最初の挨拶
パンダとジョン

BBC制作、現代版シャーロック・ホームズのドラマ「SHERLOCK」ファンのブログです。
①正典/聖典(原作)と比較しながらドラマを観て、元ネタ探し
②ドラマでまだ出てこない原作の事件は、SHERLOCKだとどんな話になるのかな?と妄想する

…を一人で(主にトイレとかお風呂で)楽しんでいたのですが、
さまざまな方にご意見をいただけたら楽しいだろうなあ、と思って始めました。
ネタバレ満載ですのでお気をつけください!
★原作の文章を引用する際、主に新潮文庫版(延原謙・訳)を参考にさせていただいております。
★全ての記事は、推測やこじつけを基にしており、たまに妄想も入っております。ご了承の上ご利用ください。
★このサイト及び記事へのリンクは、どうぞご自由になさってください。
【お願い】 ★記事における間違いは、できる限り修正したいと考えております。お気づきの点がありましたら、ご教示いただけるとありがたいです。
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キティ・ライリー

"The Reichenbach Fall"でシャーロックを偽物扱いする記者、キティ・ライリーの元ネタって誰でしょう。
シャーロックをして「君には吐き気がする」と言わせるほどのキャラクター。脚本の方が個人的に、この手の「話を作っちゃう」ゴシップ記者にうんざりしてるんじゃないか、と想像してしまうくらい、インパクトありました。

原作でキティといえば、『高名な依頼人』のキティ・ウィンター。

It seems that he had dived down into what was peculiarly his kingdom, and beside him on the settee was a brand which he had brought up in the shape of a slim, flame-like young woman with a pale, intense face, youthful, and yet so worn with sin and sorrow that one read the terrible years which had left their leprous mark upon her.

得意の世界に潜りこんできたらしく、そのしるしをそばのソファに控えさせていた。きゃしゃな、燃えるような若い女である。青じろい情熱的な若い顔はしているが、罪悪と悲嘆の生活に疲れはて、ライ病めいた痕跡さえのこして、永く荒んだ生活をしてきたことが見てとれる女であった。



There was an intensity of hatred in her white, set face and her blazing eyes such as woman seldom and man never can attain.
彼女の白い、決意にみちた顔や、ぎらぎら光る眼つきには、はげしい憎悪があった。男には決して見られない顔つきである。



激しい性格が似ているといえば似てる。
キティの部屋の窓からジムが逃走する場面(原作ではホームズが逃走)や、ジムがジョンに縋り付く描写は、グルーナー男爵の部屋での出来事を思わせます。ジムの容姿や女性を簡単に騙しちゃうとこは、グルーナーっぽくもあるんだよな……(←この間ジョン・クレーって言ったくせに)。

れすとら様は「花婿失踪事件」からの元ネタ引用をご指摘の上で、"A Case of Identity"という原題と"The Reichenbach Fall"のテーマの類似性にも言及なさっています。なるほど~!!

GET SHERLOCK 「SHERLOCK S2E3 ライヘンバッハヒーローと”A case of identity”」

れすとらさんの鋭いご指摘にはもちろん大賛成なのですが、ひとさまの引用で終わるのも何なので、私なりに屁理屈を付け足してみたいと思います。
"The Reichenbach Fall"というお話の元ネタは『最後の事件』に間違いないのですが、私には、『赤髪組合』の影もあるように思えるんです。
ロンドン塔、イングランド銀行、ペントンヴィル刑務所に「侵入」したジムが、『赤髪組合』の犯人ジョン・クレーに似ている、と感じたことは前にも書きました(過去記事;『ジム・モリアーティーとジョン・クレー』)。
それを前提に、「ジョン・クレーが目をつけて利用したジェイベス・ウィルスン」=「キティ・ライリー」という説を立ててみる(という暴挙)。
ちなみにれすとらさんご指摘の「机仕事による圧迫痕」は、ジェイベス・ウィルスンにもあります。

『最後の事件』と『赤髪組合』のつながりといえば、グラナダ版。
『赤髪組合(グラナダ版和訳は「赤髪連盟)』は黒幕が実はモリアーティだった、という原作にないエピソードでお話が終わり、そのまま『最後の事件』につながっていく、という構成になっています。
『赤髪組合』の大掛かりなトリックには、犯罪王モリアーティがバックについていたという「裏設定」がいかにも相応しく、すごい説得力だ!と感じ入ったものです。
グラナダ版『赤髪組合』の印象的な改変はこれだけではなくて、相場の半額でクレーを雇ったウィルスンを、「ホームズからの伝言」と言ってワトスンが批判する場面もありました。その時の台詞と、「モリアーティの正体はシャーロックが雇った俳優リチャード・ブルック」と主張するキティ・ライリーが「もっと彼に給料を払っておけばよかった(裏切られずに済んだ)のに」と吐き捨てる台詞も呼応してる、かもしれない。立場は逆ですけど。


悪党たちにいいように使われてしょんぼりするウィルスンは、愛すべきキャラクターと言えないこともないのですが、ホームズとワトスンに爆笑されてしまいます。グラナダ版でも、鈍い人物として描かれている。
れすとらさんもご指摘なさっていますが、キティ・ライリーはジムに騙されているので、彼女もある意味被害者です(NHK版では省略されていましたが、ジムにダーリンと呼ばれているので、多分モリーと同じような騙され方をしてます。キティ・ウィンターも男に弄ばれたクチ)。
シャーロックの疑惑が晴れ、The SUN紙に謝罪文を寄せた(ジョンのブログ参照)キティ・ライリーのその後は描かれませんでした。

従業員に正当な報酬を払っていないのに、降って沸いた儲け話に夢中になるウィルスン。
「ジョン・ワトスンとはプラトニックなのか」などと、端から扇情的な記事を書く気満々で、ジムの持ってきた話の裏をとることもなく(←ここ重要ですよ、ジャーナリストなのに!)乗ってしまうキティ・ライリー。
二人共「悪い人」ではないものの、悪気なく人を食い物にしてしまうタイプ。愚かであることが、罪というべきか。

ちなみにキティ・ウィンターは硫酸浴びせという、ものすごく「悪いこと」をやってのけるのですが、復讐100%でなく、自分と同じように騙される女を救いたい、という義侠心めいたものも見て取れる。後日、裁判で情状酌量されるところまでが描かれています。
ホームズはキティ・ウィンターのような、何ていうんでしょう、同情の余地ある?気骨ある?犯罪には寛容(たとえそれが殺人であっても!)な一方で、「法の上では罪にならない、小狡い悪党」には厳しい。ミルヴァートン然り、"A Case of Identity"のウィンディバンク然り。庶民の代弁者というか、いかにも娯楽小説の主人公らしい感覚ですが、それは独りよがりの正義と言えないこともない。

キティ・ライリーは名誉欲にまみれた愚かな記者として描かれていますが、少なくともこの場での彼女は、自分こそ正義の代弁者だと自負していたんだと思います。「あなたには吐き気がする」とシャーロックに言われた言葉を突き返す彼女には、人の顔に硫酸を浴びせるくらいの迫力がある。
いや、まさに浴びせたんでしょう。本物の硫酸を浴びせるよりも、強烈な何かを。「高名になりたい」という欲望を持った彼女にとって、「評判を地に堕とす」行為は殺人以上の攻撃のはずです。
「誰が正しいのか」が一瞬揺らぐからこそ、この場面は怖い。"You repel me"(君には/ あなたには吐き気がする)という台詞の応酬が力関係の崩れを象徴していますが、ひょっとしたらこの「揺らぎ」の予兆は、ウィルスンやウィンターなどの「愚かな」キャラクターと、シャーロックの行動を巧みに入れ替えることで、演出され続けていたのかもしれません。

ウィルスンやキティ・ウィンターに潜む「悪気のない悪」。それを、キティ・ライリーも受け継いでいます。
自分が絶対的な正義の側にいるという確信は、「愚かさ」がないと生まれない。そこにこそ、本物の狂気があるような気がします。そういう意味では、シャーロックもジムも、狂い損ねてしまった人たちなのかなあ、と思いました。


……と、色々屁理屈こねたんですけど、まあ「ウィルスン=キティ・ライリー説」の一番の理由は、キティ・ライリーの髪色が赤っぽいっていうことですよね……(そんなことかい)。
キティ・ウィンターはどうだったんでしょう。先の引用には髪色の描写がないのですが、顔の青白さといい、気性といい、この記事にある「赤毛の人の(ステレオタイプな)印象」には合致してる気もします。

NAVER 「赤毛はなぜ差別?映画や小説キャラへの理解が深まる豆知識!」
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アイリーン・アドラー

アイリーン・アドラーについて、私にはずっと「言いたいこと」がありました。
『SHERLOCK』のアイリーンに限った話ではありません。パスティーシュに描かれた彼女に出会うたびにもやもやと燻っていて、でも言葉にした途端に「いや、そういうことじゃないかも」と自分で否定してしまうような、まとまらない思い。
以前にもコメント欄でYOKOさんや神崎真さんとお話したことがありますが、その時の自分の発言を見ても、整理できていないなあ、と思います。

ひとつだけはっきりさせておきたいのは、原作でのアイリーン・アドラーを私はとても好きだし、『SHERLOCK』にしても他の映像化作品にしても、一人のキャラクターとしてはそれぞれに魅力を感じているということです。
「もやっ」の原因は、おそらくアイリーン・アドラーという人の「捉えられ方」と、彼女とホームズの関係性にあります。

アイリーンは悪女というか、ファム・ファタールというか、性的な魅力を武器に、狡猾に立ち回る女性と思われていることが多いと思います。
原作でもホームズをして「男子が生命を投げだしかねない美しさ」 と言わせるほどの美女として描かれています。

原作でのアイリーン・アドラーは、オペラ歌手。ホームズの索引によれば、「一八五八年米国ニュージャージーの生れ、最低女声音(コントラルト)歌手、スカラ座出演、ワルシャワ帝室オペラのプリマドンナを経て歌劇壇引退」。
現代版のアイリーンはベルグレイヴィアの素敵な家に住んでいましたが、原作では「セント・ジョーンズウッド区サーペンタイン広小路のブライオニー荘」という瀟洒な住宅に住んでいま した。セント・ジョーンズ・ウッドはビートルズのアビーロードがある地域ですね。検索したらどちらも高級住宅街だということはわかったのですが、どうして変更されたのか、違いが感覚的につかめないのが悔しい……単に「ボヘミア」と「ベルグレイヴィア」の語呂合わせなのかな?
ヴィクトリア朝において、芸能人であり、婚外の男女関係を結んでいて、男装して散歩するなど心のままに行動してしまうような彼女は、「ふしだら」で「まともではない」存在だったのでしょう。ただ、現代の意味において(『悪女』ではあっても)「悪人」であったかどうかは、原作からは読み取れません。アイリーンはホームズを「出し抜いて」はいるけれど、特に悪いことはしていない。ボヘミア王への「脅迫」はホームズ側からみれば悪事かもしれないけれど、はじめに裏切ったのは王の方だし、公平に見て犯罪というよりは恋愛関係の拗れなんですよね。
『SHERLOCK』でのアイリーン・アドラーは、いわゆるSMの女王様。原作以上にはっきりと「セックスワーカー」です。その職業が道義的に正しいものかどうかは、私には今ここでは断言できませんが、人に迷惑をかけずに誰かの需要を満たしているなら、悪いこととは言い切れないと思います。
原作でアイリーンがしていた「脅迫」は、愛する人と再出発するためのただ一度の「自衛」だったかもしれないのに対して、現代版ではさまざまな相手から脅迫の材料を集めていたようです。そもそもどうしてクライアントから情報を収集するようになったのか、理由がはっきり描かれていないので(本人は「自衛」と言っていますし、確かに危ない橋を渡る職業なんでしょうが、人を脅迫してまで……?って思ってしまうのは私の頭が固いのかな)、視聴者から見たらやはり「悪人」ということになるのではないでしょうか。
ホームズの「紳士にあるまじき」変人ぶりと、アイリーンの「淑女にあるまじき」行動力は、少なくとも原作では公平に描かれているのに、二次創作になると、アイリーンだけ「悪さ」を強調されてしまう。

もっとも、ホームズだって誇張されたり誤解されたりしている部分があるのですから、「アイリーンだけ」という言い方はそれこそ公平ではないですね。
『SHERLOCK』という作品は、ホームズを21世紀の若者として再創造する、という大胆なアレンジを施しながらも、その「変換」が原作への深い理解と緻密な分析を基にしている、という点が素晴らしいのですが、私には「アイリーンだけステレオタイプの悪女に見える」という不満があり、それを「あー、所詮男性目線で作られた作品なんですよねハイハイ」と短絡的に「一個人としての社会への不満」に結び付けてしまった。それが「もやっ」の一因ではないか、と思います。

しかし私は、『SHERLOCK』の製作者が言いたかったことを理解しきれていなかったのかもしれません。
そう思ったきっかけは、NHKの人形劇『シャーロックホームズ』です。

『シャーロックホームズ』ではホームズを15歳の少年に、物語の舞台を寄宿学校に置き換えています。
この作品にも、原作へのこだわりが詰まっていますよね。『SHERLOCK』と同じように、原作を読み解き、その世界を大胆に再構成しています。
オペラ歌手のアイリーンの役割を学園内に設定するとしたら「音楽の先生」か「歌のうまい少女」ではないかな、と思いきや、「保健室の先生」なんですよね。しかし彼女のナースとしての有能さは描かれない。「保健室に来る生徒のほとんどは仮病」というような台詞もありました。まあ、そういう子との関わりも養護教諭の大事な仕事ではあるのですが、この作品に関して言えば、「保健室の先生」という設定にはフェティシズムの匂いを感じます。
原作のホームズや、『SHERLOCK』のシャーロックが決してアイリーンに感じていなかったであろう、「年上の女性・白衣の天使への憧憬」を伴った描写に、製作者の目くばせが見えてしまうんです。「保健室の先生!イイでしょ?この設定ならホームズも恋しちゃうでしょ?」みたいな……シチュエーションに助けられて、年長の美女に優しく(あるいは厳しく)してもらえるという、風俗サービスに向けるような欲望を感じる(私もジュード・ロウのワトスンの軍服姿にときめいてしまうクチなので、決してそういう男性を責めているわけではないのですが)。
15歳のホームズも、彼女の美貌や属性ではなく頭の良さに惹かれたのかもしれない。でも、少なくともこの設定自体には、原作やアイリーンというキャラクターの「中身」へのこだわりはあまり感じられません。
思えば現代版のメアリもナースでしたが、そちらは「有能さ」をメインに描かれ、いわゆる「ナース萌え」は見当たりませんでした。もちろん海外にも「ナース萌え」も「年上の女性萌え」もあるでしょうが、保健室の先生がマドンナ的存在である、というのは日本の「学園もの」におけるある種の「お約束」なのだと思います。
アイリーンはその時代、その文化のフェティシズムを背負わされるキャラクターなのかも。性的倒錯の象徴的存在である「SMの女王様」という設定は、そういう観察を突き詰めた末の結論だったのかもしれませんね。

もうひとつ気になるのは、ホームズとアイリーンの関係性。
原作では、この二人の間に恋愛は描かれません。アイリーンにはノートンという新婚の夫がいますし、この二人が不仲だったとか偽装結婚だったとかは、少なくとも作中には書かれていません。
ただ、彼女の写真を譲り受けて大事に保管し、何十年も後の「最後の挨拶」においても彼女の名を出したホームズの行動に、「恋愛感情」を読み取ることはできます。アイリーンの賢さを声高に讃えながらも、パートナーとしては彼女を選ばなかった(立場上仕方のないことなんですけどね。アイリーンもそのリスクは承知してたはず)ボヘミア王から「写真を譲り受けた」という行為は、「自分のほうがアイリーンの良さを分かっている」と行動で示しているようにも見えます。
アイリーンとノートンの結婚式はホームズの口から語られるだけで、ホームズ以外の誰もノートンの姿を見ていない、というのも「実は、ホームズとアイリーンは恋愛関係にあった」と考える人々の論拠になっているようです。
これは、アイリーンの行く末をジョンもマイクロフトも知らず、シャーロックだけが知っているという『SHERLOCK』の描写につながるかもしれません。
ついでに言えばジョンたちがアイリーンを「死んだ」と思いこむ(S2の時点では、視聴者にも『アイリーンを逃がしたのはシャーロックの妄想じゃないか』と思う人がたくさんいたと思います)のは、原作でワトスンが"the late Irene Adler"(故アイリーン・アドラー、または旧姓アイリーン・アドラー)という表現を使ったため、記録時点での生死が明らかになっていなかったことのパロディなんでしょうね。

原作『ボヘミアの醜聞』は、こんな風に結ばれます。

And that was how a great scandal threatened to affect the kingdom of Bohemia, and how the best plans of Mr. Sherlock Holmes were beaten by a woman’s wit. He used to make merry over the cleverness of women, but I have not heard him do it of late. And when he speaks of Irene Adler, or when he refers to her photograph, it is always under the honourable title of the woman.

以上が、ボヘミア王国を脅かした一大醜聞事件の報告であり、ホームズの功名な計画が、一婦人の機知によって、いかにうち挫がれたかという話の一条である。ホームズは以前よく女の浅知恵と笑い囃したものだが、近ごろはいっこうにそれを聞かなくなった。そしてアイリーンのことや、彼女の写真のことが話に出ると、彼は必ず「あの女(ひと)」という尊称をもってするようになったのである。



女性に負けた、という経験はホームズにとってエポック・メイキングな出来事だった。アイリーンがホームズの女性観を変え、ホームズがアイリーンをまたとない女性として認めたのは間違いないです。でも、男が女を理解する、認める、という行為は恋情を伴うものばかりではないはずだ、と思います。
恋愛至上主義、と言ったら大げさですが、「頃合いの」相手が登場したら恋愛に結びつけてしまう考え方も私の「もやっ」の一因かもしれません。いや、恋愛に結び付けるのは自由なんですけど、だったら「恋愛はしない」と言うホームズにだってそういう風に生きる権利はあるわけで、なんとなく「多数派の傲慢」みたいなものを感じるのかも。

現代版ではノートンの存在は描かれず(アイリーンはゲイと自称していて、取り巻きらしき女性は出てきますが、ノートンのようなパートナーではない感じ)、アイリーンがシャーロックを愛していた、ということになっています。
シャーロックからのアイリーンへの想いは、彼女のスマートフォンを譲り受けて保管し、アイリーンの存在を「あの女性(the woman)」として「消去」せずに記憶する(S3の『マインドパレス』描写でちゃんと出てきますね)、という原作通りの描写に留まっています。原作ではアイリーンの想い<ホームズの想い、だったのが、現代版では逆になっているわけです(シャーロックもアイリーンのために作曲したりしてるので、一概に『逆』とはいえないかもしれませんが)。
この「逆転現象」が、推理力勝負の結果に絡んでいるのにも結構もやっとしました。原作のアイリーンはホームズに頭脳戦で勝っていて、それゆえ「忘れられない人」になっていたはずなのに、これじゃこてんぱんだよ!って。
恋愛は勝ち負けではありませんけど、恋してしまった結果頭脳戦に負け、命まで助けられるとは……いったい何をもってthe womanなのか。原作でのアイリーンの写真には、ホームズにとっては「(探偵としての)己の慢心を諫める」効果があったと思いますが、現代版のスマホは、あえて勝ち負けで言えば「完全勝利の記念品」にしかならない。だとすると、シャーロックがスマホを手元に置いた理由は、彼女の能力に対する敬意ではなく、人として人を想う気持ちだった。『SHERLOCK』s製作者の解釈によるthe womanは、はっきり「恋愛」まではいかないとしても、やっぱり「そっち寄り」なわけですね。
思えば、この作品はシャーロックの探偵としての活躍を描きつつも、お話の軸は彼がジョンを始めとするさまざまな人に関わって、変容していく姿です。先に引用したように、原作にもそういう要素はありますが、現代版はより「人間」としての変化に重点を置いている。アイリーンも、好敵手でありつつ彼の「人間性」に大きな影響を与えた人物として描かれているとしたら、"the woman"という称号も「能力」への敬意抜きの方がいい、ということなのかな。
私なんかが今更言うことでもないですが、やっぱりとても良く練られた脚本なんですね(もちろん、『人間性』と『能力』、『尊敬』と『恋愛』にはっきりと境界線を引くことなんてできないので、我ながら不毛なことを言っているとは思うのですが)。

それはさておき、ここにも「保健室の先生」現象を感じます(現実の保健室の先生方には何の恨みもありませんよ!)。
つまり、作り手の「女性に対する考え方」が反映されてる気がします。人形劇『シャーロックホームズ』にあるのが強い女性への憧憬だとしたら、『SHERLOCK』のそれは、強い女性から牙を抜いてしまいたい、という衝動。
ただ、公平に言って、アイリーンばかりがそういう目に合っているわけでもないんですよね。シャーロックも、精神的にも肉体的にも文字通りこてんぱんにやられてますし、第3シリーズのジョンとメアリなんて、もう修羅場としか言いようがない状態に陥る。モリーも恋愛では結構ひどい目に遭っています。
でも、どの人も虚飾を完全に剥がされた上で、たくましく立ち上がってくる。紳士淑女としての気遣いは一切ない、人間同士の生々しい対決がそこにはあります。
裸になったところから積み上げていく強さや信頼が、この作品における人間関係のテーマなのかもしれません。

結局のところ、アイリーンの扱いに関して私の考えが整理できないのは、扱いの善し悪しのせいではなく、「女性を見る目」について普段から感じているもやもやを持ち込んでしまうから、だったようです。
アイリーンはホームズにとって、自分と同等か、それ以上の能力を持つ女性。
その彼女に向ける思いが、尊敬なのか、愛情なのか、はたまた別の何かなのか、知るすべはありません。だから、さまざまな解釈が生まれてくる。そこに「美女」だったり「奔放」だったりというアイリーンが持つ要素への、さまざまな見方も絡んできます。
「美形」とか「天才」とか、目立つ特徴を持った人に、私たちは偏った見方をしてしまいがちなのかもしれません。私は目立たないタイプなので、いわゆる「キャラが立っている」人が羨ましかったりもしますが、際立った特徴を持っていると、「派手な美人だから遊んでるはず」(人によっては『清楚な美人なんだから控えめに振る舞うべき』になるんでしょうが)、とか「頭がいいから性格は悪そう」とか、勝手なイメージを押し付けられるところから人との関係を始めなければならないのかもしれない。なかなか、ステレオタイプなイメージを裏切る部分を見てもらえない、ということになりますよね。「男と女が揃ったら恋愛が始まる」というのも、まあ動物としてのひとつの真理なのかもしれないけど、そうならない人もいる。

二次創作による物語は、それぞれの時代や文化の「人を見る目」の結晶でもある。
でも、保健室のアドラー先生が周りの男を弄ぶだけの人ではなかったように、また、現代版アイリーンが厳重にロックされた想いを隠し持っていたように、人には中身があります。人と人との関係だって、多種多様で良いはずです。
自分以外の人間が考えていることを、私たちは知らない。
当たり前のことのようですが、そういう事実を教えてくれるのも、また物語なのだなあ、と思います。

(原作からの引用はすべて延原謙訳)

シャーロックとハドスンさん

今年も、残すところあと2週間となりました。
FC2ブログの編集画面にはいつも「トラックバックテーマ」というものが表示されているのですが、今は「年内にやってしまいたいことは?」です。
うわ~んそんなのいっぱいあるよ!ばか!(大家さんに八つ当たり)

実生活にも問題山積みですが、SHERLOCKのファンブログとしては「正月が来る=第3シリーズが始動(英国でだけど)」というのが大問題ですよ!まだ第2シリーズで取り上げていないネタがたくさんあるのに!最低でも、ジムとアイリーンとディオゲネス・クラブには触れておきたかった…!(S2前にも同じようなこと言ってた気がしますが、寛容の季節だとホームズも言ってるので忘れてください)

上記3ネタは色々と調べものが間に合いそうにないので、焼け石に水ではありますが、とりあえず大家さんつながりで「シャーロックとハドスンさん」のことを書いておこうと思います。

第1シリーズから仲よしでしたが、第2シリーズではさらに"boys"とハドスンさんの絆が深まった感があります。
"A Scandal of Belgravia"でバイオリンを弾いてあげたり、マイクロフトやアメリカ人の侵入者(←一緒にするのも何ですが…)から彼女を庇う場面に、色濃く表れていますね。

ハドスンさんの方でも、シャーロックやジョンをほんとうに可愛がっていますよね。
ただ、もちろん不満がゼロというわけにはいきません。親しい間柄だからこそ、愚痴もたくさん出てくるわけで…
毎回のお約束ネタのようなものですが、シャーロックのお墓の前では出るわ出るわ!

「あのテーブルの傷! それに騒音! 夜中の一時半に銃を撃って! 実験の材料を冷蔵庫に入れるし!食べ物を置くところに死体を入れるってどうなの? それに暴力沙汰!あの子のバカ騒ぎにはもう本当に頭にきたわよ!」(拙訳)



現実のお葬式でも思うことがあるのですが、悲しみにくれている場面でもこんな風に「生活者としての健全な感覚」みたいなものを保っていられるのって、女性によく見られるしたたかさというか、しなやかさというか。ジョンもちょっと救われたのでしょうね。

原作のハドスンさんは、もちろんホームズやワトスンを"boys"呼ばわりしたり、ましてや叱りつけたりなんて絶対にしません。大家といっても、あくまでホームズが雇い主でハドスンさんは使用人、というスタンスです。ハドスンさんが二人を呼ぶときは"Sir"をつけています。

しかし、ホームズはハドスンさんにわがままをいうことはあっても、決して通りいっぺんの使用人扱いをしたりしませんでした。ハドスンさんも、「格下の者」としてホームズの言うことなら何でも聞く、という感じではなかったみたい。そんな二人の関係性が一番よく伝わってくるのが、「瀕死の探偵」の冒頭部分です。

シャーロック・ホームズの下宿のおかみハドスン夫人は、辛抱づよい女である。二階には時をえらばず妙な人たちが、時には好ましからざる人物が押しかけるばかりでなく、この平凡でない下宿人がまた変わり者で、日常がおそろしく不規則ときているのだから、まったくたまったもんじゃないだろう。
話にならないほどだらしがないうえに、とんでもない時刻に音楽に熱中するし、時には室内でピストルの射撃練習をしたり、気味のわるいだけならいいが、どうかするとたまらない悪臭をはなつ実験はやるし、彼のまわりには乱暴で危険な空気がつきものなのだから、これはロンドンでも最悪の下宿人というべきだろう。



私が結婚生活に入ってから二年目のある日、ハドスン夫人が訪ねてきて、ホームズの健康状態がおとろえているというので、夫人の彼への心遣いの純粋さを知っているから、私はよそごとならず耳をかたむけたのである。
「こんどは助かりませんね、ワトスン先生。この三日、衰弱が加わるばかりで、あと一日は保つまいと思うんでございますよ。お医者を呼ばせないんですものね。今朝もいってみますと、ほおがこけて骨と皮になり、大きな眼ばかりぎょろりとさせて、私もう見ていられなくなりましたわ。『あなたが何とおっしゃっても、すぐに先生をお呼びいたしますよ」って申し上げますと、『じゃワトスン君にしてください』っておっしゃるんでございますよ。一時間とは待てません。すぐにいらしてくださいまし。でなければ死に目にもお会いになれませんわ」



「それはいけない。なぜ早く医者に見せないのです?」
「いらないとおっしゃるんでございますよ。なにしろあのわがままさでございますもの。手がつけられやしませんわ。(後略)」



廊下に出てみると、ハドスン夫人が泣きながらふるえていた。(延原謙訳)



言葉遣いこそ丁寧ですが、場合によっては「保護者として」ホームズを思いやっていることがよくわかりますよね。ワトスンと二人してホームズを心配しているのも、現代版と同じです。

ホームズがハドスンさんを信頼している理由の一つは、その勇敢さ。
「空家の冒険」では、危険な役目をりっぱに果たしています。これは、"A Scandal of Belgravia"でシャーロックのスマートフォンを守りきる、という形で現代版に受け継がれていますね。
また、彼女の「ノリの良さ」も愛していたのではないかなあ、と思います。「海軍条約文書事件」の解決シーンなんて、絶対二人してきゃっきゃっと楽しく「仕込み」していたに違いない!依頼人だけでなく、ワトスンも驚かしたくらいですからね。

3人の結びつきが強かったのはもちろんですが、ワトスンとハドスンさんが、一緒にホームズを心配するという意味で「戦友」だったのと同じように、ホームズとハドスンさんにも、ワトスンがいないところでの絆があったと思うのです。
「空家の冒険」でロンドンに戻ってきたホームズは、ワトスンよりも先に、ハドスンさんに顔を見せています。
そこで死ぬほど驚かせてしまったらしいですが、この「順番」を思うとき、私にはホームズの気持ちがちょっとわかる気がするんです。
ホームズにとってワトスンは大事な親友で、一番会いたかった人だったろうけれど、それだけに、再会の前には緊張もしたんじゃないでしょうか。

状況的に仕方がなかったとはいえ、やはりワトスンとハドスンさんのことを「騙していた」わけです。「瀕死の探偵」事件で自分が「死にかけているふり」をした時、あんなに心配してくれた人たちなのに、です。
ワトスンとは変装中に偶然遭遇してしまい、焦りまくった挙句に、出直して訪ねて行ったわけですが、この描写からはホームズが再会に対して「身構えている」感じが伝わってきます。
一方、ハドスンさんには「普通に」会いに行けたわけです。やはり、ハドスンさんは受け容れてくれるだろう、という「甘え」があったんじゃないでしょうか。
逆に言うと、ワトスンの方には「ひょっとしたら受け容れてもらえないかも」という怖れがあったのかもしれません。微小な差だとは思いますが。
再会場面ではホームズが終始飄々としていて、ワトスンはもの分かり良く描かれているけれど、あくまでも書いてるのはワトスンですからね。それが事実の通りとは限らない、ということは、"SHERLOCK"でさんざん学習させられましたよね…

…などと、前回の記事に貼ったトレイラーで「ジョン対策会議」をしているシャーロックとマイクロフトを見て思ったのでした。
「帰ってきたシャーロックの気持ち」については、演じているベネディクト・カンバーバッチも言及しているようですね。

Walkerplus 「B・カンバーバッチが『SHERLOCK』シリーズ3への不安を語る」

ホームズが、ワトスンよりもハドスンさんに心を開いていると言いたいわけではありません。
でも、ハドスンさんに対しては、ワトスンへのものと種類の違う「甘え」を抱いているんじゃないかなあと思います。それは、言葉を変えればある種の「侮り」かもしれないのですが、そういうちょっとわがままな感情をしたたかに、しなやかに受け容れてくれる人がいるというのは、幸せなことですよね。
その役割を担うのは別に肉親でなくても、女性でなくてもいいわけですから、そういうことができるのを「母性」ゆえと断じるのは乱暴かもしれませんが、私に関して言えば、やはり主に母がその役割をしてくれているかなあ。
基本的に原作より子どもっぽいシャーロックの場合、ジョンだったり、マイクロフトだったりレストレードだったりも、少しずつその役割を果たしてくれているのでしょうが、(肉親であるマイクロフトを除いては)やはりハドスンさんのところに最初に帰ってくるのではないかしら、と予想しています。
トビィさんがおっしゃっていたように、鍋で殴られないで欲しいものです。



ワトスンの目

観察が得意なのはシャーロックですが、ジョンも物や人をよく見ていると思います(特に綺麗な女の人)。
221bの周りに住み着いた暗殺者たちの写真をマイクロフトが見せた時、女性の写真には「見覚えがある」と反応していましたね。

シャーロックが気付いてないものを見つけることもあります。
"The Blind Banker"では壁に残された暗号をいち早く見つけましたし、"The Hounds of Baskerville"ではベジタリアンレストランにあった肉の注文票に目をつけました。
これらの「発見」は偶然によるところもありますが、やはり物事をよく見る目がなければ為しえないことでしょう。シャーロックも、データ集めに関してはジョンを頼りにしているようです。
原作でもワトスンの「目」の良さは何度も描かれています。

「話をつづけてくれたまえ。すっかり面白くなってきたよ。君その切符をみたのかい?ひょっとして切符の番号を見なかったかい?」
「それがまた、ひょっとするんだよ」私はいささか得意だった。「三十一番というのは、僕の学生時代の番号なのさ。頭にこびりついているよ」『隠居絵具師』)


発見としては小さなものなんですが、こうした小さな発見こそがホームズが最も大事にするもの。
きっと、ホームズからの影響も大きいのでしょう。
「君は見るだけで観察していない」とホームズに指摘される場面が印象的なので、いつもぼんやりしているように思われがちなワトスンですが、彼の目にはなかなかの鋭さがあります。

観察のほうはどうでしょうか。ホームズはワトスンの観察眼をけなしますが、そもそも、物事をぼんやりと見るだけではなく、観察・分析ができないと小説は書けないのではないかと思います。「花婿失踪事件」で依頼人の女性の服装を描写してみせたワトスンを、ホームズは「色彩の感覚が鋭敏」と褒めます。いつもは「地の文」で読める、登場人物や風景の描写からもワトスンの描写の繊細さはわかりますね。

また、人の容貌や家のインテリアなどの美醜に関する言及が多いような気がします。

ホームズの声に応じてはいってきたのは、内輪に見ても身のたけ六フィート六インチは下らず、神話のヘラクレスのようなたくましい体格の男であった。服装は立派であるが、ただしこんなふうな美々しさは、イギリスではむしろ下品と見なされるだろう。上着の袖と両前の襟には幅ひろくアストラカン毛皮の折返しを見せ、両袖を肩にはねあげた濃紺のマントにはまっ赤な絹裏がつけてあり、キラキラ光る緑柱石一粒を飾ったブローチで襟もとをとめている。そして脛の半ばまである長靴の、上端にふさふさした茶色の毛皮をつけたのをはいたところは、いよいよもって全体の下品なゆたかさの感じを強めていた。それが片手には鍔びろの帽子をもち、顔の上半分は、額から顴骨の下までもある眉庇がたの黒いマスクで隠しているが、ちょうどその具合を直したところと見えて、はいってきたときは、まだ片手をそこへやっていた。顔の下半分の、見えている部分だけから察するに、強い性格の持ち主らしく、厚くつき出た唇、まっずぐにながくのびた顎などは、強情といってもよい剛毅さを思わせた。(『ボヘミアの醜聞』)



結構、「醜い」と思ったものに関しては容赦ありませんね。正直といいますか…
ジョンがブログにヘンリーを"a normal-looking bloke"と書いたのも、このばっさり加減に似ているかもしれません。

自分の感性を基に観察を行うワトスンと、あくまで客観的な事実としてのデータを求めるホームズ。
観察の内容が違うだけで、ジョンやワトスンにも十分な目ざとさがあるように思うのですが、彼らの探偵としての活躍には、やはり「運の良さ(悪さ?)」も大きく作用しているのかも。
先述したように、ジョンは偶然事件の証拠に出会うことが多いですし、ワトスンはホームズに

「(前略)君はもっと面白い事件を持ってきたんだろう?君ときたら、まったく犯罪の海燕だからな(『海軍条約文書事件』この事件は、ワトスンの幼馴染からの依頼)」


なんて言われています。脚注によると、「海燕が現れると暴風雨が来ると言われる」そうです。「ライゲートの大地主」ではホームズが自分自身を海燕に例えています。
確かに、「ライゲート~」もワトスンの友人宅に二人が逗留した時に巻き込まれた事件。「技師の親指」も、ワトスンの医院に持ち込まれた事件。偶然ですが「唇の捩れた男」ではホームズが潜入捜査している場所にワトスンが来ましたし、ホームズとの交流を差し引いても、ワトスンは犯罪に縁があるのかも。
まあ、ホームズとの出会いも含めて、そういう運命なのかもしれません。

アンダースン

このブログのトップ絵をくださった園生さんは、友人が紹介してくれたのですが、"SHERLOCK"で一番好きなキャラは?と伺ったら「アンダースンです!」ときっぱりおっしゃってました。主役二人への思い入れゼロのトップ絵で皆様をお迎えしております、21世紀探偵です。
そんな園生さんにアンダースンの元ネタを聞かれたとき、「オレンジの種五つ」に出てきた「ソフィ・アンダースン号事件」くらいしか思い出せなかったのですが、後になって気付きました。「ライオンのたてがみ」にアンダースンという巡査が出てきますね。このお話はホームズが書いているので、ホームズ自身による描写が読めます。

アンダースンは鼻下に赤いひげをはやした大男で、いかにもサセックスの田舎そだちらしくのっそりとしていた。お国がらで外見は鈍重だけれど、腹は悪い人間ではないのだ。私たちの話を一通り聞いて、手帳に控えると、私を小脇へ引っぱっていってそっと言った。
「ホームズさん、知恵を貸してくださいよ。これは私には荷がかちすぎます。やりそこなうとまたルーイスの本署に油をしぼられますからねえ」(延原謙訳)



"SHERLOCK"のアンダースンとはあんまり似てませんよね。
外見もそうですが(パイロット版のアンダースンは髭を生やしていましたけれど)、ホームズと自分の能力差を認め、素直に頼っているところが全然違います。ホームズの方でも、「腹は悪い人間ではない」とは、「通り全体のIQを下げる」に比べたらずいぶん鷹揚な感じ。(ただし、シャーロックが不遇の時代にいたのに対して、ホームズはすでに成功をおさめて隠退しているので、年長者としての精神的余裕はあると思います。のっそりとか鈍重とか言ってますけど)

そんなこんなで、単に名前が「かぶった」だけと結論付け、特に園生さんにご報告することもなかったのですが、つい先日、調べたいことがあって、遠い昔図書館で読んだきりだったベアリング・グールドによる「ホームズの伝記」を買ったのです。
最近、RMさんのブログでもご紹介なさっていましたが、あらためてリンクを貼ります。

シャーロック・ホームズ―ガス燈に浮かぶその生涯 (河出文庫)シャーロック・ホームズ―ガス燈に浮かぶその生涯 (河出文庫)
(1987/06)
小林 司、W・S・ベアリング=グールド 他

商品詳細を見る


何かと多感、というか意識過剰な子ども時代、シャーロッキアンの入門書とも言われるこの本にどうしても納得がいかず、シャーロッキアンになり損ねた私ですが(今読むとなんとなく見当はつきます、どこらへんに反発したのか…)、やっぱりとても面白いです。研究書としてだけでなく、読み物としてちゃんと面白いのもすごい。そしてこの本の最後の最後、つまりホームズの「生涯」の終わりに、アンダースンが意外な役目を!

翌朝彼の死体をそこで発見したのはサセックス警察のアンダースンだった。(小林司・東山あかね訳)


すごい重要な役じゃないですか!
"SHERLOCK"のスタッフは間違いなくこの本を読んでいると思うのですが、このアンダースンから取ったんでしょうか?もしそうだとしたら、犬猿の仲とはいえ、おじいちゃんになった後までシャーロックとアンダースンの(腐れ)縁は続くのかもしれません。
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Author:ナツミ
シャーロック・ホームズが好きです。どちらかというとワトスン君がより好きです。

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