最初の挨拶
パンダとジョン

BBC制作、現代版シャーロック・ホームズのドラマ「SHERLOCK」ファンのブログです。
①正典/聖典(原作)と比較しながらドラマを観て、元ネタ探し
②ドラマでまだ出てこない原作の事件は、SHERLOCKだとどんな話になるのかな?と妄想する

…を一人で(主にトイレとかお風呂で)楽しんでいたのですが、
さまざまな方にご意見をいただけたら楽しいだろうなあ、と思って始めました。
ネタバレ満載ですのでお気をつけください!
★原作の文章を引用する際、主に新潮文庫版(延原謙・訳)を参考にさせていただいております。
★全ての記事は、推測やこじつけを基にしており、たまに妄想も入っております。ご了承の上ご利用ください。
★このサイト及び記事へのリンクは、どうぞご自由になさってください。
【お願い】 ★記事における間違いは、できる限り修正したいと考えております。お気づきの点がありましたら、ご教示いただけるとありがたいです。
★コメントを歓迎しております。初めてコメントくださる方は、こちらの記事をご一読いただければ幸いです。
→「コメントをくださる方へ
「あの場面の元ネタは?」という時はこちらへ
記事索引「ブリキの文書箱

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

(事件の重要なネタバレ)リバティ

ヘンリーの記憶にあった言葉、「リバティ・イン」。
シャーロックの「マインド・パレス」では、アメリカのインディアナ州にある町リバティ、という結論に達しましたが、「リバティ」はホームズシリーズが掲載されたアメリカの雑誌の名前でもあります。

Wikipediaでホームズシリーズの作品名を検索すると、初出誌も出ています。

第一作・『緋色の研究』はイギリスの「ビートンのクリスマス年鑑」に発表されましたが、それほど人気は出なかったようです。
しかし、アメリカの「リピンコット・マガジン」という雑誌に目をつけられ、二作目の『四つの署名』が掲載されることになります。
続く第三作目にして初の短編、「ボヘミアの醜聞」以降の作品はすべてイギリスの「ストランド・マガジン」に載るのですが、「シャーロック・ホームズの帰還」に載っている作品あたりから、アメリカの「コリアーズ・ウィークリー」や「リバティ」にも掲載されているようです。

よく見ると、たまにアメリカの雑誌への掲載の方が「ストランド」より早いのもありますね。
なんか、いろんな「大人の事情」があったんでしょうね……

「リバティ」に掲載された作品は、「白面の兵士」「三破風館」「ショスコム荘」「隠居絵具屋」。
見落としがあったら申し訳ありません。
スポンサーサイト

ヴァチカンのカメオ

アイリーン宅にて、金庫を開くときシャーロックが「ヴァチカンのカメオ!」と叫びます。
するとジョンが姿勢を低くし、金庫から銃が発射される…

この場面、「SHERLOCK」ファンの間ではかなり以前からその「元ネタ」は何か?と話題になっていたようで、何度か「どう思われますか?」とお声をかけていただきました。こういう時、細々とですがブログを続けていてよかったと思います。ありがとうございました!

メールを下さった方々も看破されていますが、「ヴァチカンのカメオ」は「語られざる事件」の一つで、「バスカヴィル家の犬」に出てきます。

「(前略)当時の新聞でちょっと見ることは見たのですが、ヴァチカンのカメオ事件というちょっとした事件で忙しく、ローマ法王を何とか安心させてやりたいと一生懸命だったので、イギリスのおもしろそうな事件をいくつか取り逃がしてしまいました。(後略・延原謙訳)」


シャーロックはジョンに向かって言っているようなので、おそらく現代版ではこの事件が先に起こっていて、そこでジョンに「とっさの危険」を悟らせるような何かが起こったのでしょう。

シャーロックやジョンになったつもりで考えてみると、これは「ノーバリ」じゃないでしょうか。

「ワトスン君、これからさきもし僕が、自分の力を過信したり、事件にたいしてそれ相当の骨折りを惜しんだりするようなことがあったら、ひとこと僕の耳に、『ノーバリ』とささやいてくれたまえ。そうしてくれれば僕は非常にありがたい」(『黄いろい顔』延原謙訳)


要するに、ホームズとワトスンの間だけで通じる「合言葉」ですね。
シャーロックとジョンも二人だけの隠語らしき表現を使っています。

「ほら、6だ。7以下だったら僕がフラットを留守にしても意味がないって二人で決めたろ」(拙訳)



これはおそらく、事件の難易度を数値化したものです。
プールでジムと別れてからどれくらい時間が経ったかはわかりませんが、いつのまにか二人がこういう表現をするようになったということは、他にも合言葉ができたと考えてよいと思います。

ここからはただの屁理屈です。

もしシャーロックとジョンがローマ教皇庁に関わったとしたら、きっとトップシークレット扱いになりますよね。
ジョンが「ヴァチカンのカメオ」という題で記録を書いたものの、ブログでの発表を「取り下げる(withdraw)」ことになったとします。
そこから二人の間で「姿勢を低くしろ(Duck low)」というときの暗号をこの言葉にしよう,という了解が生まれた、という仮説も立てられなくはないんじゃないでしょうか。
日本語の「伏せる」という言葉からの発想なので、英語圏の人に似た感覚があるかどうか(『事実を伏せる』のと『体を伏せる』のに同じような言葉を使うかどうか)は怪しいですが……

まあこの「由来」はほんとに屁理屈ですので、普通に考えれば、アイリーンの金庫と似たような仕掛けが「ヴァチカンのカメオ事件」中に登場したのでしょう。しかし「ヴァチカンのカメオ」が合言葉として取り決められた言葉であるのは、ジョンの反応の速さからいって間違いないと思います。

原作で銃の仕掛けといえば「ソア橋」。
(製作者側の選択として)「ソア・ブリッジ!」を暗号にした方がわかりやすいだろう、というご意見が聞こえてくるようですが……そこはほら、アレですよ、「ヴァチカンのカメオ」のほうがかっこいいじゃないですか……(自信なさげな反論)ジョンの表現を借りれば「すごくジェームズ・ボンドっぽい(It was all very James Bond)」感じがしませんか?

図に乗って、元ネタ探しの枠を超えて妄想を語ってしまい申し訳ありません。
(あと今DVDを人に貸しているので、コメンタリーとかで正解が出てたらすみません…)
知性は枯渇しておりますが、妄想だけは潤沢にございます。

パスティーシュを持ち出すときりがないかもしれませんが、たまたま知っているものだけ挙げますと、ジューン・トムスンが「ヴァチカンのカメオ事件」をもとにしたお話を書いています。
金庫は登場しますが、銃の仕掛けはなかったです。
比較的新しいものではないかと思うのですが、こんなのも見つけました。

Murder in the Vatican~The Church Mysteries of Sherlock Holmes
by Ann Margaret Lewis


【追記:2013.5.16】別記事のコメント欄で以前取り上げましたが、その後、「実在する英国軍の符牒である」が主流になっているようです。
まだ裏付けが取れていないのですが、「ヴァチカンのカメオ」で検索してくださる方が大変多いこと、メールで何度かご指摘いただいていることから、有力な説として記事内に追記させていただきます。

【追記:2014.6.23】第3シリーズで「ヴァチカンのカメオ」の意味が明らかになりました。
【事件の重要なネタバレ】ヴァチカンのカメオ(S3編)
リンク先の記事では、第3シリーズ2話の謎解きの核心に触れております。未見の方はご注意ください。



ホームズの友人たち

シーズン2第3話は本当にドラマチックな展開で(ドラマにドラマチックというのもなんか変ですが)、ここに何か書きたい衝動と、多少なりとも読んで下さっている方のお顔がイメージできるようになってきた今、余計な先入観なしに楽しんでいただきたい!という奇妙なファン心理の板ばさみです。
そんなわけで、当たり障りのなさそうなところから、おっかなびっくり更新しております。

さて、前にも書きましたが、ジョンとマイクロフトは、シャーロックに知らせずに連絡を取り続けているようです(当のシャーロックはいちいち気づいているようですが)。
その中でこんな会話が。

"Someone called Brook. Recognise the name?"
"School friend, maybe?"
"Of Sherlock's?"

マイクロフト「ブルックと呼ばれている人間だ この名前に覚えは?」
ジョン「学校の友達かな」
マイクロフト「(笑って)シャーロックのかい?」(拙訳)


マイクロフトの笑い方は「シャーロックに学生時代の友人なんているものか」という感じでしたが、ジョンは第1シーズンの2話でセバスチャンに会っていますよね。

原作のホームズは、ワトスンに「君のほかに友人は一人もいない」と言っていますが(『オレンジの種五つ』)、少なくとも学生時代には友達がいたようです。

まず、「グロリア・スコット号」に出てくるヴィクター・トリヴァ。
ホームズが「カレッジにいた二年間に得た唯一の親友」だそうです。

「僕はそのころもきわめて非社交的な男だった。いつも自分の部屋にくすぶって、独りでつまらない思索にふけっていたものだから、自然同年輩の男とは交わったことがなかった。剣術と拳闘をのぞいては、運動競技のほうにもあんまり趣味がなかったし、それにまた、ほかの連中とは研究の方面がまるで違っていたから、従って接触する機会というものがまるでなかったのだ。」


「研究の方面」というのは、ホームズはその頃から犯罪、観察、推理などに興味を持って独自に研究を進めていたということだと思います。また、この頃のワトスンがラグビーというチームスポーツに熱中していたのに対し、ホームズは個人で練習でき、しかも実用的な格闘技にしか興味がなかったというのも対照的で面白いです。

トリヴァとの出会いは、彼の飼っていたブルテリヤがホームズのくるぶしに噛みついた、というなかなか劇的なもの。(なんで噛みつかれたんだろう…)
ホームズは10日間ほど寝込む羽目になり、トリヴァが見舞いにきているうちにだんだん仲良くなったようです。

「ヴィクターは多血質の元気のいい男で、全身これ意気と勢力とでもいうか、ほとんどどの点からみても、僕とは性質相反する男なのだが、それでいて共通する点のいくつかあることもわかった。そして彼もまた友人がないのだと知ってから、二人はいよいよ親密さをましてきた。」


カレッジの休暇中、ホームズはトリヴァの田舎に招待を受け、そこで探偵の才能を発揮することになります。
トリヴァの父から「これで身を立てるといい」と勧められたことが、ホームズがその後職業探偵となるきっかけになります。トリヴァとの出会いがホームズに探偵の道を選ばせた、といってもいいですね。

ところで、ワトスンにこの話を語る中で、ホームズはトリヴァをファーストネームで呼んでいます。学生時代の友人らしくていいなあ!とちょっと胸キュンだった私ですが、トリヴァの台詞には「ホームズ君」とあるんですよね。
たぶん、お父さんのトリヴァ老人と区別するために便宜上ファーストネームを使ったのでしょう。無駄キュン。

それから「マスグレーヴ家の儀式」のレジナルド・マスグレーヴ。

カレッジを出たあと、探偵を志したホームズは「モンタギュー街の、大英博物館の角を曲がったところ」に間借りしますが、この頃は不遇な下積み時代でした。ときどき転がり込んでくる事件と言えば、学生時代の友人の紹介によるもの。そのうち3番目の依頼を持ちこんだのがマスグレーヴ。「グロリア・スコット号」事件のあと、ホームズが探偵をやるということはカレッジの噂になったようです。

マスグレーヴは「イギリス屈指の名門の生まれ」で、「落ち着いた上品な物腰」の青年。「自負心が強すぎる」とあまり人望はなかったようですが、それは「生来の極端な内気さを隠そうがためにすぎない」とホームズは見抜いていました。
彼の場合は、学生時代それほど仲がよかったわけではなさそうなので、トリヴァ君よりは現代版のセバスチャンに近い関係かもしれないです。ただ

「ちょいちょいその男と話しこむことなどあったが、今でも思い出すのは、彼が僕の観察と推理の法を知って、ことのほか面白がったことも一再ではなかった。」


とあるので、興味や関心においては、トリヴァより共通点があったのかもしれませんね。それにしても、推理を褒められたり興味を持ってもらったことは絶対忘れないよな、ホームズは…

いずれにしても、事件後トリヴァ君はインドに旅立ち、二度と会うことはなかったようです。マスグレーヴ君ともその後の付き合いはなさそう。

では、大人になってからはどうなのでしょう。
ワトスンとホームズは、ずっと一緒に暮らしていたわけではありません。ワトスンは少なくとも一度、結婚してベーカー街を出ています。メアリとの結婚でワトスンが221Bを出てからの何年かと、ホームズがライヘンバッハの滝で「死亡した」のちの3年間にかけて、二人は離れていました。
その後、ホームズの希望でまた同居を始めますが、「マザリンの宝石」や「這う男」など、ホームズ隠退直前の作品ではワトスンは外から訪ねてくる様子なので、その頃から後はずっと別々のようです。
隠退後、サセックスで養蜂家としての生活を始めたホームズは「このころワトスンは私の身辺からほとんど姿を消していた。週末など、時々訪ねてくるくらいなものである」と書いています。(『ライオンのたてがみ』)まだロンドンで医業を続けていたのかもしれません。

そして、サセックスでホームズは友人を得ます。
彼の家からそれほど離れていないところにあった職業訓練校「ザ・ゲーブルス」の経営者、ハロルド・スタクハーストです。

「スタクハースト自身は、若い頃は大学の有名なボート選手で、万能の優等生だった。私はこの海岸に住みついて以来親しくしてきたが、ここでは夜など招待もないのにふらりと、どっちからでも訪ねていい唯一の人物なのである。」


訪問し合うだけでなく、一緒に散歩をしたり水泳を楽しんだりしていたようです。

ワトスンが「姿を消していた」ことをホームズはちょっと恨みがましい感じで書いていますが、ワトスンの方では、陽気で快活、公明正大なスタクハーストがホームズと気の置けない付き合いをしていることが嬉しかったんじゃないかな、と思います。
ホームズが少し自己中心的なのに対し、ワトスンは「相手の幸せを願う」というとかっこよすぎかもしれませんが、人間関係を客観的に見ようとするところがある気がします。「四つの署名」では自分の気持ちよりもメアリの幸せを優先したいと思うゆえに葛藤していましたし、「犯人は二人」でホームズが「婚約した」と言い出したときなんて、驚きながらも反射的に祝福の言葉を言いかけていましたしね。
週末にワトスンがサセックスを訪ねれば、「ザ・ゲーブルズ」の教師たちも交えて、わいわい楽しんだりもしたんじゃないでしょうか。
そんなビールのCMのような光景、ロンドンでのホームズからは想像もつきませんが、長く生きていれば人も人間関係も変わるものだ、と思います。

ちなみにワトスンですが、この頃もこの後も、ずっとホームズの物語を発表し続けていますので(年に1~2作のペースではありますが)、ホームズを忘れてしまったということはありません。
というよりも、ワトスンはホームズと一緒にいる間は作品の発表を止められがちなので、ほとんどのお話はホームズが「死んでいた」3年間か、ホームズ隠退後に発表されているんですね。基本的に「回想録」なので、事件解決から発表までの期間も長いです。
これは、ほぼリアルタイムでブログを発表しているジョンとの大きな違いです。

さて、現代版では、この後シャーロックに友達はできるのでしょうか。
今のところ「友達」と呼べるのはジョンだけかもしれませんが、ハドスン夫人やレストレードだって、シャーロックとは既に絆があるはず。
だんだんと、人とのつながりが増えていくのかもしれませんね。個人的には、アンダーソンとの凸凹コンビを見たいなあ、なんて思っています。

(原作の引用部分は全て延原謙訳)

シャーロックの住所

ひとつ前の記事で「221Bか、ハドスンさんのところか」という書き方をしたところ、たまたま読んでくれていた友人に「ハドスンさんの住所が221Bではないの?」と聞かれたのですが、私は日本語wikiにあるこの情報を前提にしておりました。

221Bの「B」はラテン語・フランス語のビス(第2の)に由来し、建物の増改築などによって同じ番地に2軒の住宅が建つことになった場合などに使われた記号で、この住所の場合は階上にあることを示していた。ホームズたちの下宿は2階にあったが、1階のハドスン夫人の自宅が221Aだったというわけではない。

つまり、母屋というか、ホームズたちの部屋を内包したハドスンさんの家が「221」で、ホームズが部屋を借りたことで生まれたもう一つの世帯が「221B」と理解していたわけです。

でも第1シーズンの3話では、地下室が「221C」となっていましたよね。ということは現代のロンドンでは、ハドスンさんの住居が221A、シャーロックとジョンが住んでいるのが221B、地下室(現在空き家)が221Cと考えるべきなんでしょうか。このあたりは、ロンドンの住宅事情に詳しい方にうかがってみたいものです。

さて、この「ベーカー街221B」という住所、昔も今もすこぶる便利な場所のようです。
引越し前から二人は立地の良さを口にしていましたし、引越し後もジョンが「ジュビリー線にすぐ乗れて便利」と言っています。
リージェンツ・パークという大きな公園も目と鼻の先にあります。
シャーロックたちはどうかわかりませんが、ホームズとワトスンは時々連れ立って散歩に行っていましたから、この公園も二人の楽しみのひとつだったのではないでしょうか。

十月のうっとしい雨の日だった。「不健康な天気だね、ワトスン君」ホームズがいう。
「でも晩になってそよ風が出てきたよ。どうだろう、すこしそとをぶらついてみないか?」
 私は閉じこもっているのにも少し退屈していたので、すぐに賛成した。そして3時間あまり、フリート街やストランドに永遠に変化をつづける人生の万華鏡をながめながら歩きまわった。細かいところに目のとどく鋭い観察と、ふかい含蓄のあるホームズ独特の話しぶりは私を喜ばせ、すこしも飽きさせなかった。(『入院患者』延原謙訳)

このロンドンを歩くホームズとワトスンは、シドニー・パジェットが挿絵にしています。(リンク先はThe Complete Sherlock Holmesという海外のサイトです。スクロールして最初の挿絵をごらんください)
腕を組んでいるのが微笑ましいですね。グラナダテレビ製作のドラマ「入院患者」でも二人は腕を組んでいます。当時の紳士たちはこうやって歩いたそうなのですが、ジョンの「また噂される…」というぼやきが聞こえてくるような気がします。

ジョンの出没場所といえば、スーパーマーケット。
第1シーズン2話の冒頭で、無人レジと戦っていました。単純に住所から検索すると、大手スーパーマーケット「テスコ」のこの店舗が家から近そうですが、戦場がここだったかどうかは定かではありません。



遠隔捜査

忙しくなってきたせいか、遠方への捜査はジョンのみが行き、シャーロックはロンドンに留まるというパターンもできてきたようです。
ただし、シャーロックは現場を見て確認する必要があるので、ジョンはネットを通じて現場の様子をシャーロックに見せます。まさに21世紀の探偵の捜査、という感じです。

原作のホームズが生きた時代は、さまざまな通信技術が生まれた時代でもありました。
以下は、Wikiの「通信技術の年表」から引用させていただきました。

1832年 - シリングが電信機を発明。
1837年 - モールスがモールス符号を考案。
1850年 - イギリス・フランス間で海底ケーブルを使った電信サービスを開始。
1869年 - 日本、東京・横浜で電信(電報)サービスを開始。
1875年 - アレクサンダー・グラハム・ベルが電話機を発明。エジソンと発明・特許競争を行った。
1895年 - マルコーニが無線電信機を発明。
1897年に会社を設立し、無線電信を商用化。


ホームズとワトスンの出会いが描かれる「緋色の研究」は、1881年の設定。
ホームズがアメリカのクリーヴランドに電報を打つ場面が登場します(たぶんこれが『海底電信』ですね)。
二作目「四つの署名」(1887年の設定)では、221Bにいるアセルニ・ジョーンズ警部が「念のため道の向こうに行って、電話をかけて確認します(but I can step across the road and telephone to make sure)」と言います。
この時点で、ホームズとワトスンの部屋には電話は設置されていなかったのですね。

「隠居絵具師(1899年夏の設定)」では、遠方に出向いたワトスンがホームズに電話をかける場面があります。
同じ作品の中に「電話とヤードのおかげでこの部屋にいても必要な情報を得られる(Thanks to the telephone and the help of the Yard, I can usually get my essentials without leaving this room.)」というホームズのセリフもありますので、この頃には221Bか、ハドスンさんのところに電話があったのでしょう。

ワトスンだけが現場に出向いてホームズに報告をするケースもたくさんありますが(過去記事「ジョン・ワトスンの冒険」もご参照ください)、連絡手段には手紙、電報、電話を使いわけていたようです。
現代版に話を戻しますと、原作との大きな違いはインターネットの存在かもしれません。
犯罪や捜査に使われるのはもちろん、ジョンはブログで冒険譚を発表し、シャーロックの評判もネットを通じて急速に拡大していきます。このことについては筆を改めたいと思います。

もうひとつこのシーンで印象的なのは、ジョンがヘリでロンドンに戻ってくること。
原作の中で一番設定が後になっている(1914年)「最後の挨拶」では、60代になったワトスンは小さなフォード車を運転しています。
シャーロックがヘリに乗ったことがあるかどうかはわかりませんが、探偵の要求に律儀に応え、あちこち飛び回るジョンやワトスンの方が、ひょっとしたら色々な乗り物に挑戦する機会は多いのかもしれませんね。
プロフィール

Author:ナツミ
シャーロック・ホームズが好きです。どちらかというとワトスン君がより好きです。

メールはこちらへ

Twitter
最新記事
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
索引
このブログで考察した「元ネタ」を、ドラマの時系列に沿って探すための索引サイトです。 順次更新致します。 「21世紀探偵・ブリキの文書箱」
最新トラックバック
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR
blog mura
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。