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最初の挨拶
パンダとジョン

BBC制作、現代版シャーロック・ホームズのドラマ「SHERLOCK」ファンのブログです。
正典/聖典(原作)と比較しながらドラマを観て、元ネタ探しをしております。
ネタバレ満載ですのでお気をつけください!
★原作の文章を引用する際、主に新潮文庫版(延原謙・訳)を参考にさせていただいております。
★全ての記事は、推測やこじつけを基にしており、たまに妄想も入っております。ご了承の上ご利用ください。
★このサイト及び記事へのリンクは、どうぞご自由になさってください。
「あの場面の元ネタは?」という時はこちらへ
ブリキの文書箱

ブログをめぐる戦い

ジョンを拉致した犯人は結局わからず、あまりすっきりとはしない結末になってしまいました。

"Unlike the nicely embellished fictions on your blog, John, real life is rarely so neat."
「君のブログの面白おかしい物語とは違うな、ジョン。現実はそんなものだ」(拙訳)


こんな台詞、原作のどこかにあった気がするんですが……見付けられないままぐったりしてます。
実はそういう記事が結構あるんですが、ほっとくとそのまま埋もれることを(やっと)学習したので、とりあえずアップロードしちゃいます。
見つかり次第追記したいと思いますが、ご教示いただければ幸いです。

【追記:2014.5.31】「椈屋敷」に似た台詞があることをRMさんに教えていただきました。コメント欄をごらんください。
また、「ウィステリア荘」にこんな記述があるのも見つけました。

「混沌とした事件だったね」ホームズは、晩のパイプをやりながらいった。「君の好きなきちんとした簡潔な一編にまとめあげるのは、まずできない相談だろうよ。(It will not be possible for you to present it in that compact form which is dear to your heart.)」(後略)

現実の事件と比較して、シャーロックはジョンの書くものを" embellished”(飾り立てられた、尾ひれがつけられた)、ホームズはワトスンの書くものを "compact" (簡潔な、よくまとめられた) と表現してるので、ベクトルが逆になるのかしら。"nicely embellished" に「よくまとめられた」という意味合いもあるのかもしれませんね。 自分への英語の宿題にしておこうと思います。


緑のはしご事件」の記事でも触れましたが、現代版でも原作でも、ホームズはワトスンの書いたものが気に入らない様子。
ワトスンは(ジョンも)聞き流してみたり、むっとしてみたり。ほぼ全編、いや二人の生涯を通してこのバトルが繰り広げられていると言っても過言ではありません。

ホームズはかなしげに頭を振って、「僕もちょっと見たがね、正直なところ、あれはあんまり褒められた出来じゃない。探偵するということは、一つの厳正科学なんだ―― であるべきはずなんだ。したがって冷静に、無感情な態度でとり扱われなければならないところを、君はロマンチックな味つけをしているから、まるでユークリッド幾何学の第五定理に、恋愛物語か駆落ちの話を持ち込んだような結果になっている。(『四つの署名』)」



ホームズにとっては事実の観察と推理の連鎖である「事件」を、ワトスンは血の通った人間たちの「物語」として描く。その違いが、ホームズには不満なんですね。ワトスンが事件を脚色するのも嫌なようです。

「ホプキンズに応援を頼まれるのはこれで七回目だが、いつの場合でも僕に頼むのには頼むだけの理由があった。たしかこれらの事件はすべて君のコレクションに入れられていたと思う。いったい僕は君の物語の書きっぷりが気に入らないのだが、それをわずかに救っているのは君に一種の選択眼があるからだね。君のいちばん悪いくせは、物を見るのに科学的鍛錬と考えずに、物語的な立場からすることだが、おかげで有益な、古典的とさえいえる実地教示ともなるべきところを、すっかり駄目にしている。センセーショナルな枝葉の問題にばかり拘泥して、肝心の要点をぼかしてしまうが、それじゃ読者を興奮させるだけのことで到底教訓にはならないね」
「それじゃなぜ自分で書かないんだ?」私はむっとしていってやった。
「書くよ。必ず書く。いまはご承知の忙しさだが、晩年にでもなったら、探偵学全般を一巻にまとめることに生涯をささげるよ。」(後略・『アベ農園』)



褒めようとしてたのに途中で論点を見失ってるよ、ホームズ!
ワトスンも、この問題になるとまるで子どものよう。

もっとも、ホームズの気分にもムラがあって、ワトスンを「僕のボズウェル」と呼んでみたり(関連記事:『僕のブロガーがいないと…』)、この事件はすごく面白い話になるよ!と請け合ってみせたり( 『六つのナポレオン 』 )、自ら記録を勧めたりすることもあります。(『悪魔の足』、『這う男』、『グロリア・スコット号』)
なにか、ホームズなりの理由があるのかもしれません。(関連記事:『ワトスンの強さ』 『メアリに贈る暗号』)

二人がだいぶ年をとった後で、このバトルは一応の終結を見たようです(その後再燃したかどうかは知りません)。勝者がどちらだったか、まだご存知ない方は「白面の兵士」をご一読ください。
シャーロックとジョンの戦いも、今後何十年と続きそうです。

昔みたいに

"I'm definitely going to kill you!"
"Oh, please. Killing me, so two years ago."

「絶対殺してやる!」
「勘弁してくれ。殺すなんて、2年前みたいじゃないか」 (拙訳)



この会話は「空家の冒険」で読んだ覚えがあります。こちらは冒険に出る前ですが……

"You’ll come with me to-night?"
"When you like and where you like."
"This is, indeed, like the old days."

「じゃ、今晩やってくれるかい?」
「やるとも!時と処のいかんを問わず、君のいうとおりにするよ」
「まるで昔とそっくりだな。(後略)」


全然違うじゃん!と言われてしまいそうですが、実は似たような会話じゃないでしょうか。
じゃれ合ってるんですよね、要するに。口に出す言葉は違っても、どちらの二人からも再会のよろこびがじんわりと伝わってきます。こういう時、ハドスンさんではないですが「まったく男の子だなあ」と思います。4人とも。

ラストシーンのシャーロックとジョンの会話も、とてもいいですね。

"When you were dead, I went to your grave."
"I should hope so."
"I made a little speech. I actually spoke to you."
"I know. I was there."
"I asked you for one more miracle. I asked you to stop being dead."
"…… I heard you."

「君が死んでた時、僕は君の墓に行った」
「そうであって欲しいね」

「ちょっとしたスピーチをした。というか、 君に話しかけたんだ」
「知ってる。僕はあそこにいた」
「君に『依頼』した。もう一度奇跡を起こしてくれって。生き返ってくれって」

「……聞いてたよ」 (拙訳)



もうここでぼろ泣きしちゃいます。シャーロックが「死んだ」時ですら、こんなに泣かされなかったのに!
(加齢と共に涙腺が緩くなってる説もありますが……)

原作でも、ワトスンがホームズの死に直面していた時、ホームズは「そこにいた」わけです。

「(前略)それでも僕はもがきつづけて、ついに五、六フィートの深さのある岩のたなになった場所までたどりついた。一面に柔らかいこけで覆われて、どこからも見つけられることなしに、らくらくと手足をのばしていられる。君たち一行がやってきて、僕が死んだ前後の事情を、同情するばかりで一向に効果のあがらぬ方法で調べているあいだ、僕はじっとそこで横になっていたのだよ。(後略)」



ホームズもシャーロックも、自分の死に打ちのめされる親友を見ながら、何を考えていたのでしょう。
シャーロックは「文字通りその場にいた」ことをジョンにはっきり伝えようとはしませんし、ホームズの思いもワトスンに対して語られることはなかったのでしょうが、心中穏やかであったはずはない、と私は思います。

置いていった者の気持ちも、置いていかれた者の気持ちも、当事者にしかわかりません。
それぞれの気持ちを、それぞれがひとりで抱え続けた年月があったからこそ、「(ふたりが一緒だった)昔と同じ」という言葉は重いと思います。
「同じ」になることを、どれだけ二人が望んだことか。どれほどの、絶望と希望に苦しめられた数年間だったことか。そして、これから本当に「同じ」になれるのか。

「ヒーローに戻れて、喜んでるんだろ」「好きなんだろ、シャーロック・ホームズでいるのが」とシャーロックに聞くジョン。(関連記事:『ヒーローになる時』)
シャーロックが「ヒーロー」であることを誰よりも信じたかったのは、ジョンだったのかもしれません。
そのジョンの願いを、シャーロックはかなえてくれた。望んでいた奇跡を、シャーロックは起こしてくれた。
もう、誰が何と言おうと、シャーロックはヒーローなんですね。少なくともジョンにとっては。
シャーロックの答えはこうでした。

"Anyway, time to go and be Sherlock Holmes."
「さあ、行こう。シャーロック・ホームズの時間だ」 (拙訳)



(※原作からの引用はすべて延原謙訳)

降霊会?

放映直前、トレイラーにも使われていた、シャーロックの生存を信じる人々が集うこの場面。
なかなか衝撃的な妄想が繰り広げられています。(ホームズとモリアーティが同一人物とか、モリアーティがホームズの妄想の産物という説は聞いたことがあるのですが、ホームズとモリアーティが結託してワトスンを騙していた、という説もあったのでしょうか。ちょっと読んでみたい!)

トレイラー公開時は、ドラマの外側のファンである私たちも、もちろん大騒ぎしました。その模様は「#SHERLOCKLIVES」という記事で見ていただけるのですが、あの時コメント欄でトビィさんが「ドイルの真似をして降霊術をしているのかしら」とおっしゃっていましたね。

ドラマ本編を見た今、トビィさんはやはりご慧眼だったと思います。
まるで霊媒師のようなローラの雰囲気、輪になった座り方、秘密めいた小規模の集まり。19世紀にロンドンで流行したという、降霊会を彷彿させます。


彷彿しても実際見たことがあるわけじゃないので、手元にあるパスティーシュ「ロンドンの超能力男」(ダニエル・スタシャワー著・日暮雅通訳)から降霊会の場面を引用してみます。

「さて」クレッピーニはテーブルに両手をのせた。「みんなで手をつなぎ、一緒にあちらの世界と交信しましょう。一緒にわれわれは、われわれの世界と彼ら死者の世界を隔てる、はるかなる溝を越えるのです」クレッピーニは目を閉じて、口の中でうなり声を出しながら頭を前後にゆり動かしはじめた。「偉大なる霊魂よ、闇の存在よ、聞くがよい!われクレッピーニ、生者の国よりなんじを招かん!」
うなり声が大きくなり、クレッピーニの頭は大きく揺れた。「偉大なる霊よ……偉大なる霊よ……待て!」クレッピーニは背すじをぴんと立てると、部屋の反対側を見つめた。「存在を感じる!霊がここに来ているのがわかる!おお、霊よ、われを通じて話したまえ、われをなんじの声とさせたまえ!」さらに大きなうなり声を上げると、クレッピーニはテーブルに頭をがっくりと落とした。
私たちは、手をつないだまましばらく黙ってテーブルの上の頭を見つめていた。「死んじまったんじゃないのか」と若いセールスマンが口を開いた。
「静かにして!」連れの女の子が言った。「霊と交信しようとしてるんだわ」彼女はクレッピーニの身を気づかうようにかがみこんだ。「クレッピーニさん、大丈夫ですか?なにかお役に立てることがありますか?
と、その瞬間、クレッピーニはぱっと身を起こして、しわがれた笑い声をあげた。「わしはクレッピーニではない!」ほえるようなどら声だ。「わしはもはや、善良なクレッピーニではない!マグリン卿だ!死者の世界より、おまえたちに会うためにやってきたマグリン卿である。わしの出現により、この部屋も身震いしておるぞ!」
まるで恐怖に震えるかのように、灰色の幕が揺れ、テーブルがかたかた鳴った。
「まやかしだ」とセールスマンがささやいた。「自分でテーブルを揺らしてるじゃないか。幕を揺らしているのは女房のほうだ」



アンダースンやローラたちは、シャーロックの魂を呼び出そうとしているわけではなく、シャーロックが生きていると仮定(ていうかアンダースンは断定)して、その偽装死のトリックを考えよう、という集まりのようです。
"The Empty Hearse"という言葉は、「死体は存在しない=シャーロックは生きている」という彼らの主張を表しているのですね。そこにいないシャーロックの考えをなぞり、(それはある意味『死者との対話」と言えるのかも)復活を信じる。まあこれも降霊会の一種と言えないこともないような、あるような……

ホームズ・シリーズの作者、コナン・ドイルが心霊主義に傾倒していったのは有名な話です。(自ら降霊術を行ったかどうかはちょっとわからないのですが)

参照:wikipedia 「アーサー・コナン・ドイル」「心霊主義活動の本格化」の項

リンク先のwikiには、「後世にもシャーロック・ホームズの名は不朽の物として輝いているが、その生みの親であるコナン・ドイルの名は心霊主義のせいでどこか暗い影を差している。」という評があります。
この一文には、アンダースンの姿が重なって見えます。

アンダースンは「シャーロック生存説」に固執するあまり、いろいろなものを失ってしまいました。具体的にはヤードの職ですが、自身への社会的な評価もではないかと思います。
晩年のドイルもそうだったのでしょう。しかし、「コティングリー妖精事件」は偽りだったと判明したものの、ドイルが全面的に間違っていたかどうかは、まだ立証されていません。
アンダースンも、「偽装の方法」は推理しきれなかったものの、「シャーロックが生きている」という、ジョンやレストレードなど「まともな」人々が見抜けなかった真実にたどり着いていたのですよね。

こういう人に出会うと、「ホビットの冒険」の最後の章、冒険を終えて帰ってきたビルボを思いだします。

まもなくビルボは、自分のなくしたものがさじどころではないことを、はっきりとさとりました。ビルボは、まともな評判をなくしてしまいました。なるほど、そののちもずっとかわらずに、エルフの友でしたし、ドワーフ族や魔法使いの仲間や、この道を通っていく旅人たちからは、ふかい尊敬をうけましたけれども、もはやふるさとでは、ちゃんとしたひとではなかったのです。トックの家すじの若いおいやめいからは、変に思われませんでしたが、そんな若い者たちも、年上の者から、ビルボと仲良くするといい顔をされませんでした。
それでもビルボの方は、いっこうそんなことを気にかけませんでした。ビルボはすっかり満足していました。だんろにかかった湯わかしのわく音は、あの思いもかけない集まりの日よりむかしには、感じなかったほど美しい音色にきこえました。(瀬田貞二訳)



アンダースンが今後どうなるかわかりませんが、彼にしろ、ドイルにしろ、ビルボにしろ、私はうらやましく感じます。
社会の中での立場や、世間の評判を投げ出しても構わないくらい、自分にとって重要なものごとに出会えたら、それだけでも幸せな人生といえるのではないでしょうか。

アンダースンが「ライヘンバッハ」以前よりも幸せを感じているかどうかはわからないのですが、少なくともとても生き生きとして見えます。
そして、シャーロックとの関係も以前と違って見えます。アンダースンを小馬鹿にしていることは変わらないのですが、少なくともきちんと彼に向き合って、名前を呼んでいます。

シャーロックの思惑も、はっきりとはわかりません。アンダースンはシャーロックを『死』に追い込んだ一人でもあり、シャーロックをおびきだすために稚拙な策を弄して「やりすぎ」てるわけですから、慇懃に接しているのは皮肉と解釈するべきなのでしょう。
しかし、力の差はあっても、人の目を気にせず自分の推理を追及するという点において、二人ははじめから似ています。アンダースンをファーストネームで呼ぶようになったのが、それぞれの「行きて帰りし物語」を終えた上での、シャーロックなりの敬意が(ちょっぴりでも)あってのことだったらいいなあ、とアンダースンのために願っています。

僕のドクター

221Bに訪ねてきたジョンと、ぎこちなく会話をはじめるシャーロック。

来客と話しているホームズ→ワトスンが邪魔しないように立ち去ろうとする→ホームズが引き留める。
ついにこの場面を現代版で観られました!原作では何度かあったと思うのですが、「赤髪組合」が印象的です。

去年の秋のある日のこと、訪ねてみるとシャーロック・ホームズは、非常にからだつきのがっしりしたあから顔の、髪の毛の燃えるように赤い年配の紳士と、何事か熱心に要談中であった。うっかりはいってきた無作法を詫びて、出てゆこうとすると、ホームズがいきなり私をつかまえて部屋のなかへ引っぱりこみ、ドアをぴたりとしめた。



なぜ「赤髪組合」が印象的かというと、グラナダ版ではワトスンを引き留めようとしたホームズが素晴らしいジャンプを見せるのです。なんと、ソファの背をひらりと飛び越えます。
異人さんは足がなげえ!動きも速えだな!と子ども心に衝撃的でした。後に、ジェレミー・ブレットが特別足が長くて動きが速いのだと知ることになりますが……
ベネディクト・カンバーバッチ演じるシャーロックは、ソファの上に立ってましたね。親の顔が見たいです。

【追記:2014.5.11】ソファの背を飛び越えるジェレミー・ブレットについて、RMさんが連同記事を書いてくださいました!ベネディクトはご両親でしたが、こちらは息子さんとのエピソードです!「ソファの背をひらり」
【追記2:2014.5.11】良く見るとソファの手前のテーブルかもしれません……どっちもダメですが。


さて、ひげを剃って昔の顔に戻ったジョンと、初めて「ちゃんと」対面するシャーロック。

"So you've shaved it off then?"
"Yeah. Wasn't working for me."
"Yeah, I'm glad."
"You didn't like it?"
"No, I prefer my doctors clean-shaven."
"That's not a sentence you hear every day."

「剃ったんだな」
「ああ、僕には似合わなかった」
「そうか、 良かった」
「好きじゃなかった?」
「好きじゃない。 医者は綺麗にヒゲを剃ってるのがいい」
「あんまり聞かない表現だな」


「好きじゃない」という訳はいかにもこなれてなくて申し訳ないのですが(それこそカップルの会話みたいだな)、続くセンテンスでシャーロックは「ステーキはよく焼いたのより生焼けがいい」「酒はぬるめの燗がいい」「肴はあぶったイカでいい」みたいな言い方をしているので(違うのも混ざってますが)、そこらへんをどう反映させるか難しいところですね。

そんなこと(私のへっぽこ訳)より、ここでの大問題は"my doctors"ですよっ!

ホームズは、ワトスンの医師としての手腕をどの程度認めていたのか。これは私の中で長年の疑問です。
私はワトスンが好きなので、個人的にはホームズの「主治医」はワトスンでいて欲しいところです。
しかし、「瀕死の探偵」にはこんな会話があります。

ホームズは恐ろしい眼つきで私をにらみつけた。
「もしどうしても医者にかかる必要があるのなら、すくなくとも僕が信頼できる医者にきてもらうよ」
「僕じゃ信頼がもてないというのかい?」
「友人としてはたしかに信頼するよ。しかし事実は事実だからね。君は経験も少ないし、これという専門ももたないただの開業医にすぎないじゃないか。眼のまえにおいてあけすけにいうのも気の毒だけれども、これも君がむりに言わせたのだよ」
(中略)
「君の善意はわかっているんだ」病人は泣くようなうめき声を出した。「君の無学ぶりをさらけ出さなきゃならないのかい?タパヌリ熱って何だか知っているかい?台湾の黒爛病って何だか知っているかい?」
「そんな病気は聞いたことがないね」



もっとも、後でこれらの病名はホームズの捏造だとわかりますので、ワトスンが医者として誠実であることが窺え、読者には好感度アップです。ホームズも問題解決後は
「(前略)僕が医者としての君の才能を、それほど見くびっているとでも思うのかい?いくらか弱っているとはいっても、脈も熱もあがっていないものを、死にかかっている男だなんて、明敏な君が承知するはずないじゃないか。四ヤードも離れていればこそ、ごまかしもきいたのだ。(後略)」とフォローを入れています。(あ、この台詞は、"The Reihenbach Fall"でバーツの屋上に立ったシャーロックがジョンに『そこから動くな』という場面にもつながっていますね。)

しかし、ひっかかるのは「高名な依頼人」で暴漢に襲われたホームズが大けがをした時。

行ってみると有名な外科医サー・レスリー・オークショットがホールにいて、その人の馬車が表で待っていた。


この場合救急ですし、まあ色々な事情はあるでしょう。でもまだあります。

さて、ホームズの鉄のような健康体が、たえず過労を強要されるところへ、ときに自らおかす不摂生も加わって、衰弱の兆候を示しはじめたのは、一八九七年のことだった。
ハーリー街の名医ムーア・エーガー博士――この人をホームズが知るようになった劇的事情のことは他日にゆずるけれど――から、有名な私立探偵として引き受けているすべての事件から手をひき、完全に休養をとらないかぎり、とり返しのつかないことになると、積極的な宣告をうけたのが三月のことである。(『悪魔の足』)



「そこはワトスン君じゃないんだ!」というのが幼心にショックだったというか、大人の世界を垣間見たというか……ワトスン、一緒に転地療養してるんだからそばにいるのに!

ホームズが友人としてのワトスンを信頼し、ある意味精神的に依存していたのは間違いないと思うのですが、医師としてはどう評価していたんでしょう。
ジョンが診療している場面で、GP(総合診療医)という言葉が出てきましたが、リンク先ではイギリスの医療制度に触れています。ホームズも担当医と専門医を分けて考えたとして、ワトスンを"(One of)my doctor(s)"に値すると思ってはいたんでしょうが、この問題はずっと私の胸にひっかかっていたりします。

まあ、そっちはとりあえず置いておくとして、シャーロックは"my doctors"という表現にジョンと一緒にいたい、絶交したくないという気持ちを込めていますよね。「ひげを剃ってくれてよかった。だって君は(これからも)僕の医者だから」ということですものね。
ストレートに言わずに奇妙な表現をするシャーロックも、おそらくその真意をちゃんとわかっているくせに、あえて煙に巻かれてあげるジョンも、やっといつもの調子を取り戻したな、と思います。

そうして、ようやくいつもの肘掛け椅子におさまるジョン。「空家の冒険」で221Bに帰ってきたホームズの、この言葉が思いだされます。(関連記事:『ジョンの肘掛け椅子』)

「(前略)ロンドンに着くと、まずベーカー街の旧居に自身乗りこんで、おかみさんのハドスン夫人を気絶せんばかりに驚かしてしまった。旧居は兄のマイクロフトの骨折りで、書類などもそっくりそのまま、以前の通りに保存されていた。というわけで、きょうの午後二時には、昔なつかしいあの部屋の坐りなれた肘掛いすに僕は納まったわけだが、親友ワトスン君が昔どおり、おなじみのいすに掛けていないのだけが物足りなかった」



おかえり、ジョン。

(原作からの引用は全て延原謙訳)
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プロフィール
Author:ナツミ


シャーロック・ホームズが好きです。どちらかというとワトスン君がより好きです。

エイプリルフール記事を片付けました。

例年、背景画像を変えて違うサイトに擬態したり、ブログ名を変えたりと派手派手なネタが多かったのですが、すっかり過疎った状態で地味にひとつ記事を追加しただけの今年、多くの人の心にひっかき傷を残すことになろうとは……(追記参照)
マジすみませんでした……

ネットを見渡して思ったんですが、ウェブサイトがエイプリルフールに全力でウソをつく!という風習(?)自体が古びつつあるのかもしれませんね。
私は好きなんでやりたいですけど。

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このブログで考察した「元ネタ」を、ドラマの時系列に沿って探すための索引サイトです。 順次更新致します。 「21世紀探偵・ブリキの文書箱」
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