- 最初の挨拶
- BBC制作、現代版シャーロック・ホームズのドラマ「SHERLOCK」ファンのブログです。 正典/聖典(原作)と比較しながらドラマを観て、元ネタ探しをしております。 ネタバレ満載ですのでお気をつけください! ★原作の文章を引用する際、主に新潮文庫版(延原謙・訳)を参考にさせていただいております。 ★全ての記事は、推測やこじつけを基にしており、たまに妄想も入っております。ご了承の上ご利用ください。 ★このサイト及び記事へのリンクは、どうぞご自由になさってください。 「あの場面の元ネタは?」という時はこちらへ →ブリキの文書箱
おいしい店とブラックジョーク
夕食もとらずに深夜まで走り回って、腹ぺこの二人。
シャーロックは、この時間でも開いているおいしい店を知っている様子。
"End of Baker Street there's a good Chinese. Stays open till two.
You can tell a good Chinese by the bottom third of the door handle."
「ベーカー街のはずれに、おいしい中華の店があるんだ。2時までやってる。
いい中華料理屋は、ドアの取っ手の下3分の1を見ればわかる(拙訳)」
ここで、マイクロフトの姿を見つけたジョンに遮られるのですが、さて、どうしてドアの取っ手で良い店がわかるのか。
私は、こと"SHERLOCK"に関しては自分のペースで謎解きを楽しみたいタイプで、わからないことがあっても滅多にその語句でのネット検索はしません。一方、「たまたま目にしたり、ここのコメント欄やメールで教えていただくのはセーフ」という変な自分ルールがあるので、すごく時間が経ってから、書き込みで教えていただくこともしばしばだったりします。(『おへそ事件』や『バリツの免状』がそうでした…)
この件に関しても、「?」と思いつつ長いこと放置だったのですが、ある日突然気がつきました。
こういうことではないでしょうか。
1、おいしい中華料理店には、本場の人(中国人)がたくさんやってくる
2、アジア人は背が低い人が多い
3、ドアノブの下の方によく握られた形跡がある(擦れてピカピカになっている、手垢がついているなど)
これをプロフィール欄(という名の日記欄)に書いておいたところ、midoriさんからこんなメールをいただきました。
最近原典読み直してて、ふと目についた『ホームズの思い出』内の『株式仲買店員』冒頭。
メアリと結婚して開業したワトソンの居宅へホームズが来訪、ワトソンを誘って外に出た際、ワトソン宅と隣の医院を観察していたらしいホームズが、
『となりも医者だね』…中略…『じゃ君はいいほうを手に入れたわけだ』
『僕もそのつもりだがね。君はどういうところからそれがわかるんだい?』
『石段でさ。君の家のはとなりのより三インチもふかくえぐれているよ。…以下略…』
流行ってる中華料理店→流行ってる医者、
ドアノブの下3分の1→石段が3インチも…、
どうでしょう???
なるほど~!私の推理が合っているかどうかは別にして、midoriさんのこのご指摘には深く納得しました。
3分の1→3インチというのも芸が細かいですね!
midoriさんのおかげで、ホームズ≒シャーロックの考えそうなこと、という裏付けがひとつできたのですが、気になるのは、背が低いからと言ってドアハンドルの下の方を握るかしら?ということ。
ドアハンドルにも色々なタイプがありますが、この場合は縦に長い棒状のものでしょうか。
それにしても、3分の1は大げさですよね。もし、私の推測が当たっていたとしたら、これは、シャーロックの推理というよりも一種のブラックジョークなのでしょう。
私はこのブログの開設前に半年ほどSNSのアカウントを持っていたのですが、当時の私が知る限り、これと同じような「推理」は大っぴらに流れていませんでした。(この記事を書くにあたって検索してみたところ、質問サイトで同じように考えている方の回答にヒットしましたので、リンクを貼っておきます)
How can you tell a good Chinese restaurant by examining the bottom third of the door handle per Sherlock Holmes?
もっとも、SNSの世界は無数の小さなコミュニティーの連なりですよね。この「推理」が出なかったのは私の周りだけだったのかもしれません。おそらく、ぴんときていた方も、私がアジア人であることに気を遣って言及しないでいてくれたんじゃないかなあ、と思います。誰かに向かって「小さいね」と指摘することに悪意が伴うとは限りませんが、揶揄の意味がある場合も多いですからね。
今さらながら、その思いやりに感謝です。ていうか3年も気付かなくてすみません。
もともとイギリスはブラックジョーク好きの国だと思いますが、他の国の人にとってデリケートな問題をジョークのネタにしてしまい、国際問題になることもあります。BBCの番組で、広島と長崎で二度被爆した方を「世界一運の悪い男」と面白おかしく紹介して、日本大使から抗議を受けたのもまだ記憶に新しいです。
差別ジョークといえばまず思い出す人が、BBCの長寿番組「トップ・ギア」のホストの一人、ジェレミー・クラークソン。以下、「トップ・ギア」のホストたちがメキシコ人をジョークのネタにして、大使から抗議を受けた後の「謝罪文」の一部を引用します。「茶化す側の心理」をかなり本音で語っているんじゃないかと思います。
(前略)と言うわけでありまして、メキシコと国民のみなさまへ率直に謝罪する次第です。番組の一部で、怠け者で無気力と呼んでしまい本当に申し訳ありません。もちろん実際は違います。しかしながら質問もあります。みなさんは少しユーモアというのが欠けているのではありませんか。
例を挙げましょう。もう何十年もフランス人たちは我々イギリス人を料理ができないとバカにしてきました。オーストラリア人は我々が風呂に入らず不潔だと言い、アメリカ人は我々の歯が腐った黄色い切り株のようだと言います。
ほとんどのイタリア女性は大きな声で、イギリス人とベッドインするくらいならネズミと入ったほうがマシだとか、中には多分ネズミとあまり差はないとまで言われていますが、それらだってスコットランド人が言ってることよりはマシです。
我々はこれらのどれも気にしません。なぜなら害のないものだからです。そして害がないからこそ、我々のほうもこきおろします。私がフランス人を傲慢だと言うときは、彼らが本当に傲慢で嫌いなので、全員とっとと死んで欲しいという意味ではないのです。私の本当の意味は、「彼らは傲慢だ、さぁビールでも飲もうか」と言いたいだけなのです。
アメリカのコメディアンが指摘していたように、イギリス人だけが友人を紹介するときに、「ビリーを知っているかい?こいつはちょっと最低なヤツなんだ」と言うのです。それが我々です。そして我々は自分たちのこともジョークにします。
(中略)
もちろん無礼なユーモアはすべて禁止せよといった動きもイギリスでは出てくるでしょう。しかし人々がよくわかっていないのは無礼なしにはジョークは成り立ちません。(後略)
(以上、ニュースサイト『らばQ』の記事より引用させていただきました。
訳もらばQさんによるものです。引用元の記事はこちら→「メキシコを侮辱したとBBC放送が謝罪…でもイギリスらしく皮肉めいた文面だと話題に」
いっそ清々しいほどお前ら(イギリス人)基準の論理だな!とも思いますが、「無礼なしにはジョークは成り立たない」という主張にはちょっと納得しますし、ひょっとしたら彼(ら)のアイデンティティに関わる問題なんじゃないか、というほどの切実さを感じます…
何が笑いのネタにしてもいいことで、何がダメなのか。これは難しい問題だと思います。
ジェレミー・クラークソンの言うように、どういう文化が発言者の背景にあるか、によっても違ってくるし、「ネタにする」対象への、心理的な距離の差も大きいのでしょう。誰かにとっての悲劇が、違う誰かにとっては喜劇になる。誰かにとっての「当たり前」が、ほかの誰かにとっては からかいたくてたまらないことである。これはもう、人間が二人以上いたら起こり得ることです。
原作のホームズにも、差別的な言動をとった描写がある、と言われています。ジューン・トムスン著『ホームズとワトスン―友情の研究』によると、「三破風館」で黒人ボクサーのスティーヴ・ディキシーが家に殴りこんできた時、「お前の匂いがいやだから」と椅子を薦めなかったり、「ピストルを探しているのか」と言われて「なあに、香水のびんを探しているのさ」と言い返すくだり(←しつこい)などがそれにあたるそうです。「あいつの縮れ頭」などとくさしたりもしてます。
トムスンは、ホームズの嗅覚が人より鋭敏なことや以前からディキシーを殺人犯としてマークしていたことを指摘してすこし弁護する口調ですし、私の感覚ですとホームズはディキシー個人が嫌いでそう言ったのであって、差別ととらえてしまうことも差別的なのではないのかなあ、などと感じたりもしたのですが、だとしてもやはり面と向かって身体的特徴を馬鹿にするのはマナー違反ですよね。もしディキシーが日本人だったら、私もまず怒りや不快感を感じるのかもしれません。
その一方で「黄色い顔」では、妻がひた隠しにしていた黒人との混血児の連れ子が登場しますが、とてもさわやかな結末を迎えます。子供の父親も、立派な人物として描かれています。推理に失敗したホームズは、この結末から何かを学んだような描写がされます。
ホームズと私たちは彼らの後について下へおり、表へ出た。するとホームズは歩きながら私の袖をひいて、
「ノーバリにいてももう用はなさそうだから、ロンドンへ帰ろうよ」
ホームズはそれきり事件のことは少しも口に出さなかったが、その夜おそく、ろうそく片手に寝室に引込むというときになって、
「ワトスン君、これからさきもし僕が、自分の力を過信したり、事件にたいしてそれ相当の骨折りを惜しんだりするようなことがあったら、ひとこと僕の耳に、『ノーバリ』とささやいてくれたまえ。そうしてくれれば僕は非常にありがたい」
だいぶ時間が経ってからわざわざこんなことを言ったホームズは、ずっとこの事件について考えていたのでしょう。
これは私の想像ですが、彼が気にしていたのは、推理の上の失敗だけではなかったのではないでしょうか。自分には思いもよらなかった、妻の抱えていた真実と、依頼人自身による愛溢れる「解決」に、何か深く心打たれるものがあったのかもしれません。
たとえばホームズの時代には、同じ人種でも階級の低い相手を人間扱いしないような言動が普通に行われてますし(そういえばホームズも、『レディ』を救うために『メイド』を騙しておいて『仕方ない』って言い切ったときあったな!)、現代に生きる私も「まったく男ってやつは…」とか「これだからバブル世代は…」とか言ったり思ったりすることがあります。こうして人間をカテゴライズすることによって見えてくるものもあるのですが、誰かと、個人対個人として向き合うことをやめて、カテゴリーで括り上げて自分から切り離すことで思考停止してしまったとしたら、それを差別というのかもしれません。
一方で、そこで終わらずに考え続けるという選択もあります。ジェレミー・クラークソンは他国人を笑いのネタにするだけで終わらず、「そんな俺たち英国人」についても一応考えていますし、ホームズは、どういう思考を辿ったかはわかりませんが、この事件を忘れずに自らを戒める鍵にしたようです。(全然関係ありませんが、ワトスンはこの後何回ノーバリノーバリ言ったんでしょう)
さて、シャーロックに「お前ら小さい」と言われた件について(いや、言ったかどうかはっきりわからないですが)、そして「トップ・ギア」のジョークについて、私自身はどんな意見を持ったらいいか、まだ決めかねているのですが…(『トップ・ギア』の件は、『謝罪文』を探すために検索したらさまざまなニュースサイトで取り上げられていたのですが、反応は本当に千差万別ですね。らばQさんはかなり好意的でしたが)
自分と違う考えを持った人、自分と違う文化、理解できないこと、居心地の悪いことを切り捨てず、そういう人や物やことに対してどういう態度をとるか、自分の問題として受け止める。そして考える。そういうことをいちいちしている大人は案外少ないように思います。社会における自分の位置が定まってくるにつれて、理解できないことに疑問を持つよりも、理解できる世界だけに留まって、その枠からはみ出たものに関しては考えることをやめてしまうこと、反射的に「あの人は○○だから」と決め付けることのほうがラクになってきますから。
笑うにしても怒るにしても、口を慎むにしても悪し様に言うにしても、人の世界は、人が人を思うことでできているのかもしれません。自分ではない誰かについて「思う」こと、「考える」ことを(そういうことに伴う煩わしさも受け容れながら)きちんとすることは、必要なのではないかと思います。そこから出てきた結論が「良い」か「悪い」かは、本当に批判する側の立場次第なのですが、まず問題意識を持って「考える」人を私は尊敬したいです。
ホームズシリーズは、万能な名探偵が難事件を鮮やかに解決するだけのお話ではありません。ホームズ自身が何かを学んでいく物語でもあります。"SHERLOCK"もそうですよね。
そんな彼らから、読者や視聴者もまた学べるのかもしれません。
midori様、引用を快くお許しいただき、ありがとうございました!
更に、midoriさんのメールにはまだまだ、とても興味深いことが書かれていたのです。
テーマが変わるので、続きは次の記事で書かせていただきます。
(原作からの引用はすべて延原謙訳)
この記事へのコメント
> 三インチもえぐれたら、段がなくなっちゃいそうですね(笑)
そういえば「インチ」ってどれくらいだったっけ…とぐぐってみました。
「通信用語の基礎知識 (http://www.wdic.org/w/SCI/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%81)」さんというサイトによると、昔はさまざまな尺が使われていたみたいで、「国際インチ(=ぴったり2.54cm)」という単位が作られたのは1959年。わりと最近のことだったんですね。
その前には、イギリスでは「イギリスインチ」が使用されていたようです。これは、約 25.399 8 mmだそうです(これはwikiから。先述のサイトさんによると、諸説あり不明で国際インチより短いということしかわからないそうです)。いずれにしても神崎さんのおっしゃるとおり、結構なえぐれぶりですね!直そうよ、ワトスン!
> 原作のホームズは時代背景もあってか、インドとかモルモン教徒なんかに関して、ナチュラルに見下している風潮が感じられます。その点で現代版シャーロックの方は、マイノリティに関しても理解があるんじゃないかなあと。
「同性愛」についての描写がわかりやすくそれを表してますよね。周りの人はシャーロックとジョンを「カップル」扱いするのですが、そんな時、面白がっているようではありますけれど、基本的には温かく接しています。
ジョンはそういう扱いを受けるたびにいやな顔をしますけれど、ゲイの人が嫌いなわけでなく、「自分はそうではない」と言いたいだけなのでしょうし。シャーロックがジムに「ゲイ」と言い放つ場面は蔑視のようにみえる、という意見も聞いたことがありますが、あくまで「モリーのボーイフレンド」を名乗っていたからこそ、ああいう冷たい感じの指摘になったのではないかと思います。
> ……まあ、「死を呼ぶ暗号」に関しては、ずいぶん「アジアは謎の国」っぽいテイストがありましたけど(苦笑)
「理解」もすべてにおいてではなく、あることには変化があり、また別のことではまだない、ということなのでしょうね。
タイトルの「その時代の風潮は排除しきれない」ということは、midoriさんも「四つの署名」のアンダマン島民などの例を挙げてご指摘なさってました。
> 先日コミック版「ピンク色の研究」を購入したのですが、アンジェロの店での会話
> 「くどいてるんじゃない! 君が何でも……僕は構わないって事だ」「……そうか、ありがとう」
> がやけに意味深に感じられましたvv
確かにこの台詞は、見ようによってはすごく愛のこもった言葉。この時点ではシャーロックだけに対して、というよりはジョンの基本的なスタンスの表明かと思うのですが、字面だけ見るとちょっと口説いてるような感じがありますよね。シャーロックは「口説かれる」以上にぐっときてしまったようですが…
コミカライズ版、未読なんですが、日本版BDに広告が入ってました。
すっごく絵が似てますよね!表情も繊細で!(ジョンが精神的に弱った時の一瞬のセクシーさとか!)あれ、役者さんご本人たちも読まれたのでしょうか。まだなら見て欲しい。なんか、役者さんが作ったシャーロックとジョンから役者さん成分を周到にマイナスした、純粋なシャーロックとジョンがそこにいるような気がします(←何言ってるんだか自分でもよくわかりませんが)。真面目な話、日本の誇りだと思いますよ…!
作った本人ですら忘れがちな「ブリキの箱」、ご利用ありがとうございます…!
アクセス解析によると、1日あたりジョンのブログの1895分の1くらいは稼動しているようです。「ないよりはマシ」ってとこでしょうか。
> まだまだ成長途中のやんちゃ坊主二人と、見守る近所のお兄さんが、改めて微笑ましく思えたのでした。
ほんとうに、そんな感じですよね。それにしては実年齢だいぶ高いんですけど、そのへんの「いい大人だけど子供っぽさを抱えた感じ」も現代版らしさ、なのかもしれませんねえ。
>中華料理屋は、ドアの取っ手の下3分の1を見ればわる。<
店はド汚いけど、味は最高!!
「きたなシュラン」のような店だとずっと思っていました。
midoriさんのご指摘に私も納得の1票を入れさせて頂きます。
>自分と違う考えを持った人、自分と違う文化、理解できないこと、居心地の悪いことを切り捨てず、そういう人や物やことに対してどういう態度をとるか、自分の問題として受け止める。そして考える。<
社会に出ると、居心地の良いほうへ、みんなと違う意見を言って反感を買わないように、自分の意見を曲げたり、集団心理みたいなものが働いてしまいますね。
今は何でもメールに頼りがちですが、相手と顔を見て話して初めて気付く事もありますよね。
ホームズが愛されるひとつは自分の信念を持っていて、それがブレないからですよね。(ワトスンのフォローあっての事もありますが)
私も仕事をサボリたくなったら心の中で「ノーバリノーバリ」と唱えるようにします。
> 店はド汚いけど、味は最高!!
> 「きたなシュラン」のような店だとずっと思っていました。
「きたなシュラン」というのがあるんですか!
確かに、あの二人(特にジョン)は安っぽい店でもあんまり気にしなそう。2話、3話で入ってた店もだいぶカジュアルでしたもんね。下3分の1は脂汚れか?カフェにもめったにこない、マイクロフト兄さんはいや~な顔しそうです…
> 社会に出ると、居心地の良いほうへ、みんなと違う意見を言って反感を買わないように、自分の意見を曲げたり、集団心理みたいなものが働いてしまいますね。
ああ、耳が痛いです。私も、自分の意見ではなく相手の喜びそうなことを言ってしまう傾向があります。
> 今は何でもメールに頼りがちですが、相手と顔を見て話して初めて気付く事もありますよね。
そうですね。それによって解決されることも結構あるんでしょうね。言葉自体よりも、表情や口調、声音で伝わることって結構ありますから。
> ホームズが愛されるひとつは自分の信念を持っていて、それがブレないからですよね。(ワトスンのフォローあっての事もありますが)
反省することもあると思いますが、信念があるからこそ細かい部分での調整ができるのかもしれませんね。
> 私も仕事をサボリたくなったら心の中で「ノーバリノーバリ」と唱えるようにします。
では、このブログも更新をサボってたら「ノーバリ」と書き込んでくだ…いや、8割くらいノーバリコメントになってしまいそうなんでやめておきます。
我が小さな発見を取り上げてくださってありがとうございました。
石段が3インチえぐれてる…皆さんご心配のように〜も〜ツルンッツルンで〜、具合悪い患者さん達がズッコケないかしらん〜、と心配になりますよね。
third part とthree inches が言葉のイメージとして果たして英国人の脳内で共通してるのか疑問はありますが、シチュエーション感は共通してる気が。
あと、国民性。
ここは大人な皆さんばかりだから、とっくにお気づきかと思いますが、短所の裏返しは長所、長所の裏返しは短所、我々にはえ〜〜〜〜ッとか感じる各国の国民性も国土に培われて育つべくして育った何かなんだろうなぁ、と。
最近ウー・ウェンと言う中国出身の方のレシピ本を気に入ってるのですが、国民性なのか作者の個性か、小麦粉料理や炒め物に、中国4千年の合理性を感じ、軽く目からウロコ的なものがあります。あとは価格をわしら的に合理的にして欲しい!先に図書館で見て気に入ったら買うことにしてますが。
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県民だけの休日があるって、凄いな、群馬!!
記憶に残る関西の休日と言えば…数年前、神戸と大阪の高校発の新型インフルエンザ大流行につき、橋下知事が事実上の戒厳令出したことでしょうか。実際の高校生達は街で遊んでたらしいですけど;^_^A
今回はありがとうございました!(実質、『元ネタ探し』はmidoriさまに完全委任で申し訳ありませんでした)
> 石段が3インチえぐれてる…皆さんご心配のように〜も〜ツルンッツルンで〜、具合悪い患者さん達がズッコケないかしらん〜、と心配になりますよね。
つるつるだし、表面が微妙に均一じゃなくて雨とかたまりそうですよね!
ここで「直さなきゃ」と気にしてしまうのは日本人の感覚なのかしら。石造りの古都ではいちいちそんなの気にしてない?
私がメアリだったら「もう~パパったらまだ直さないの~」って毎日責めそうですね。子どもいませんけど。暗に(ホームズさんと出歩いてばっかりいるから!)という非難を込めます。
> ここは大人な皆さんばかりだから、とっくにお気づきかと思いますが、短所の裏返しは長所、長所の裏返しは短所、我々にはえ〜〜〜〜ッとか感じる各国の国民性も国土に培われて育つべくして育った何かなんだろうなぁ、と。
ほんとうにそうですね。そのあたりを理解していれば争いは起こらないのですが、やはり実感を伴って他人を理解するのは難しいものがあるのかもしれません。脊椎反射的に他人を傷つける行動が積み重なると、大きな憎しみが生まれてしまうように思います。言う方も、言われる方も、アウトプットする前に一度頭を冷やすことが必要なのかもしれませんね。
> 最近ウー・ウェンと言う中国出身の方のレシピ本を気に入ってるのですが、国民性なのか作者の個性か、小麦粉料理や炒め物に、中国4千年の合理性を感じ、軽く目からウロコ的なものがあります。あとは価格をわしら的に合理的にして欲しい!先に図書館で見て気に入ったら買うことにしてますが。
アマゾンで見てきました。カスタマーレビューが熱いですね!おいしそう~!
「合理性」まではわからなかったのですが、そんなすごい合理性が!?私も図書館で読んでこよう!
> 記憶に残る関西の休日と言えば…数年前、神戸と大阪の高校発の新型インフルエンザ大流行につき、橋下知事が事実上の戒厳令出したことでしょうか。実際の高校生達は街で遊んでたらしいですけど;^_^A
「県民の日」は、千葉県の某夢の国のパスポートとかもちょっとお得になるんですよ。
でも休みになるのは子どもたちだけなんです。大人はふつうに仕事です…
インフルエンザは深刻ですよね。その後重大な事態に発展しないとも限らないし。
でも元気な子達は実感が薄かったんだろうなあ。
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その時代の風潮は排除しきれない - 神崎真 - 2013年10月26日 08:25:47
三インチもえぐれたら、段がなくなっちゃいそうですね(笑)
原作のホームズは時代背景もあってか、インドとかモルモン教徒なんかに関して、ナチュラルに見下している風潮が感じられます。その点で現代版シャーロックの方は、マイノリティに関しても理解があるんじゃないかなあと。
……まあ、「死を呼ぶ暗号」に関しては、ずいぶん「アジアは謎の国」っぽいテイストがありましたけど(苦笑)
先日コミック版「ピンク色の研究」を購入したのですが、アンジェロの店での会話
「くどいてるんじゃない! 君が何でも……僕は構わないって事だ」「……そうか、ありがとう」
がやけに意味深に感じられましたvv
思わずこちらの「ブリキの箱」で関連記事を読み返してみたり。
まだまだ成長途中のやんちゃ坊主二人と、見守る近所のお兄さんが、改めて微笑ましく思えたのでした。