最初の挨拶
パンダとジョン

BBC制作、現代版シャーロック・ホームズのドラマ「SHERLOCK」ファンのブログです。
①正典/聖典(原作)と比較しながらドラマを観て、元ネタ探し
②ドラマでまだ出てこない原作の事件は、SHERLOCKだとどんな話になるのかな?と妄想する

…を一人で(主にトイレとかお風呂で)楽しんでいたのですが、
さまざまな方にご意見をいただけたら楽しいだろうなあ、と思って始めました。
ネタバレ満載ですのでお気をつけください!
★原作の文章を引用する際、主に新潮文庫版(延原謙・訳)を参考にさせていただいております。
★全ての記事は、推測やこじつけを基にしており、たまに妄想も入っております。ご了承の上ご利用ください。
★このサイト及び記事へのリンクは、どうぞご自由になさってください。
【お願い】 ★記事における間違いは、できる限り修正したいと考えております。お気づきの点がありましたら、ご教示いただけるとありがたいです。
★コメントを歓迎しております。初めてコメントくださる方は、こちらの記事をご一読いただければ幸いです。
→「コメントをくださる方へ
「あの場面の元ネタは?」という時はこちらへ
記事索引「ブリキの文書箱

ジョンの肘掛け椅子

ジョンが221bを初めて訪れた時、迷わずにひとつの肘掛け椅子を選んで腰を下ろします。
彼はこの時脚の調子がよくなかったので、何げない動作に見えるのですが、原作ファンにとっては感動の一瞬なんです。

この「ワトスンの肘掛け椅子」は原作にもありました。



…と、偉そうに言っておいて、wikiのワトスンのページにも使われている、一番よく見る挿絵を引用してみて愕然。
肘掛け、ついてない!

画像検索をかけてみると、ホームズが肘掛け椅子に座っている絵はいっぱい出てくるのですが、ワトスンは立っているか、簡易な椅子に掛けてる絵が多いですね。ひとつの画面に肘掛け椅子ふたつはさすがにうるさいから?

"SHERLOCK"の221Bでは、ジョンがどっかり腰掛けて、シャーロックが立ってうろうろしてる構図の方が多い印象があるのですが、これはシャーロックに落ち着きがないから、いや、若々しいからでしょうか…

のっけから怪しくなってきましたが、「ワトスンの椅子」はあるんですよ!本当に!
証人はほかならぬホームズです!

ライヘンバッハの滝で失踪して3年目、不意にワトスンの医院に現れたホームズが、それまでの経緯を語る長い長い台詞の最後のパラグラフ。

「(前略)ロンドンに着くと、まずベーカー街の旧居に自身乗りこんで、おかみさんのハドスン夫人を気絶せんばかりに驚かしてしまった。旧居は兄のマイクロフトの骨折りで、書類などもそっくりそのまま、以前の通りに保存されていた。というわけで、きょうの午後二時には、昔なつかしいあの部屋の坐りなれた肘掛いすに僕は納まったわけだが、親友ワトスン君が昔どおり、おなじみのいすに掛けていないのだけが物足りなかった」(『空家の冒険』)



「というわけで、」以下の文は、延原先生の素朴でしみじみとした語り口もいいんですが、原文もいいんです。
adornは「彩を添える」とか「飾る」、「魅力的にする」という感じで、もうひとつの椅子にワトスンがいないとあの部屋の景色が完成しないんだ、というホームズの気持ちが、和訳とはまた違ったかたちで伝わってきますよね。だからこそ、ジョンがあの椅子に「納まった」瞬間にはちょっとした感動があります。

So it was, my dear Watson, that at two o’clock to-day I found myself in my old armchair in my own old room, and only wishing that I could have seen my old friend Watson in the other chair which he has so often adorned.”



感動したのはいいんですが、まだ「肘掛け」問題は解決しておりません。
原作のワトスンとホームズはずっと一緒に暮らしていたわけではなくて、何度か疎遠になっている時期があり、その都度「再会」があります。まず、ワトスンがメアリ・モースタン嬢と結婚して221Bを出たあと、ホームズとの交流が復活するまでしばらく間があります。(その間にワトスンは医院を開業して経営を軌道に乗せているので、結構長いブランクだと思われます。)二人の「再会」は「ボヘミアの醜聞」で描かれます。次に、「最後の事件」から二年余りのホームズの失踪。いわゆる「大空白時代」ですね。再会は上記の「空家の冒険」です。
その後また221Bで同居を始めますが、ホームズが探偵をやめてサセックスに引っ越すよりも前に、ワトスンは221Bを出ています。理由は、再婚という説が有力なようですが、メアリの時のように妻が描かれることはありません。何があったかわかりませんが、またここで二人の間にすこし距離が置かれ、ワトスンが久しぶりに訪ねてくる場面が「マザリンの宝石」にあります。「よく道を忘れずに来てくれた」とワトスンを迎えるホームズ。(ちなみに原文は"it is good to see you in your old quarters once again." ワトスンが出て行ったことにもなかなか訪ねてこないことにも不満なホームズの皮肉を汲み取った、名訳だと思います…)

「(前略)アルコールやってもいいのかい?ガソジンも葉巻も昔と同じところにある。まあ昔よく掛けたひじ掛け椅子に納まってみせてくれたまえ。僕はあいかわらずパイプで哀れなタバコをやっているが、いやになってやしないだろうね?(後略)」



やはり、「おなじみの椅子」は肘掛け椅子(the customary armchair)だったようです。
隠退直前の事件の話、「這う男」には、「ひじ掛け椅子におさまってひざを立て」たホームズが、「片手をあげてなつかしい私のひじかけ椅子のほうに振った」という描写があるので、ホームズ、ワトスンそれぞれに肘掛け椅子があるようですね。
こちらの挿絵には両方の椅子に肘掛けがついています。


ホームズは自分の椅子を懐かしい、慕わしい場所と感じていて、もうひとつの椅子にはワトスンが座っていて欲しいのですね。一方、「這う男」でワトスンは「ホームズは自分に話しかけながら思索を進めるのが好きだけれど、大部分はベッドに向かって話しかけているようなもの」というようなことを言っています。

「そこにいて欲しい」という思いは、友情とか感傷とか、美しい言葉だけで語れるものではないのかもしれません。ホームズの支配者的な資質に起因しているかもしれないし、「同じ場所にあるべきものがないと落ち着かない」という、神経症的な理由があるのかもしれないですよね。それに対するワトスンの苛立ちとか、二人の間の倦怠感とか、離れたい衝動とか、二人の友人の歴史にはそういう負の要素も含まれていたのだと思います。
でも、たとえ相手を疎ましく思っている時や、忘れている時でも、それぞれの居場所はお互いの心にいつもあって、ホームズにとってのワトスンの居場所の象徴が、この椅子だったのでしょうね。
今はどこでどうしているのかわからないシャーロックも、あの肘掛け椅子にジョンが座っている光景を思い浮かべることがあるのでしょうか。

(原作の引用はすべて延原謙訳)
スポンサーサイト

呼び鈴今昔

"A single ring."
「一回だけ鳴った」
"Maximum pressure,just under the half second."
「おもいきり強く 0.5秒」
""Client!""
「「依頼人だ!」」(拙訳)



呼び鈴の音から、待望の依頼人がやってきたことを知るシャーロックとジョン。

玄関はハドスンさんも使いますので、依頼人以外のお客さんも呼び鈴を押すわけですが、「依頼人ならではの鳴らし方」を二人とも熟知しているようです。「ヴァチカンのカメオ」もそうでしたが、視聴者にはわからなくても二人で共有している事柄が第一シリーズよりも増えていることに、時間の流れを感じます。

原作でも、呼び鈴を聞いてホームズとワトスンが「誰だろう」と話す場面があります。これは「オレンジの種五つ」から。ひどい嵐の夜のお話です。

「おや!」ふと私は顔をあげて、ホームズを見た。「呼鈴が鳴ったようじゃないか。こんな晩に誰が来たのだろう?君の友人だろうね?」
「僕は君のほかに、友達は一人もないよ。話しに来いと人にすすめたこともない」
「じゃ依頼人かな?」
「もしそうなら、重大な事件だね。さもなければこんな日に、しかもこんな時刻になって来るはずがないよ。だが僕は、下宿のかみさんの仲よしでも来たとするほうが、あたっていると思う」



このホームズの憶測ははずれ、やってきたのは依頼人でした。嵐に紛れてよく聞こえなかったというハンデはあるものの、呼び鈴に関しては現代版シャーロックの方がよく注意しているようですね。

原作にも呼び鈴はしょっちゅう出てくるのですが、覚えている限りでは、221Bの呼び鈴を強く鳴らした依頼人は「ボヘミアの醜聞」のボヘミア王、「ノーウッドの建築師」のマクファーレン青年でしょうか。ほかにもいたら教えていただければ嬉しいです。

呼び鈴だけが材料ではないのですが、まだ通りにいる依頼人の仕草から、持ち込まれるであろう事件の種類を ホームズが当ててみせる場面があります。

彼女はこの非凡な服装で、からだを前後にゆらせて、手袋のボタンをまさぐりながら、おずおずとこっちの窓を見上げていると思ったら、まるで水泳選手のスタートの時のように、勢いよく往来へとびだして、こちらがわへわたってきた。そしてすぐに、ベルの音がはげしく鳴りひびいた。
「こういう徴候をみかけるのは、これがはじめてじゃない」といって、ホームズは吸いかけのタバコを暖炉のなかへ投げすてた。「入口まできてためらうのは、かならず恋愛問題だ。相談はしたいが、人にうちあけるにはちと恥ずかしい気がする。もっともこれにも差異はある。男にひどい目にあわされたのなら、その女はためらいなぞしていない。その場合は呼鈴の紐が切れるのが普通だ。きょうのやつは、恋愛問題であることは間違いないと思うが、女は当惑し、悲しんでこそいるけれど、怒ってはいないらしい。いずれにしても、本人が来たようだから、どっちだかはっきりとするだろう」



女心の分析は完璧なんですよね、分析は。
クリスマスにモリーのプレゼントの相手を解析しようとしたシャーロックもそうでしたが…

話がそれましたが、当時の呼び鈴はボタンを押すのでなく紐(bell-pull)を引いて鳴らす方式ですね。また、玄関から中にいる人を呼び出すものだけではなく、各部屋から使用人を呼ぶためのものもあったようです。「緋色の研究」では、いつも寝坊なのに、たまに早く起きたワトスンが朝食を用意してもらうためにベルを鳴らしています。  
「まだらの紐」や「アベ農園」では呼び鈴の紐が重要な役割を果たします。「海軍条約文書事件」では、当時の呼び鈴のしくみを垣間見ることができます。

彼は私の顔を見てから、まだ震動しているベルを見あげて、いよいよ不思議そうな顔をしました。
『あなたさまはここにいらっしゃるのに、誰がベルをお鳴らしになったのでしょう?』
『そのベルは、いったい何のベルだね?』
『あなたさまのお仕事をしていらっしゃるお部屋のベルなんで』



大きな役所や邸宅の使用人は、どの部屋から呼び出されたか知ることができたのですね。映画「日の名残り」でもこのような形式の呼び鈴を見た記憶があります。

現代版ではハドスンさんは「家政婦じゃなく大家」なので、当然彼女を呼び出すベルはありません。
でも、いちいち話しにいくのが面倒なのは同じようで、ジョンのブログのコメント欄ではこんなやりとりが…

腹ぺこだ。ブランチに行きたい人は?
John Watson 12 March 11:57

ブランチ!いいわね!
Mrs Hudson 12 March 11:58

面倒だ。何か上に持ってきてください、ハドスンさん。
Sherlock Holmes 12 March 12:01

私は家政婦じゃありません!
Mrs Hudson 12 March 12:02

(中略)

ごめんなさい、ハドスンさん。ジョンの目が言ってます。今のは失言だったようです。
Sherlock Holmes 12 March 12:09

お願いです、ハドスンさん。本当に欲しいんです…ブランチが。
Sherlock Holmes 12 March 12:13
(拙訳)



ちなみに"The Woman"のコメント欄です。あっさり「二度慈悲を乞う」シャーロック…はほっといて、同じ部屋にいるのにネット上で話すシャーロックとジョン、同じ家の階下からその会話に参加するハドスンさん。
呼び鈴でハドスンさんを呼んでいたホームズやワトスンが見たら、どう思うんでしょうね。
(原作からの引用はすべて延原謙訳)

つまらない事件

シリーズ2の冒頭では、前回ラストシーンの続きの後、ジョンのブログ効果で名が売れてきたシャーロックを訪れる依頼人たちが描かれます。でも、その大部分は話し始めてすぐにシャーロックに「つまらない!」と一蹴されてしまう模様。シャーロックが興味を示した「オタクの伝道者」や「まだらのブロンド」などの事件は既に記事にしているので(『ジョンのブログ』カテゴリをごらんください)、今回は「つまらない」事件に目を向けてみようと思います。


1、「妻がすごく長い間オフィスにいる事件」
  「夫が浮気してるかもしれない事件」


前者は「つまらん」の一言で片付けられ、後者には「そうだ」の一言。

後者の事件は曲がりなりにも解決したんでまあいいんですが、前者はちょっと気になります。
妻が「一定の場所に拘束されている」と考えると、「赤毛連盟」や「株式仲買店員」、「3人ガリデブ」のパターンを思い出します。背後ですごい事件が進行していたことが後に判明する(もちろんジムの仕業)のではないかと想像していましたが、考えすぎだったようです。

2、「おばの遺灰がすりかえられた事件」

この事件は後の展開への伏線ですね。ひょっとしたら1の事件にも背景が設定されていたものの、シャーロックがあまりにも多くの事件を見逃しているのもどうか、ということで見直されたのかもしれません。

遺体すりかえ事件といえば「フランシス・カーファックス姫の失踪」。
目的は逆ですが、死体を使ったトリック、という点ではこの事件とマイクロフトの作戦は同じですね。
「フランシス~」では犯人たちによって大きな棺桶が特注されますが、ボンド航空のジャンボジェットも、空飛ぶ巨大な棺桶と言えるかもしれませんね。

3、「ファイル紛失事件」

かなりお金のある人の依頼らしいこと、重要なファイルの"recovery"(回収、復旧)が依頼内容であることから、「第二の汚点」事件を思い出すのですが、原作のこの事件は、国際問題の絡んだセンセーショナルな事件でした。ワトスンも事件名をちらつかせては「いつか書く」と約束しておいて、読者の熱望を受けての発表、という焦らしぶり。もしこの事件が元ネタだとしたら、あまりにもどうでもよさそうな処理に笑ってしまいます。
ちなみにこのファイルって、コンピュータ上のファイルだと私は思いこんでたんですが、考えてみたらそれは探偵じゃなくてエンジニアの仕事ですよね。原作同様、紙文書の回収が依頼内容なのでしょうか。それとも、何でも屋だと思われちゃったんでしょうか。


4、「おじいさんに会わせてもらえなかった事件」
子どもにも人気のジョンブログ。「子どもが依頼人」というパターンは、原作にはありませんでした。時代の流れでベーカーストリート・イレギュラーズは大人という設定になりましたが、識字率もコンピュータの普及率も高い今、ブログは子どもにも読めますものね。これも2の事件同様、マイクロフトの作戦とつながっているのですが、この時点では2、4の事件の背後にあるものにシャーロックは気づいていません。

子どもと言えば、2話ではうさぎのブルーベルの事件が意外な伏線となっていましたね。このように、依頼された時点では他愛もない相談のように見えたのに、実は氷山の一角に過ぎなかった、という例は原作にもあります。

「椈(ぶな)屋敷」では、ホームズにこんな手紙が舞い込みます。

 

シャーロック・ホームズさま
 私はただいま家庭教師の口が一つあるのでございますが、行ってもよろしいかどうか、あなたにお教え願いたいと存じます。(後略)



これを読んだホームズは、「落ちるところまで落ちたらしい」「紛失した鉛筆をさがすとか、寄宿学校出の世間を知らぬ娘の相談相手になるくらいが関の山になりそうだ」と嘆いてみせますが、ワトスンは「こいつは君の予想に反して、案外おもしろい展開をみせるかもしれないよ。いつかの青いガーネット事件なんかも、はじめはつまらないいたずら気分だったのが、あのとおりの大事件になったんだからね。こんどのだって、調べてゆくうち案外大ものになるかもしれないよ」と励まします。その言葉通り、この「つまらない事件」から、一件平和な郊外の家庭に隠された犯罪が暴きだされることになります。

ではホームズは大事件であればあるほど燃えるのか、というと、そういうことでもないらしく、「花婿失踪事件」でこんなことを言っています。

「(前略)とるに足らぬ事件のなかにこそ、つねに観察の場があり、原因と結果とを敏速に分析する活きた舞台があり、そこにこそこの仕事のもつ魅力があるのだと思う。大きい犯罪と言うものは、とかく簡単でありがちだ。というのは、犯罪が大きければ大きいだけ、がいして動機が明瞭なものだからね。(後略)」



ホームズにとっては事件の規模の大小は関係なく、動機や手法が面白い(状況から解析しにくい)ことが大事で、簡単過ぎると「魅力がない」わけですね。個人や家庭に起こった事件を殺人事件や国際問題よりも軽視しているわけではなく、どんな事件でも、動機や手法が明白だと心をひかれないのでしょう。
それはシャーロックにとっても同じで、一見奇妙な若者の戯言に聞こえる「オタクの~」事件には腰を上げています。
「つまらん」で済ませてしまった「妻が長い間オフィスにいる事件」は、きっとあの時点で正解がわかってしまったのでしょう。

・ベラルーシの事件(第1シリーズ3話)のように、痴話喧嘩に過ぎないことが明らかで、興味が湧かなかった
・妻が不倫している徴候を夫からシャーロックが読み取ったなど、事件として簡単過ぎた

という感じでしょうか。


すぐに追い返してしまった依頼人たちにもジョンが何かフォローをしていると思うのですが、おばさんの遺灰や孫とおじいちゃん、ブルーベルの事件のように「つまらない」相談の裏に「おもしろい」事件あり、というパターンが続いていることですし、あまり依頼人を無下にしないであげて欲しいものです。マイクロフトにもイヤミを言われちゃいましたしね…

友達と敵と

このお話には、「友達」と「敵」に関する会話が3回出てきますね。
1度目はマイクロフトとジョン。

「彼に会ったろう?彼に何人友達がいると思う?私は友達に最も近い立場だ」
「近い立場とは?」
「敵だ」
「敵?」
「彼にとってはまさにね。本人に聞いてごらん、多分宿敵だというよ」


この時点では、マイクロフトはまだ正体不明。彼の得体の知れない雰囲気が、この言葉で盛り上がります。その後、実際にシャーロックはマイクロフトを敵と言い放ちます。

原作の「唇の捩れた男」に、「友達」と「敵」が出てくる会話があることに気づきました。
事情があってアヘン窟を訪れたワトスンは、老人に変装して潜入捜査をしているホームズと鉢合わせます。

「あんなところで君に会うなんて、まったく思いもよらなかったよ」
「僕のほうがよっぽど驚いたよ。まさかあんなところに君が来ようとはね」
「友人をさがしに行ったんだ」
「僕は仇敵をさがしに行った」
「仇敵?」
「そうさ。僕にとっちゃ先天的な仇敵のひとり、いや、宿命のえじきというべきかな。(後略・延原謙訳)


同じ場所に、ワトスンは友人を探しに、ホームズは敵を探しに行ったわけですね。

"A Study in Pink"に戻りましょう。アンジェロの店で、ジョンは「普通、人には宿敵なんていないものだ」とつぶやきます。

「じゃあ『普通の人』は何を持っているの?『現実の生活』では?」
「友達かな? 知人、好きな人、嫌いな人、ガールフレンド、ボーイフレンド…」(拙訳)



この後、シャーロックに「交際を申し込まれている」と誤解されそうになったジョンはあわてて「そういう意味じゃなくて、僕は君が『普通』じゃなくてもいいって言ってるんだ」と説明します。
ジョンは、別に深い意味を持ってそう告げたわけではないんだろうなあ、と私は思うのですが(誤解を解きたい気持ちが強かったんじゃないでしょうか)、思わず漏れたジョンの本音というか、人としての基本的な姿勢というか、とにかくこの言葉、シャーロックの心にものすごく響いてしまったみたいです。ジョンにとっては幸か不幸か……(いや、すみません、幸です!)

ここから二人の鉄壁の信頼関係が始まるわけですが、偶然鉢合わせたホームズとワトスンも、そのまま冒険に出かけます。ワトスンは友人を救うためにアヘン窟を訪れ、妻の待つ「普通の世界」に送り返したのですけれど、「普通の世界」ではないところに「仇敵」を持ち、しょっちゅう出入りしているホームズに「そんなところに行くな」とは言わないんですね。ワトスンにとっても、ホームズが「普通」かどうかはどうでもよいことなのでしょう。

この頃のワトスンは既にメアリと結婚していて、開業医としても忙しそう。アヘン窟に出向く前、家にいるワトスンの描写からは、幸せそうな生活がうかがえます。もしそれが「普通」の生活だとしたら、ワトスンは普通の生活を時折飛び出しては、「普通じゃない」ホームズの冒険に加わっていることになります。
ワトスンが結婚した当初は二人は疎遠になっていて、素直に会いに行けないようなわだかまりを抱えていたことが「ボヘミアの醜聞」での再会シーンから推察されますが、この頃の二人はもうそういう時期を乗り越えていますね。ワトスンにとってホームズが「普通でなくてもいい」ように、ホームズもワトスンが「普通でもいい」と思えたのかもしれません。






プロフィール

Author:ナツミ
シャーロック・ホームズが好きです。どちらかというとワトスンがより好きです。

2017年エイプリル・フールお片付けしました。お付き合いありがとうございました!片付けきれてないところがあったらお知らせいただければありがたいです。

メールはこちらへ

Twitter
最新記事
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
索引
このブログで考察した「元ネタ」を、ドラマの時系列に沿って探すための索引サイトです。 順次更新致します。 「21世紀探偵・ブリキの文書箱」
最新トラックバック
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR
blog mura