている友人もいて、その中にはお互いに恋愛感情がある人もない人もいます。すごくお互いを大切にしている友人同士もいれば、冷え切ってる夫婦もいる。一緒に暮らしていても、二人の間の関係がどんなものなのかは、他の人にはわからない。

シャーロックとジョン、シャーロックとジム、シャーロックとアイリーン、全部「ラブストーリー」なのかもしれませんね。
同性婚や事実婚が認められた社会では、人間関係の定義はどんどん曖昧になり、他人が割り込んで名づけをすることがナンセンスになっていくのかもしれません。緊急時だというのに何が何でも式を挙げなくてはいけなかった、アイリーンとノートンの時代とは違うんですよね。
(という一つの見解を学びつつも、まだまだ原作と比べてああだこうだ言う気満々ですけど……)

>  でもまあ、制作者の意図はシャーロックがアイリーンを救出し、最終的に彼女に勝利した、ということらしい。ケースブックを見るとシャーロックは本名で航空券を買ってカラチに飛んだので、マイクロフトは当然それを知っている。ではなぜわざわざジョンに彼女の死を告げにいったのか。そのへんが今度はモヤモヤしてきて、ゆいさんの「監視カメラ説」を採用したくなってしまう。解答をひとつに収斂させない、というのがこのドラマのあくどい手だとは思いつつ、やっぱりモヤモヤいたします。

ケースブック、公式とはいえ、どこまで本編と足並みが揃っているのかと疑問に思う部分もありませんか?あれがジョンの備忘録という設定だったら、ジョンもシャーロックの航空券を見ているんだから、カラチに行ったことを知っていないとおかしいですよね。また、マイクロフトは何でも知っていてもおかしくはないのですが、調べさせたこと以外は知らないだろうし、結局彼がどこまで万能かは、脚本家のさじ加減ひとつかと……。
(もちろん、そういうメタ要素を抜いたところで色々推理するのが楽しいわけで、『ケースブックがあてになるか』とか『制作者がどうのこうの』とか言うのは野暮の極みなんですが……)

- ak - 2015年04月22日 23:55:41

ナツミ様

こんばんは。
私もお話ししていてとても楽しく感じます♪返信いつもありがとうございます。本来BBC版なのに、パペット版やたらに引っ張って来て何だか申し訳ないです

>昨今は大抵の番組に公式サイトなりSNSのアカウントなりあるようなので、スタッフが視聴者の反応を見ていることは確かですよね。

あ、すみません。ちょっと紛らわしい書き方をしてしまいましたが、本筋よりも、PR方法に視聴者の、ツイッターでのリクエストが結構反映されているといった感じですね。多分今夏放送分までは、事前に収録してあると思われます。

>仙女もアイリーンも、教育のために突き放しているというよりはただ気ままに振る舞っていて、突き放された事実が結果的に少年に現実を教えている……ということでしょうか。そんな少年時代があったら女性恐怖症になりそうだ……

結構その節はありますね。ここまでは手伝ってあげるけど、後は自分でやりなさいといった感じですから。ホームズの場合、もし原作通りに大人になっても探偵になったとしたら、女性に関心がない主義はそれから来たりしていて。

>両者とも性的に未熟、なんですね。
>原作ホームズの「恋愛に興味がありません」宣言はそれを主義として認めてくれる人には主義で済むけど、コンプレックスと捉える人はそこを叩くために、セクシーアイリーンを送り込む。
>ホームズに勝たせるのって、オタク少年からチアリーダーへの逆襲、という意味合いもあるのかも。

女性に関心がないゆえの「強さ」かな、と思います、ある種孤高の精神といえるのかもしれませんが、自己完結しているうちはそれでいいにしても、そこに女という別の存在が入りこむことによって、プライドがずたずたにされてしまうところはある。その壊れたプライドを取り戻す意味で、アイリーンに、俺の方がお前より上なんだぞという姿勢を取らせるような方向に持って行っているのかもしれません。
パペットでいえば、少年であるため、自分を突き放すようなアドラー先生には太刀打ちしにくいから、下級生で自称弟子、しかも自分より先に「踊る人形」の暗号を解いたアガサに当たり散らすし、イザドラのラブレターを取り上げて勝ち誇った気になる。
そういう、女性や女の子を異性として見るよりも、自分に取ってどこか邪魔な相手と見る意識を持った存在として、シャーロックのキャラ設定をしているのかと思います。
尤も『ボヘミアの醜聞』をベースにしたドラマや映画の数だけ、ホームズとアイリーンの関係も存在するわけで、たとえ原作と関係は変わり、the womanの定義が多少異なったとしても、観る側に取ってそれは面白いし、制作側の意図も感じることが出来ると思います。

それと前々回の「シャーロックの家族」のコメで

>教えてくれた人にakさんのお言葉を伝えたところ、大変喜んでいました!
>私もラグビーに興味がわいてきて、田中選手のこといろいろ検索してしまいました。

どうもありがとうございます。
蛇足ながら、田中選手は今度の試合でスタメン出場です。

- billylab - 2015年04月24日 17:46:36

皆さんのやり取り、興味深く拝見しております。
(すみません、なんとなく出たり入ったりして…コメント欄から急にフェイド
 アウトする謎の人になりかけてます。(汗))
拝見していて思うのは、アイリーンには その人の持つジェンダー感が
盛られるのかな〜という気がします。女性も男性も。
自分は三谷版を見ていないので、akさんには 不躾なコメントすみません…という
ことを前提に、パペット版にも三谷幸喜氏の女性観が盛られている気がして
しまいます。
男性諸氏には、アイリーン・アドラーは 結局 シャーロック・ホームズのファム
ファタルと捕らえる傾向があるのかなぁ。無意識的にも。
でも 女性の目からは そんな気ないねん、なんですが(汗)
akさんの表現されているシャーロック少年とアイリーン保健の先生は、まるで
三谷幸喜氏と元奥さんのように見えました。
モファット氏も、なんだか奥様の手の上で転がってるなぁと常日頃感じており
まして。(^^;)
個人的な感想なのですが、モファット少年がホームズ読んだ時、
アイリーンに歯牙にもかけられなかったのが、相当悔しかったのかな(・_・;)
って思ってました。
まさに、モファット氏の気持ちが↓かな〜、と。
> ホームズに勝たせるのって、オタク少年からチアリーダーへの逆襲、という
> 意味合いもあるのかも。
奥さんは「 ┐(´д`)┌ はいはい、好きにおやりなさい」ですが〜。

- F - 2015年04月24日 23:02:56

お久しゅうございます、ナツミ様。新年初コメです。
いつも楽しく内容を読ませて頂いております。

男性目線としての率直な感想としては「果たしてフェミニズムや恋愛感情の要素を持ち出す必要性はあるのだろうか?」という疑問です。

原作でも現代版でも、アイリーン・アドラーは悪人であると明確に描写されている場面はありませんよね。
自衛手段を持つ人物として疎まれている女性として描かれているのみです。
美女であるという容姿に関しても原作・現代版共にホームズ・シャーロックは全く無頓着であり、あくまで才能に対して敬意を払っているように見えます。

もちろん現代版シャーロックでは、上手くノセられて政府の任務をご破産にするような失態を招いた後、それを逆手に取って逆転するという要素が盛り込まれているわけですが、これは原作のアイリーンが男装したことでホームズの目を欺くという逆パターンのオマージュでもあるわけです。
原作では「女性である」という点を突いてボヤ騒ぎを起こすことで写真を取り戻したことを自慢そうに語るホームズに対して「男装した」アイリーンが接触、見事に逃げ切って手紙によるカウンターパンチを食らわせています。

知性で応酬できる相手、それがたまたま女性であるという点で the woman なのでしょう。

> 確かに危ない橋を渡る職業なんでしょうが、人を脅迫してまで……?
地位の高い相手に性的サービスを行う立場なら、それを負い目とする相手、或いはそれを快く思わない周辺の人物に対して自衛手段を持つのは当然かと。
実際問題、自衛手段(スマホ内の情報)を持たずにいれば、インターホンを押した相手にいきなり銃で撃たれてしまえばおしまいですからね。

Much ado about Irene は上手い! と 思ったもののやはりいいタイトル浮かばず…onz - billylab - 2015年04月25日 17:59:25

連投すみません。
そして Fさんの男性からの感想も 興味深く拝読いたしました。
それなのに ちょっと巻き戻しをしてしまいます、すみません。

篠田さんのブログを拝読しながら、そうそう、最初は アイリーン・アドラーは
シャーロック・ホームズの好敵手であるべき、勝敗をつける必要があったのか?
という感想だった…と、思い出し、蛇足ながら 追伸させてくださいませ。
(篠田さんの所で ナツミさんのご意見、篠田先生のご意見、と、ロジックに
 語られておられたので、自分の 曖昧な書き込みの不備に気づきました!
 ありがとうございますm(__)m)
アイリーン・アドラーには、本来は 女性の目から見ても 納得がゆく賢さが
あったのですよね。
自分は男女には差があるものだ思っておりまして、男性には男性の得意分野、
女性には女性の得意分野があるのだから、各々の土壌で優位性を発揮する
べきと思っています。
(どっちが上ということではなく、無理をしてまで 互いの土壌に食い込む
 ことが 男女の平等とは思わないなぁという程度ですが)
例えば BBC版では、アイリーンはシャーロックと同じように頭が良いとされ、
まるで女版シャーロックだとジョンは表現していますが、
その出発点から なにかが 違う気がしています。
アイリーンはシャーロックと違う部分で頭が良い、逆もしかり、その部分が
互いにかなわないと認める部分で、リスペクトするのだ…と、
あって欲しかったです。
勝敗をつけて彼女の賢さも全否定、リスペクトはないのね? という感じです。

> 思えば、この作品はシャーロックの探偵としての活躍を描きつつも、
> お話の軸は彼がジョンを始めとするさまざまな人に関わって、
> 変容していく姿です。
…とすれば、「モファティスはこう思う。ゆえにSHありき」ということで、
まだ みな、未熟期だからしょうがない のかな。

改めて「ボヘミアの醜聞」を読んでみた - 篠田真由美 - 2015年04月26日 12:13:28

屋上屋を重ねる議論になってしまいますが、アイリーン・アドラーを論じるなら、原作とそれ以後の二次創作の内容を峻別する必要があろうかといまさらのように思いました。コナン・ドイルはワトソンシステムの創始という意味でエンタテインメントの歴史に大きな功績を果たしましたが、ヒーローと対峙する女性キャラクターの創造もそれに劣らぬ発明だったと思います。

ヒーローが正義の味方なので、対立物であるヒロインにはどうしても一種「悪の翳り」がつきまとい、にもかかわらずヒーローを魅了し、そのことによって無敗であるべきヒーローに煮え湯を飲ませることが許された、特権的なキャラクターです。ルパン三世の峰不二子はまさしくアイリーンの直系ですが、アルセーヌ・ルパンとカリオストロ伯爵夫人、明智小五郎と女賊黒蜥蜴のような、より明確な悪女タイプもこの系譜に入ろうかと思います。女賊はヒーローに敗北しますが、黒蜥蜴は自殺してヒーローの手を逃れ、ヒーローはこれに賛辞を送ることとなります。

改めて「ボヘミアの醜聞」を再読すると、この話のホームズはかなり冴えません。相手を女性ということで軽く見て、「女というものは」「どんな落ち着いた女でも」といった種類の発言を繰り返し、そのくせ221Bの鍵を出そうと(大家さんは留守だったのかな?)もたついているときに声を掛けられて、「どこのやつだろう」と首をひねっているところなど、ほとんどただの凡人です。
それだけこの時代、女性いうものは軽んじられるのが当然で、男装する女などそれこそ噴飯もののあばずれで、ホームズもそんな可能性は頭に浮かばなかった、その種の世間的ジェンダー感からは自由ではなかったということかも知れませんが、短編シリーズの開幕を当の名探偵の敗北から始めるというのも、なかなか大胆不敵な手だともいえます。現代人にとってはホームズの方が抜けているように見えてしまい、いささか呆気ない幕切れだとも思えてしまうのですが、そこはやはり「ヒーローを出し抜くことを許された、女性的魅力と男性的胆力を兼ね備えた、正義ならざるヒロイン」という新しいキャラクターを創造した作家の手腕を賛美したいと思います。

こうした視点を踏まえて、改めてBBCドラマのアイリーンを考えてみたいと思うのですが、ドラマを再見しましてからまた近い内に。

パペット版のような過去が…… - ナツミ - 2015年04月26日 16:34:47

ak様

パペット版のお話も大歓迎ですよ!(もともと私がパペット版を引き合いに出したのですし!しかもなんかパペット版製作者マザコン説をぶちあげてしまったようで申し訳ないです……念のため書いておきますが、そういうつもりではありません。)


> あ、すみません。ちょっと紛らわしい書き方をしてしまいましたが、本筋よりも、PR方法に視聴者の、ツイッターでのリクエストが結構反映されているといった感じですね。多分今夏放送分までは、事前に収録してあると思われます。

そうなんですね。ツイッターは製作者と視聴者が直接お話がしやすい雰囲気なのがいいですよね。
そろそろパペットホームズ君たちが恋しくなってきたので、夏の放送が本当に楽しみです。

> 結構その節はありますね。ここまでは手伝ってあげるけど、後は自分でやりなさいといった感じですから。ホームズの場合、もし原作通りに大人になっても探偵になったとしたら、女性に関心がない主義はそれから来たりしていて。

うーん、あのホームズ君が大人になったら、女性に関心がないというよりは、アイリーン先生を超える女性がな現れない、というのが正直なところ、ということになるのかな。
考えてみれば、ホームズは「愛情は判断を狂わせる」ということを知っているんですよね。関心がないというより、女性にかまけている時間がもったいない、というのが正確なところかな。だとしたら、恋愛で理性を保てなくなった経験があるのかな。それとも他者の事例をもとにそう判断しているだけなのか。


> パペットでいえば、少年であるため、自分を突き放すようなアドラー先生には太刀打ちしにくいから、下級生で自称弟子、しかも自分より先に「踊る人形」の暗号を解いたアガサに当たり散らすし、イザドラのラブレターを取り上げて勝ち誇った気になる。
> そういう、女性や女の子を異性として見るよりも、自分に取ってどこか邪魔な相手と見る意識を持った存在として、シャーロックのキャラ設定をしているのかと思います。

そうそう、パペット版で「なんとなくわかっちゃう」と言うアガサに負けるのは面白かったですね。
これは原作で「女性の直感を僕は信じます」と言ってることにつながってくるのでしょうが、こうも負けるとは!そして、こういう「論理ではない部分」にホームズは勝つ術を持たない、というわけですね。
ただ、シャーロックの「能力」に対する意識は、徹底して老若男女平等じゃないかな、と思うんですが、どうでしょう。モリーにしても、ハドスンさんにしても、認めるところは認め、けなすところはけなしていると思うんですが……

> 尤も『ボヘミアの醜聞』をベースにしたドラマや映画の数だけ、ホームズとアイリーンの関係も存在するわけで、たとえ原作と関係は変わり、the womanの定義が多少異なったとしても、観る側に取ってそれは面白いし、制作側の意図も感じることが出来ると思います。

本当にそうですね!


> 蛇足ながら、田中選手は今度の試合でスタメン出場です。

コメントをいただいてからだいぶ時間が経ってしまったので、もう試合は終わってしまったでしょうか。
頑張って欲しいです!

から騒ぎだったらすみません - ナツミ - 2015年04月26日 17:55:15

billylab様

2件もコメントをいただき、ありがとうございました!御返信まとめてしまってすみません。

billylabさんはアイリーンに小林聡美さんの影を……ちょ、ちょっと意外でした。あまりイメージが一致しなかったので。
そして、モファットさんとスーさんの関係も、あまり作品に絡めて考えたことがなかったので意外でした。
ただ、意識的に「身内を出す」というのは前から気になってます。よくあることなのか、この作品が特別なのかはわからないのですが……

> 自分は男女には差があるものだ思っておりまして、男性には男性の得意分野、
> 女性には女性の得意分野があるのだから、各々の土壌で優位性を発揮する
> べきと思っています。
> (どっちが上ということではなく、無理をしてまで 互いの土壌に食い込む
>  ことが 男女の平等とは思わないなぁという程度ですが)

ホームズには女性の「感情が行動にあらわれてしまう」という特性を「浅はかさ」として見ていた、しかし、その「決めつけ」こそが男性の浅はかさだ、とアイリーンに思い知らされた、ということになるのでしょうか。
(もちろん感情を表さない女性も先入観のない男性もいるはずですが、この作品の文脈に沿えば……)
実質的に男性優位の時代だったから、というのもあるのでしょうが、アイリーンの手紙が低姿勢なのも皮肉な感じがしますね。

> アイリーンはシャーロックと違う部分で頭が良い、逆もしかり、その部分が
> 互いにかなわないと認める部分で、リスペクトするのだ…と、
> あって欲しかったです。

原作のアイリーンが「芝居」で勝ったように、現代版アイリーンの得意分野も、描く気になれば描けたはずなんですよね。
少なくとも性経験の豊富さでは絶対に勝っていて、シャーロックなんぞには決してわからん(←言い切った)男女、もしくは女女、男男の「機微」を知ってるはずです。それなのに!瞳孔と心拍数なんぞで!逆にこてんぱんにされるとは!(『瞳孔を意図的に開く』っていうの原作の『瀕死の探偵』にあったから、それもトリックかと思ってたのに!)

> 勝敗をつけて彼女の賢さも全否定、リスペクトはないのね? という感じです。

アイリーンへのリスペクトのなさ、確かにそこは「もやっ」としたところ!
シャーロックがアイリーンを助けてあげて、アイリーンが笑顔になるというのは、一人で戦ってきたアイリーンにとっての救いではある。でも、リスペクトじゃないんですよね。篠田先生の「か弱いお姫様に貶めた」という表現がぴったりだと思います。
もちろん、女性が男性に大事にされて助けられることが、能力で男性に打ち勝つことに比べて悪いというわけじゃない。でも、時代の流れには明らかに逆行してる。そこに「どうして?」という疑問が芽生えてしまうんですね……

> …とすれば、「モファティスはこう思う。ゆえにSHありき」ということで、
> まだ みな、未熟期だからしょうがない のかな。

もちろん疑問を呈する私もさまざまな意味で未熟なわけで……たとえば、ジョンが「嘆きの乙女」なんて言われちゃうことにはそれほどもやっとしないんですよ。むしろ「ああそうだね」って思ってるかも……
ジョンはジョンならではの良さがちゃんと描かれてる、というのはもちろんあるけど、アイリーンに関しては同時代、同世代の同性ということで過敏に反応してしまう、という感は否めません。要するに、フラットな見方ができていない。私自身成長できたら、また解釈が変わっていくのかもしれません。

思い込みって怖い! - ナツミ - 2015年04月26日 18:02:07

F様

まず、私はF様が男性だということにまったく気づいていませんでした!
そして、ここでお話する方のほとんどを、私は勝手に女性だと思い込んでいるんですが、それって私の思い込みなんですよね。SHERLOCKの話をするのに、いちいち性別を名乗る必要はない。性差を感じるのって、受け取り手の問題なんだなあ、とつくづく思いました。

>男性目線としての率直な感想としては「果たしてフェミニズムや恋愛感情の要素を持ち出す必要性はあるのだろうか?」という疑問です。

結局、そこに尽きるのですよね。Fさんや皆さんとお話していてわかったのですが、ドイルの原作はその点がフラットに描かれているんですね。ジェンダー論や恋愛を持ち込むのは読者の問題で、読者としての私が、同じ読者である『SHERLOCK』制作者の読み方にもやっとしている、ということなんでしょうね。

>原作では「女性である」という点を突いてボヤ騒ぎを起こすことで写真を取り戻したことを自慢そうに語るホームズに対して「男装した」アイリーンが接触、見事に逃げ切って手紙によるカウンターパンチを食らわせています。

なるほど、二つのエピソードは呼応しているんですね。気づきませんでしたが、現代版アイリーンに私が期待していた「女性ならではの勝ち方をして欲しい」という望みは、原作で達成されていたんだ!(女性ならではの勝ち方、という表現にはちょっと語弊がありますが、女性であるという点を突かれたから男性の振りをしてだまし返す、というのはまさに私の言いたいそれで、女優という彼女自身の技能を生かしているのも巧いですよね)
現代版でもシャーロック側にはこの時の手法がそのまま使われている。アイリーン側の「男装」エピソードは「どんな変装も結局自分自身の投影」という名セリフと共に、裸でシャーロックを迎えて推理の余地をなくす、というエピソードに変換されてますね。これはこれですごくいい。前半は原作通りにアイリーンの「勝ち逃げ」で、私の「もやっ」は後半に集約されているのかな。

>地位の高い相手に性的サービスを行う立場なら、それを負い目とする相手、或いはそれを快く思わない周辺の人物に対して自衛手段を持つのは当然かと。
実際問題、自衛手段(スマホ内の情報)を持たずにいれば、インターホンを押した相手にいきなり銃で撃たれてしまえばおしまいですからね。

あ、いつもながら言語力不足でうまく表現できなかったのですが、現代版アイリーンが自衛手段を持たなくてはならない、というのは理解できるんです。
ただ、脅迫という自衛手段を日常的に必要とするような立場を選んでいる、という設定自体が「アイリーンを悪として描いている」ような気がしたのです。原作の時代の芸能人も似たような目で見られていたかもしれませんが、篠田真由美さんも言及なさっている『おやすみなさい、ホームズさん』などを読むと、「オペラ歌手=高級娼婦」ではなかったようですし、少なくとも原作ではアイリーンの手紙という形で「誰彼かまわず脅迫していたような人物ではない」という弁明がされていました。(もちろん、その裏を読む解釈も許されるわけですし、二次創作者が設定を変えるのも自由なんですが、あくまでわたしの『もやもや』の原因追及のための文章ということでご理解いただければ……)
まあ、どのあたりまでを「エンターテイメントとしての」良識の範囲内、とするか、の意識の違いかもしれませんね。私にとっては、脅迫というのは穏やかでなく、ジョンやシャーロックが人を撃ったのと違って何のエクスキューズもない以上は受け入れがたい気がしてしまうのですが、身分が高くてお金持ちで「そういう趣味」がある人は脅迫されても仕方ないんじゃないか、というのが社会の総意だとしたら、目くじらたてることもないかもしれない。

アイリーンなるもの、とは - ナツミ - 2015年04月26日 19:12:32

篠田真由美様

ドイルがワトソン・システムの創始者、とは存じていたのですが、アイリーンが「ヒーローと対峙する女性キャラクター」の元祖だった、というのは知りませんでした!漠然と、もっと前からいるような気がしていました。

「ヒーローを出し抜くことを許された、女性的魅力と男性的胆力を兼ね備えた、正義ならざるヒロイン」……アイリーンって、かなり複雑なキャラクターですね。「悪女」として性的魅力で正義の味方をたぶらかすばかりのキャラクターではなく、そういう要素を持ちながらも「能力」で主人公と対峙することができ、ヒーローからリスペクトされる。そして、「天使の側」と「悪魔の側」を自由に行き来することができる。

「自由」というのは「アイリーンなるもの」のキーワードかもしれないですね。
姫であり、騎士である。味方であり、敵である。
こんなチート設定、魅力的でないはずがない……現代版は、そこをあえて打ち壊したかったのかなあ。

原作を読み返すと、アイリーンはその時代としてはたいへんなあばずれかもしれないけれど、絶対的に悪いことは別にしてない、という気がしてきますよね。少なくとも、ドイルは肯定的に描いていると思います。

> 改めて「ボヘミアの醜聞」を再読すると、この話のホームズはかなり冴えません。相手を女性ということで軽く見て、「女というものは」「どんな落ち着いた女でも」といった種類の発言を繰り返し、そのくせ221Bの鍵を出そうと(大家さんは留守だったのかな?)もたついているときに声を掛けられて、「どこのやつだろう」と首をひねっているところなど、ほとんどただの凡人です。
> それだけこの時代、女性いうものは軽んじられるのが当然で、男装する女などそれこそ噴飯もののあばずれで、ホームズもそんな可能性は頭に浮かばなかった、その種の世間的ジェンダー感からは自由ではなかったということかも知れませんが、短編シリーズの開幕を当の名探偵の敗北から始めるというのも、なかなか大胆不敵な手だともいえます。

「敗北から始める」という構成は確かに不可解で、私も気になっていました。
ただ、私はホームズを間抜けとは思わなかったんです。素直に負けを認めたホームズには「この人、ステレオタイプな正義の味方とはどこかちがう」と思いましたし、いきなりホームズが出し抜かれるという構成には、「必ずホームズが勝つわけじゃないんだ!」とわくわくしたものです。
まあ私の場合子どもだったのもあり、読者としての点数が甘かったのかもしれませんが、きっと当時の読者もわくわくしたんじゃないでしょうか。男装の麗人というモチーフにも、一定の需要があるような気がします。

> こうした視点を踏まえて、改めてBBCドラマのアイリーンを考えてみたいと思うのですが、ドラマを再見しましてからまた近い内に。

ありがとうございます、楽しみにお待ちしております!

そういえば、「大家さんは留守だったのかな」というお言葉で気が付いたのですが、このお話は「なぜかハドスン夫人じゃなくてターナー夫人がお盆を持ってくる」回でもありましたね!すっかり忘れてました……

大昔の過去記事「お隣の大家さん」
http://sherlock221b.blog.fc2.com/blog-entry-55.html

カラチから遅れて来ました - れすとら - 2015年04月27日 01:15:58

ご無沙汰しています!カラチはもちろん嘘ですが、遅れて参加させていただきます。やっぱり盛り上がりますね、この話題。みなさまのやりとり、楽しく拝読させていただいております。

もうだいぶ論じ尽くされているようなのですが、
映像化作品の場合、SHの「唯一の女性」としてアイリーン・アドラーを出したがること、更にアイリーン・アドラーが小者だとがっかりします。そこが彼女へのモヤモヤで、『SHERLOCK』のアイリーン設定は好きです。

ナツミ様の
>シャーロックとジョン、シャーロックとジム、シャーロックとアイリーン、全部「ラブストーリー」なのかもしれませんね。

私もそう思って見てきました。
「天才の心は天才にしかわからない」とよく言いますから(一種幻想かもしれない)。ジョンは別の種類の人なので置いておいて、ジムとアイリーンはマインドパレスに住んでいる位、SHが意識する強烈な存在ですね。性別関係なしに意識してしまう大きな存在。

篠田様の「決闘のような恋」、すてきですね。
以前カラチのシーンは夢か真かというお話で、私はシャーロックの性格設定から「実際に助けた」説を取りましたが、今はドリーム説もいいなと思います。

>なんで自分がそれに未だに釈然としないかということを考えると、シャーロックにうち負かされたあげく、命まで助けられたらアイリーンの完全な敗北が明らか になってしまうから、そこが嫌だという気持ちがあるらしい、と気づいたのでした。

「勝ちか負けか」、という意味では
SHも理性に反した行動(救出はそう見える)を取っている、取りたいと思っている(ヒーローを夢見る)なら彼も敗北しているように思います。アイリーンだけが救出されるお姫様に貶められていないともとれます。両方とも敗北、それまでの自分の生き方と違うことをやってしまっているから。

SHは実体験はないけれど、犯罪捜査を通して人間の欲望が起こすことを追体験していて、一方アイリーンは仕事で人間の欲望に接し、多分すごくさめた目で研究し尽くしている人と見ています。二人とも「欲望の研究」をしていると。実体験の分、アイリーンに出し抜かれる。

あと、原作マジックとでも言いますか、BBC現代版にはすごくきいています。
他のフィクション作品に知性も体力も行動力もセクシーさも備えた男性に負けないスーパーヒロインが沢山いるのに、なぜか同時代作品のはずのBBC現代版でアイリーンの能力にこだわって論じてしまう。「エレメンタリー」もまだ半分くらいしか見ていませんが、こちらはかなり原作との距離がある分、原作マジックが及んでこないような。

原作についてですが、ボヘミア国王は「身分違いでなければきっと立派な王妃になったであろう」とかいまだにすごーく未練があり結婚したと聞いてふさぎ込む。三谷版を出して何ですが、「ちょっと脅しただけ、本気じゃないし、いつまでも興味があると自惚れないで」とアドラー先生(校長と不倫して脅していた)はさっさと若いノートン先生に乗り換えるのもリアリティがあると思います。そして結末、国王の差し出した指輪を受け取っていたらただの事件解決だし、指輪なしにまず「何でも与えるから申せ」と言われていきなり「写真くれ」というホームズだったら嫌です。宝石に目もくれず、だからSHの敗北エピソードでも物語として印象的なのかなと思います。

ナツミ様の「瀕死の探偵」の瞳孔のエピソード、ベラドンナをつかっているのですね。余談ながらベラドンナは一種の麻薬成分で当時は瞳を大きく見せるために化粧品として使われていたと以前別の本で読んだことがあります。ベラドンナの意味も「美しい女性」です、確か。

最後になりましたが制作者の身辺が出る説、おもしろいですね(^_^)b

- F - 2015年04月27日 11:13:49

そういえば確かに性別は明かしてませんでしたね。
特に重要なことではありませんので明記していませんでした。

> ドイルの原作はその点がフラットに描かれているんですね。
ある意味では、そうですね。
当時の社会背景としての記述としては男尊女卑だとも言われるかもしれませんが、少なくとも女性は知性の面で劣っていると高を括っているホームズはカウンターパンチを食らってしまうわけですから。

また、皆さんはホームズ(シャーロック)とアイリーンの対決について「勝敗」を重要な点として上げられているようですが、結局のところは原作・現代版共に、どちらが勝った・負けたという決着の仕方はしていないかと考えます。

原作では、ホームズは女性としての行動パターンを読むことでアイリーンから写真を奪取していますが、男装して接触してくることは読めずに逃げ切られています。要するに痛み分け、引き分けといったところですね。
一方の現代版では、シャーロックはアイリーンにノセられて政府の重要任務をご破産にする真似をしてしまいますが、彼女の心理的機微を読み取ってこれを挽回しています。これも痛み分けで引き分けといえるでしょう。

カラチでのアイリーン救出の件ですが、これは夢ではなく事実だと考えられます。
カゲロウ男事件の際、思考過程でアイリーンがチラッと登場するシーンがありますが、この時点で彼女が未だに存命していることを知っているのはシャーロックだけです。(ジョンは彼女が命を落としたものと信じていますが)
シャーロックとアイリーンは、マイクロフト、ひいてはイギリス政府を欺く一種の共謀関係に落ち着いたものと推測できます。シャーロックの性質と行動パターンを鑑みれば兄のマイクロフトを出し抜いてやろうと考えるのが妥当でしょう。散々、面と向かってコケにされたことですし。
いうなれば単純な対立関係から、勝敗が絡まない協調関係へと転じた可能性が高いように思えます。(この場合はシャーロック/アイリーンvsマイクロフト/イギリス政府という構図になりますが)
まぁ、マイクロフトの方でも、それに気付いていても黙認しているのかもしれません。

少々脱線してしまいましたが、原作の全ての面を真逆に置き換えると現代版になるということですね。

- ak - 2015年04月27日 20:51:48

ナツミ様

こんばんは、返信ありがとうございます。
皆さんそれぞれのアイリーン観がうかがえて、興味深いですね。

>うーん、あのホームズ君が大人になったら、女性に関心がないというよりは、アイリーン先生を超える女性がな現れない、というのが正直なところ、ということになるのかな。
考えてみれば、ホームズは「愛情は判断を狂わせる」ということを知っているんですよね。関心がないというより、女性にかまけている時間がもったいない、というのが正確なところかな。だとしたら、恋愛で理性を保てなくなった経験があるのかな。それとも他者の事例をもとにそう判断しているだけなのか。

この場合は15歳にして既にアイリーン・アドラーと接しているから、大人になった時もう一度似た経験をするのか、その時はどう切り抜けるのかといったことも想像してみると、私としては面白いかなと思います。
「愛情は判断を狂わせる」のも仰る通りでしょう。愛情のみならず、何かにつけて感情を持ち込むというのを、ある意味意識して避けているようにも取れますし、メアリー・モースタンを素敵だというワトソンに、「そうかな、気が付かなかった」という辺りなどは、その典型かとも思われます。

>こういう「論理ではない部分」にホームズは勝つ術を持たない、というわけですね。

パペット版でもそうですし、BBC版やグラナダ版などでもそういう部分があるかと思います。自分で論破できない部分だからもどかしく感じるわけですね。まして15歳の少年だと、大人としての処世術はまだない(結構大人びた部分はありますが)から、余計自分のプライドを傷つけられたことで感情が出やすいのでしょう。

>ただ、シャーロックの「能力」に対する意識は、徹底して老若男女平等じゃないかな、と思うんですが、どうでしょう。モリーにしても、ハドスンさんにしても、認めるところは認め、けなすところはけなしていると思うんですが……

あ、すみません。「シャーロック」というよりパペットのホームズ君ですねこれ。シャーロックは一応大人ということもあるのでしょうが、能力主義なところがあり、その意味で男女平等というのはうなずけます。

それとbillylabさんの作り手の意図が入るという指摘には納得です。三谷氏ご本人も、子供の頃ホームズみたいになりたくて、高校生の時アガサ・クリスティのような映画を作りたかったけど、結局御破算になったなどということもあったようですから、三谷氏の理想とするホームズ像が多分に投影されているかと思います。
あと、れすとらさんが書いておられる「ちょっと脅しただけ、本気じゃないし、いつまでも興味があると自惚れないで」という言葉を吐くアイリーンの、現実を見る、いわば情に溺れない姿勢もまたホームズを惹きつけたとも考えられるかもしれません。それともう一つ、れすとらさんの記述にあるベラドンナは、確かに黒目を美しく見せるものであり、イタリア語のbella donnaがそのまま名称になっていますね。
蛇足ながら、かのシーボルトもこれを点眼料として使っていたようです。

これに関して、少し前にBBC版を観たのですが、もう一度観てみようかと思います。またグラナダ版とパペット版も、もう一度おさらいで観たいと考えています。

アイリーン・アドラーの先駆者 - 篠田真由美 - 2015年04月28日 08:36:47

 アイリーン・アドラー・タイプはコナン・ドイルの発明、という私見について、ロンドン在住の読者さんからコメントをもらいました。1864年頃、女性探偵(Lady Detective とか Female Detective)の活躍する大衆小説が書かれて人気を博した、ということがあったそうです。スカートから足を覗かせたり、たばこを吸ったり、という、ヴィクトリア基準からしたらはしたないこともしていたそうで、残念ながら知的能力については不明ですが、なかなかの活躍振りだったような。

 現代の小説やドラマでは強い女が溢れていますが、現実に男女がジェンダーでなくその能力と個性のみで評価されているかといえば、そんなことはありません。小説的な想像力の世界は現実と完全には重ならないので、「実際にこんな女がいたら困るけど、お話の中では悪くないね」という受け取られ方が、19世紀後半には生まれてきていた、というくらいかと思います。実際作品を読んでみないとそれ以上の評価はできないのですが、そうした作品は忘れ去られてアイリーン・アドラーのみが記憶されている、というのも、ホームズ人気のためだけでなく、ドイルの造形のあざやかさの証かと思いました。

マインドパレスの構造 - ナツミ - 2015年04月29日 11:25:21

れすとら様

わーい、遠くからありがとうございます!(アラビアのロレンス風に登場したれすとらさんを想像しながら)


ガイ・リッチー版のレイチェル・マクアダムスは「かわいい」という表現が似合う感じで、あれはあれで、世界観全体がちょっとひねってあるのもあって魅力的だったのですが、ララ・パルヴァー演じるアイリーンはまさに「かっこいい」女性ですよね。いろんな意味で大物。

> 「天才の心は天才にしかわからない」とよく言いますから(一種幻想かもしれない)。ジョンは別の種類の人なので置いておいて、ジムとアイリーンはマインドパレスに住んでいる位、SHが意識する強烈な存在ですね。性別関係なしに意識してしまう大きな存在。

今気が付いたんですが、マインドパレスにジョン、ハドスンさん、レストレードという「ジムにシャーロックの友達認定されたメンバー」まだ出てこないですね。
捜査中にジョンの声が聞こえたり、そこにいないジョンに話しかけるという現象はありましたが、モリーやアンダースン、マイクロフト、ジム、アイリーンのように「そこに住んでいて、必要な時取り出す」という感じじゃないような。もっと外側にいる……とでもいいましょうか。
まあ、「友達メンバー」は閲覧対象になる専門知識がない、というのはあるでしょうけど(もちろんジョンは医師だしレストレードは刑事ですが、知識より実働をあてにしてる感じ)、そう考えるとモリーに対してYou are countedって言ってたのは、ジョンやレストレードへのものと意味合いが違うんだ!

モリーたちは「マイパレメンバー」として仕事を助ける役割を担う存在として「数に入ってる」。
ジョンたちは「友達として」、まあ活動内容を特定するにはもうちょっと考察が必要ですが、とにかく数えられてる。

シャーロックの中でマインドパレスがどういう構造になっているのか、興味深いですね。
アイリーンの話に戻すと、S3E2のマイパレ場面で「出てきた」ということは、大きな意味では原作のアイリーンと同じ機能を持ってる(写真に喚起されるアイリーンの存在がホームズの慢心を諫めて発想の幅を広げているように、潜在意識下に待機することで何らかの形でシャーロックの仕事を助けてる)ということになる。あの法廷ではホントに「出てきただけ」でむしろ邪魔者扱いされていましたが、マインドパレス内のアイリーンがマイクロフトみたいに具体的にアドバイスをしてくれるとか、ジムのようにシャーロックを燃え上がらせてくれるとか、そういう場面も見られるのかな。そうしたら彼女が(少なくともシャーロックにとって)何者だったか、理解の助けになるんですが。いや、アイリーンはシャーロックにとって未だ不可解で、ああいう登場の仕方しかできないのか……?


> 以前カラチのシーンは夢か真かというお話で、私はシャーロックの性格設定から「実際に助けた」説を取りましたが、今はドリーム説もいいなと思います。

F様もおっしゃっていますが、S3で「彼女はどうしているだろう」というシャーロックのモノローグがあったので、あの時点で生存は確定ですよね。だとしたら「実際に助けた」説を否定する意味はあまりなくなってしまうんですよね。


> 「勝ちか負けか」、という意味では
> SHも理性に反した行動(救出はそう見える)を取っている、取りたいと思っている(ヒーローを夢見る)なら彼も敗北しているように思います。アイリーンだけが救出されるお姫様に貶められていないともとれます。両方とも敗北、それまでの自分の生き方と違うことをやってしまっているから。

うーん、でも「人質の救出」はそれまでにもやっていて、決してシャーロックの「反ヒーロー主義」を覆す行動ではないですからね……アイリーンも、ジムやシャーロックに頼ること自体を潔しとしないわけではない。むしろ、そうやって周りの人間を利用してたくましく生きていくのが彼女のスタイルですよね。
シャーロックとアイリーンの行動に勝ち負けを見るのはあくまで視聴者として、物語のバランスを見とる次元での話で、彼自身、彼女自身としては行動に矛盾はないんじゃないか、と私は思います。

> SHは実体験はないけれど、犯罪捜査を通して人間の欲望が起こすことを追体験していて、一方アイリーンは仕事で人間の欲望に接し、多分すごくさめた目で研究し尽くしている人と見ています。二人とも「欲望の研究」をしていると。実体験の分、アイリーンに出し抜かれる。

「欲望の研究」すごく面白い視点ですね!
たとえばS1E1のホープと、ジム・モリアーティを比べると全然犯罪の動機が違う。さらに原作と現代版のモリアーティも違う。でも、全員に共通してる部分もひょっとしたらあるかも。
原作のアイリーンはあくまでボヘミア王をかわして逃げただけだったので、ホームズとの接点はほんの一瞬だったけど、現代版アイリーンは、シャーロックが生涯をかけて取り組んでいるものに、別の方向から取り組んでいる。ジムとはまた別の意味で、シャーロックの鏡像なんですね。

> あと、原作マジックとでも言いますか、BBC現代版にはすごくきいています。
> 他のフィクション作品に知性も体力も行動力もセクシーさも備えた男性に負けないスーパーヒロインが沢山いるのに、なぜか同時代作品のはずのBBC現代版でアイリーンの能力にこだわって論じてしまう。「エレメンタリー」もまだ半分くらいしか見ていませんが、こちらはかなり原作との距離がある分、原作マジックが及んでこないような。

……告白すると私はすごい原作マジックかかった状態で「エレメンタリー」も観ちゃってるんで、最近の展開にはもう動揺してしかたないんですが、まあ私は中毒者みたいなもんなんで、大多数の視聴者が原作から自由な状態で楽しんでると思います……(しかし『中毒者の視聴者層』も厳然としてあるはずなわけで、一体私たちをどうしたいのか、一度製作者を問い詰めたい気持ちでいっぱいです)

SHERLOCKは、本当に「原作マジック」の成功例ですよね。
一方、本筋はそこからどんどん離れていってるという感じもある。原作を主軸にして現代版アレンジしている、という印象から、原作を視聴者の興味の層を厚くするために巧く利用している、という印象に変わりつつあります。

> 原作についてですが、ボヘミア国王は「身分違いでなければきっと立派な王妃になったであろう」とかいまだにすごーく未練があり結婚したと聞いてふさぎ込む。三谷版を出して何ですが、「ちょっと脅しただけ、本気じゃないし、いつまでも興味があると自惚れないで」とアドラー先生(校長と不倫して脅していた)はさっさと若いノートン先生に乗り換えるのもリアリティがあると思います。

この「ボヘミア王との関係性」も、アイリーンという女性を考える上で忘れちゃいけないポイントですね。
原作はどうだったんだろう。愛情があったのかな。現代版はゲームの対象に過ぎなかったようですが、三谷版は、校長先生あんた完全に遊ばれてるよ……と思いきや、そっと写真を戻す場面には「思い」を感じさせます(あの時、人形の表情ってすごい!と思いました。人間の女優さんだったら、何らかの意志を感じさせてしまうと思うんですが、人形アイリーンはこちらの解釈をそのまま映し出すような……ひどく印象的でした)。
かなり後になって、校長先生が意外と筋の通ったいい男だったと判明するのも心憎いですよね。この「ただの脇役になっちゃいそうな、しょうもない系キャラ」への愛情のかけかた、いかにも三谷作品だな~。

>そして結末、国王の差し出した指輪を受け取っていたらただの事件解決だし、指輪なしにまず「何でも与えるから申せ」と言われていきなり「写真くれ」というホームズだったら嫌です。

笑いました!確かにそれはかなり嫌だ!
あの指輪にはそんな効果があったんですね。あるのとないのでは、ホームズのアイリーンに対する想いの解釈がだいぶ変わってきますね。

じたばたしてます - ナツミ - 2015年04月29日 12:21:20

F様

> また、皆さんはホームズ(シャーロック)とアイリーンの対決について「勝敗」を重要な点として上げられているようですが、結局のところは原作・現代版共に、どちらが勝った・負けたという決着の仕方はしていないかと考えます。

確かにスポーツではないので、客観的な事実として「勝った・負けた」があるわけではないのですが、私は、少なくともホームズ本人はアイリーンに「負けた」と認識している、という前提でお話をしていました。

“I have been beaten four times – three times by men, and once by a woman.”

『オレンジの種五つ』からの引用ですが、『ボヘミアの醜聞』は 1891年発行のストランド・マガジン7月号、『オレンジの種五つ』は同年11月号の発表です。この「女性に負けた1回」がアイリーンに負けた一件を意味する可能性はかなり高いと思います。(作品内の時系列としては、『オレンジの~』が『ボヘミアの~』より早く起こったとする説もありますけれどね)

また、現代版には
"This is how I want you to remember me, the woman who beat you."
というアイリーンのセリフもありました。
ホームズやシャーロックが言う"the woman"のあとにどんな形容詞節が続くのか、それは本人にしかわからないのですけれど、原作のアイリーンが「ホームズを打ち負かした女」というのは、読者の間の共通認識と考えていいんじゃないかな、と思います。
それを踏まえても、F様の「引き分けである」説は面白いですね。写真を持ち去られた、パスワードを破られたという結果論ではそれぞれはっきりとした「敗北」ですけれど、例えば教員が生徒を評価するような視点で、それぞれの実力を比べるなら確かに拮抗していますから、「引き分け」と言えるのかもしれません。

現代版ではすでに敵味方の関係ではない、というのはおっしゃる通りだと思います。
今後出てくる可能性もゼロではないですね。


> 少々脱線してしまいましたが、原作の全ての面を真逆に置き換えると現代版になるということですね。

うーん、「綺麗に真逆だ」と腑に落ちるには、私にはまだ原作も現代版も理解が足りないようで……現代版はどこか、「盛られてる」感じがする。普段なら現代版ならではの感覚として「興味深いですね」で済ませてしまうその部分に、何か、自分の中の深い問題に関わるような、「聞き捨てならん」的なものを感じます。そこに「もやっ」としてしまうのかもしれません。アガサ問題の時もそうでしたが、客観的視点と個人的視点の間の溝に嵌まり込んでじたばたしてるようですね。
お付き合いいただけてありがたいです。「全ての面を真逆に置き換える」という検証もしてみたいと思います!

それぞれのアイリーン - ナツミ - 2015年04月29日 13:05:14

ak様

> 皆さんそれぞれのアイリーン観がうかがえて、興味深いですね。

本当ですね。この小さなブログでもこれだけさまざまなご意見がうかがえるのですから、本当に多様な解釈があるんですよね。


> この場合は15歳にして既にアイリーン・アドラーと接しているから、大人になった時もう一度似た経験をするのか、その時はどう切り抜けるのかといったことも想像してみると、私としては面白いかなと思います。

アイリーン先生本人ともまたつながりができるでしょうしね。アイリーン先生とノートン先生が結婚してすぐ娘さん(アイリーン2世)が生まれたとしたら、15~16歳差か。ホームズ35歳の時20歳。これはパスティーシュ作家さんの腕が鳴るな……


> 「愛情は判断を狂わせる」のも仰る通りでしょう。愛情のみならず、何かにつけて感情を持ち込むというのを、ある意味意識して避けているようにも取れますし、メアリー・モースタンを素敵だというワトソンに、「そうかな、気が付かなかった」という辺りなどは、その典型かとも思われます。

確かに。15歳がそういうといかにも背伸びしているようで微笑ましい話になっちゃいますが。

> パペット版でもそうですし、BBC版やグラナダ版などでもそういう部分があるかと思います。自分で論破できない部分だからもどかしく感じるわけですね。まして15歳の少年だと、大人としての処世術はまだない(結構大人びた部分はありますが)から、余計自分のプライドを傷つけられたことで感情が出やすいのでしょう。

なんとなく、このホームズは原作をそのままなぞった大人にはならない気がしますね。
15歳という早い段階で、ワトスンを通し「ホームズ的な考え方」の逆を学ばせている。

三谷幸喜さんがどんなにホームズ好きか、教えていただいてありがとうございます。
現代版同様、作者自身が若いころから「ホームズ」の影響を受けている、ということは、新しい「ホームズ」像を生み出すんですね。

そういえばジョン役のマーティン・フリーマンが演じた"The Hobbit"ビルボ・バギンズのお母さんもベラドンナさんでした。「トゥック家の三美人」みんな植物の名前だったのでしょうが、ベラドンナさんはさぞかし美しかったのでしょうね。目も大きかったのかな。

アイリーンたち! - ナツミ - 2015年04月29日 13:28:23

篠田真由美様

ご教示ありがとうございます!

もやもやと考えてきましたが、結局、作者がどんなキャラクターとしてアイリーンを描きたかったのか、という点に収束していくような気がします。
原作者であるドイルの場合は、「世間の流行」も背景にあって、"adventurous"な女性を魅力的に描いて見せたのですね。
アイリーンが後世に残ったのはホームズという作品自体の人気のおかげでもあるでしょうが、たくさんの女性キャラクターの原型でもあることを考えれば、おっしゃるように「ドイルの造形のあざやかさの証」なのでしょうね。
私見として、SHERLOCKの魅力は「わざと、不安定な作りにして解釈の余地を残している」ところにあると思っているのですが、アイリーンの魅力も「道徳と不道徳の狭間にいて、はっきりとした帰属を感じさせない」というところにあるのかもしれません。世間には眉をひそめさせるような「あばずれ」でありながら、圧倒的な美しさを持ち、「はしたない」と言われようとも、行動に筋が通っている。
アイリーンって、知れば知るほど魅力的ですね。彼女の原型になった19世紀の女性キャラクターたちのことも、もっと知りたいなあ、と思います。

モファット流カラチの熱い夜 - billylab - 2015年06月05日 17:09:23

> SHERLOCKOLOGYさんの
> 「モファットさんがこっそりその後のシャーロックとアイリーンを書いてた」

モファットさん、お茶目すぎますよね。
しかも S3の原稿、押せ押せの中で、どうしても気になって書いてしまうとは。(^^;)
しかし…
> 原作の全ての面を真逆に置き換えると現代版になる
Fさんの冷静なご意見がモファ氏のキャラクターを言い得ているのかもなぁなどと
思ってしまいました。
一見あまのじゃくでへそ曲がりなご意見が多く感じられモファ氏ですが、↑こう考えると
判りやすいのかもしれないですねー。(;´∀`)
(それで 奥様のスーさんの手の平で 転がっているように見えたのかも)
なんかもう…勝った負けたとか、違う次元で…コメディ・シャーロックなんだねっていう。(T▽T)

ルパン三世にしか見えないっ - 篠田真由美 - 2015年06月06日 13:42:31

これが人の悪いギャグでないなら、モファットさんのイメージしているシャーロックって、自分が考えているのと全然別のものかも、と思ってしまいました。なんか、ルパン三世と不二子ちゃんの絵でしか場面が浮かんでこないのです。自分の英文読みが正しくないのか・・・

billylab様 和訳をアップしていただくわけにはまいりませんでしょうか。

ホームズなのにルパンとは これいかに。(^m^) - billylab - 2015年06月06日 14:32:38

それは いかんです…、パンいちのシャーロック・ホームズは…。(T^T)
(しかも 昔ながらの縞々のヤツ)
…と、冗談はさておきまして。
自分も、他所さまのところで和訳を読みました。
英語をスキルにしたお仕事をされている方のsnsで、気になる俳優さんの
インタビューなどを よく訳しておられます。
ご本人も 不特定多数の方が読むことを前提に書いていらっしゃいますし、
あくまでも個人の訳ですよ、という ことですが。

えーと、こちらも もちろん 他所さまのお宅なので、え〜と、
自分とこに 書きますね−。

深読みしてごめユニコーン!(びじゅチューン) - ナツミ - 2015年06月07日 12:40:54

billylab様

F様の「原作の全ての面を真逆に置き換えると現代版になる」
billylab様の「モファットさんはスーさんの掌の上で踊らされている」
というご意見は、読みの浅い私にはよく理解できていないのですが、

> なんかもう…勝った負けたとか、違う次元で…コメディ・シャーロックなんだねっていう。(T▽T)

ここは、本当に心からそう思いました!ごちゃごちゃ言ってごめユニコーン!(てへっ★)という気持ちです。

ツッコミ待ち? - ナツミ - 2015年06月07日 13:09:10

篠田真由美様

私はロバート・ダウニー・Jr.のアレで……ニアリーイコール、ルパン三世と不二子ちゃんですよね!
しかし何故か、青と白の縞々パンツ(by billylab様)で吹っ飛ばされるベネディクト・カンバーバッチは容易に想像がつきました。空中を平泳ぎして事なきを得るところまで。彼の俳優としてのポテンシャルは計り知れません。

本編に影響するかしないかは置いといて、今になってモファットさんがこの「後日談」を発表したのは、篠田様のおっしゃる「人の悪いギャグ」だったんじゃないかなあ、と思います。世界中で深読みしてしまったのが、壮大な「ネタ振り」だったわけで……

これだけ人気が出てしまうと、どういう展開にしようとも、否定的な意見は出てくると思うんですが、笑えるかどうかは別にして、少なくともこれが一番「人を食った」展開だとは思います。このお話が放映されたら、「そうそう、メイドに発見されてね。ってそれリッチーさんとこのネタやんけ~~!!」とテレビに向かって突っ込んであげようと思います。(関西弁がいい加減で申し訳ありません)

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