最初の挨拶
パンダとジョン

BBC制作、現代版シャーロック・ホームズのドラマ「SHERLOCK」ファンのブログです。
①正典/聖典(原作)と比較しながらドラマを観て、元ネタ探し
②ドラマでまだ出てこない原作の事件は、SHERLOCKだとどんな話になるのかな?と妄想する

…を一人で(主にトイレとかお風呂で)楽しんでいたのですが、
さまざまな方にご意見をいただけたら楽しいだろうなあ、と思って始めました。
ネタバレ満載ですのでお気をつけください!
★原作の文章を引用する際、主に新潮文庫版(延原謙・訳)を参考にさせていただいております。
★全ての記事は、推測やこじつけを基にしており、たまに妄想も入っております。ご了承の上ご利用ください。
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おいしい店とブラックジョーク

(この記事は、『人種差別』に関する記述や引用があります。筆者にはどなたかを貶める意図はないのですが、不勉強ゆえの配慮に欠けた記述などがありましたら、教えていただければ幸いです。)


夕食もとらずに深夜まで走り回って、腹ぺこの二人。
シャーロックは、この時間でも開いているおいしい店を知っている様子。

"End of Baker Street there's a good Chinese. Stays open till two.
You can tell a good Chinese by the bottom third of the door handle."
「ベーカー街のはずれに、おいしい中華の店があるんだ。2時までやってる。
いい中華料理屋は、ドアの取っ手の下3分の1を見ればわかる(拙訳)」



ここで、マイクロフトの姿を見つけたジョンに遮られるのですが、さて、どうしてドアの取っ手で良い店がわかるのか。

私は、こと"SHERLOCK"に関しては自分のペースで謎解きを楽しみたいタイプで、わからないことがあっても滅多にその語句でのネット検索はしません。一方、「たまたま目にしたり、ここのコメント欄やメールで教えていただくのはセーフ」という変な自分ルールがあるので、すごく時間が経ってから、書き込みで教えていただくこともしばしばだったりします。(『おへそ事件』や『バリツの免状』がそうでした…)

この件に関しても、「?」と思いつつ長いこと放置だったのですが、ある日突然気がつきました。
こういうことではないでしょうか。


1、おいしい中華料理店には、本場の人(中国人)がたくさんやってくる
2、アジア人は背が低い人が多い
3、ドアノブの下の方によく握られた形跡がある(擦れてピカピカになっている、手垢がついているなど)


これをプロフィール欄(という名の日記欄)に書いておいたところ、midoriさんからこんなメールをいただきました。

最近原典読み直してて、ふと目についた『ホームズの思い出』内の『株式仲買店員』冒頭。

メアリと結婚して開業したワトソンの居宅へホームズが来訪、ワトソンを誘って外に出た際、ワトソン宅と隣の医院を観察していたらしいホームズが、

『となりも医者だね』…中略…『じゃ君はいいほうを手に入れたわけだ』
『僕もそのつもりだがね。君はどういうところからそれがわかるんだい?』
『石段でさ。君の家のはとなりのより三インチもふかくえぐれているよ。…以下略…』

流行ってる中華料理店→流行ってる医者、
ドアノブの下3分の1→石段が3インチも…、
どうでしょう???



なるほど~!私の推理が合っているかどうかは別にして、midoriさんのこのご指摘には深く納得しました。
3分の1→3インチというのも芸が細かいですね!

midoriさんのおかげで、ホームズ≒シャーロックの考えそうなこと、という裏付けがひとつできたのですが、気になるのは、背が低いからと言ってドアハンドルの下の方を握るかしら?ということ。
ドアハンドルにも色々なタイプがありますが、この場合は縦に長い棒状のものでしょうか。
それにしても、3分の1は大げさですよね。もし、私の推測が当たっていたとしたら、これは、シャーロックの推理というよりも一種のブラックジョークなのでしょう。
私はこのブログの開設前に半年ほどSNSのアカウントを持っていたのですが、当時の私が知る限り、これと同じような「推理」は大っぴらに流れていませんでした。(この記事を書くにあたって検索してみたところ、質問サイトで同じように考えている方の回答にヒットしましたので、リンクを貼っておきます)

How can you tell a good Chinese restaurant by examining the bottom third of the door handle per Sherlock Holmes?

もっとも、SNSの世界は無数の小さなコミュニティーの連なりですよね。この「推理」が出なかったのは私の周りだけだったのかもしれません。おそらく、ぴんときていた方も、私がアジア人であることに気を遣って言及しないでいてくれたんじゃないかなあ、と思います。誰かに向かって「小さいね」と指摘することに悪意が伴うとは限りませんが、揶揄の意味がある場合も多いですからね。
今さらながら、その思いやりに感謝です。ていうか3年も気付かなくてすみません。

もともとイギリスはブラックジョーク好きの国だと思いますが、他の国の人にとってデリケートな問題をジョークのネタにしてしまい、国際問題になることもあります。BBCの番組で、広島と長崎で二度被爆した方を「世界一運の悪い男」と面白おかしく紹介して、日本大使から抗議を受けたのもまだ記憶に新しいです。
差別ジョークといえばまず思い出す人が、BBCの長寿番組「トップ・ギア」のホストの一人、ジェレミー・クラークソン。以下、「トップ・ギア」のホストたちがメキシコ人をジョークのネタにして、大使から抗議を受けた後の「謝罪文」の一部を引用します。「茶化す側の心理」をかなり本音で語っているんじゃないかと思います。

(前略)と言うわけでありまして、メキシコと国民のみなさまへ率直に謝罪する次第です。番組の一部で、怠け者で無気力と呼んでしまい本当に申し訳ありません。もちろん実際は違います。しかしながら質問もあります。みなさんは少しユーモアというのが欠けているのではありませんか。

 例を挙げましょう。もう何十年もフランス人たちは我々イギリス人を料理ができないとバカにしてきました。オーストラリア人は我々が風呂に入らず不潔だと言い、アメリカ人は我々の歯が腐った黄色い切り株のようだと言います。

 ほとんどのイタリア女性は大きな声で、イギリス人とベッドインするくらいならネズミと入ったほうがマシだとか、中には多分ネズミとあまり差はないとまで言われていますが、それらだってスコットランド人が言ってることよりはマシです。

 我々はこれらのどれも気にしません。なぜなら害のないものだからです。そして害がないからこそ、我々のほうもこきおろします。私がフランス人を傲慢だと言うときは、彼らが本当に傲慢で嫌いなので、全員とっとと死んで欲しいという意味ではないのです。私の本当の意味は、「彼らは傲慢だ、さぁビールでも飲もうか」と言いたいだけなのです。

アメリカのコメディアンが指摘していたように、イギリス人だけが友人を紹介するときに、「ビリーを知っているかい?こいつはちょっと最低なヤツなんだ」と言うのです。それが我々です。そして我々は自分たちのこともジョークにします。

(中略)

 もちろん無礼なユーモアはすべて禁止せよといった動きもイギリスでは出てくるでしょう。しかし人々がよくわかっていないのは無礼なしにはジョークは成り立ちません。(後略)

(以上、ニュースサイト『らばQ』の記事より引用させていただきました。
訳もらばQさんによるものです。引用元の記事はこちら→「メキシコを侮辱したとBBC放送が謝罪…でもイギリスらしく皮肉めいた文面だと話題に」



いっそ清々しいほどお前ら(イギリス人)基準の論理だな!とも思いますが、「無礼なしにはジョークは成り立たない」という主張にはちょっと納得しますし、ひょっとしたら彼(ら)のアイデンティティに関わる問題なんじゃないか、というほどの切実さを感じます…

何が笑いのネタにしてもいいことで、何がダメなのか。これは難しい問題だと思います。
ジェレミー・クラークソンの言うように、どういう文化が発言者の背景にあるか、によっても違ってくるし、「ネタにする」対象への、心理的な距離の差も大きいのでしょう。誰かにとっての悲劇が、違う誰かにとっては喜劇になる。誰かにとっての「当たり前」が、ほかの誰かにとっては からかいたくてたまらないことである。これはもう、人間が二人以上いたら起こり得ることです。

原作のホームズにも、差別的な言動をとった描写がある、と言われています。ジューン・トムスン著『ホームズとワトスン―友情の研究』によると、「三破風館」で黒人ボクサーのスティーヴ・ディキシーが家に殴りこんできた時、「お前の匂いがいやだから」と椅子を薦めなかったり、「ピストルを探しているのか」と言われて「なあに、香水のびんを探しているのさ」と言い返すくだり(←しつこい)などがそれにあたるそうです。「あいつの縮れ頭」などとくさしたりもしてます。
トムスンは、ホームズの嗅覚が人より鋭敏なことや以前からディキシーを殺人犯としてマークしていたことを指摘してすこし弁護する口調ですし、私の感覚ですとホームズはディキシー個人が嫌いでそう言ったのであって、差別ととらえてしまうことも差別的なのではないのかなあ、などと感じたりもしたのですが、だとしてもやはり面と向かって身体的特徴を馬鹿にするのはマナー違反ですよね。もしディキシーが日本人だったら、私もまず怒りや不快感を感じるのかもしれません。

その一方で「黄色い顔」では、妻がひた隠しにしていた黒人との混血児の連れ子が登場しますが、とてもさわやかな結末を迎えます。子供の父親も、立派な人物として描かれています。推理に失敗したホームズは、この結末から何かを学んだような描写がされます。

 ホームズと私たちは彼らの後について下へおり、表へ出た。するとホームズは歩きながら私の袖をひいて、
「ノーバリにいてももう用はなさそうだから、ロンドンへ帰ろうよ」
 ホームズはそれきり事件のことは少しも口に出さなかったが、その夜おそく、ろうそく片手に寝室に引込むというときになって、
「ワトスン君、これからさきもし僕が、自分の力を過信したり、事件にたいしてそれ相当の骨折りを惜しんだりするようなことがあったら、ひとこと僕の耳に、『ノーバリ』とささやいてくれたまえ。そうしてくれれば僕は非常にありがたい」



だいぶ時間が経ってからわざわざこんなことを言ったホームズは、ずっとこの事件について考えていたのでしょう。
これは私の想像ですが、彼が気にしていたのは、推理の上の失敗だけではなかったのではないでしょうか。自分には思いもよらなかった、妻の抱えていた真実と、依頼人自身による愛溢れる「解決」に、何か深く心打たれるものがあったのかもしれません。

たとえばホームズの時代には、同じ人種でも階級の低い相手を人間扱いしないような言動が普通に行われてますし(そういえばホームズも、『レディ』を救うために『メイド』を騙しておいて『仕方ない』って言い切ったときあったな!)、現代に生きる私も「まったく男ってやつは…」とか「これだからバブル世代は…」とか言ったり思ったりすることがあります。こうして人間をカテゴライズすることによって見えてくるものもあるのですが、誰かと、個人対個人として向き合うことをやめて、カテゴリーで括り上げて自分から切り離すことで思考停止してしまったとしたら、それを差別というのかもしれません。
一方で、そこで終わらずに考え続けるという選択もあります。ジェレミー・クラークソンは他国人を笑いのネタにするだけで終わらず、「そんな俺たち英国人」についても一応考えていますし、ホームズは、どういう思考を辿ったかはわかりませんが、この事件を忘れずに自らを戒める鍵にしたようです。(全然関係ありませんが、ワトスンはこの後何回ノーバリノーバリ言ったんでしょう)

さて、シャーロックに「お前ら小さい」と言われた件について(いや、言ったかどうかはっきりわからないですが)、そして「トップ・ギア」のジョークについて、私自身はどんな意見を持ったらいいか、まだ決めかねているのですが…(『トップ・ギア』の件は、『謝罪文』を探すために検索したらさまざまなニュースサイトで取り上げられていたのですが、反応は本当に千差万別ですね。らばQさんはかなり好意的でしたが)

自分と違う考えを持った人、自分と違う文化、理解できないこと、居心地の悪いことを切り捨てず、そういう人や物やことに対してどういう態度をとるか、自分の問題として受け止める。そして考える。そういうことをいちいちしている大人は案外少ないように思います。社会における自分の位置が定まってくるにつれて、理解できないことに疑問を持つよりも、理解できる世界だけに留まって、その枠からはみ出たものに関しては考えることをやめてしまうこと、反射的に「あの人は○○だから」と決め付けることのほうがラクになってきますから。
   
笑うにしても怒るにしても、口を慎むにしても悪し様に言うにしても、人の世界は、人が人を思うことでできているのかもしれません。自分ではない誰かについて「思う」こと、「考える」ことを(そういうことに伴う煩わしさも受け容れながら)きちんとすることは、必要なのではないかと思います。そこから出てきた結論が「良い」か「悪い」かは、本当に批判する側の立場次第なのですが、まず問題意識を持って「考える」人を私は尊敬したいです。

ホームズシリーズは、万能な名探偵が難事件を鮮やかに解決するだけのお話ではありません。ホームズ自身が何かを学んでいく物語でもあります。"SHERLOCK"もそうですよね。
そんな彼らから、読者や視聴者もまた学べるのかもしれません。

midori様、引用を快くお許しいただき、ありがとうございました!
更に、midoriさんのメールにはまだまだ、とても興味深いことが書かれていたのです。
テーマが変わるので、続きは次の記事で書かせていただきます。

(原作からの引用はすべて延原謙訳)
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砂糖二つ、ミルクなし

モリーに「コーヒーでもどうか」と誘われたのに、故意か天然か、「お茶汲みしてくれる」と受け取って好みを伝えるシャーロック。

"Black, two sugars, please."
「ミルクなし、砂糖二つで」



ジョンは"The Hounds of Baskerville"でシャーロックがいれてあげたコーヒーに顔をしかめて「砂糖はいらないのに…」と言ってたので、無糖派確定。
シャーロックはこの回でも砂糖を入れて飲んでたようなので、これが普段からのシャーロックの飲み方、と考えて良さそうなのですが、これって原作のホームズもそうだったっけ?とずーっと考えていたんです。

イギリス人は紅茶好きというイメージがありますが、先に普及したのはコーヒー。
1650年にオックスフォードに最初のコーヒーハウスができて以来、コーヒーハウスは男性たちの社交場の役割を果たし、世論を形成する重要な場ともなったとのこと。入場料1ペニー、コーヒー1杯1ペニーで最新の情報や議論に触れられたので、「ペニー大学」と呼ばれたそうです。ジャーナリズムの基盤ともなり、王立科学院も後のロイズ保険会社も、ここから生まれたというのだから驚きです。さらに、ここでの政治批判や議論が、議会政治の発達につながります。コーヒーハウスは、近代文化や民主主義の生みの親なのですね。

ただし、コーヒーハウスは女人禁制。初期は男性なら誰でも入れたコーヒーハウスですが、次第に閉鎖的になっていきます(コーヒーハウスに集った人々から、後の「クラブ」が生まれます。SHERLOCKにも「ディオゲネス・クラブ」が登場するので、後ほど詳述したいと思います)。
そういえば、(時代は後になるものの)原作のホームズはコーヒーを飲んでいる印象が強いです。「バスカヴィル家の犬」では、ポット2個分ひとりで空にしています。イギリスの紳士たちにとって、コーヒーは単なる飲み物ではなく、有識者の象徴と言うか、社会を動かしている証と言うか。ある種の選民意識の伴ったアイテムだったんでしょうね。
一方、ポルトガルからチャールズ2世に嫁いだキャサリン妃が中国茶や砂糖を持ち込んだことから、お茶のブームが起こります。その後「ティーパーティー文化」が宮廷に広まり、上流階級の女性たちからイギリスの家庭に普及していきます。コーヒーハウスの衰退と共に、紅茶の人気の方が上になるのですが、紅茶文化は、「男性と社会」を象徴していたコーヒーとは対照的に、女性によって家庭から広められていったのですね。そういえば、"A Scandal in Belgravia"の「宮廷でのお茶会」ではマイクロフトが

"I'll be mother."(私がお茶を注ぎましょう)


と言っていました。
オックスフォードの表現辞典によると、be mother=「お茶を注ぐ」。推測ですがこれは、イギリスでは母親がtea serverをやる、という伝統からきた表現なのではないでしょうか。もっと遡ると、ひょっとしたらこのお茶会の真のmotherでもある「あのお方」のご先祖に起源があるのかな。一見男だらけの「仕事の話」ですが、話題も女性のゴシップ絡みですし、お茶会自体が女性的なもの、と踏まえて観ると、この場面は面白いです。

シャーロックが「まるで子ども時代の再現だ」と頭を抱えていましたが、子どもだけでお茶を飲むnursery teaという習慣もあるそうです。果たして男の子同士でこれをやるものかはわからないんですが、参考にさせていただいた資料によると、子どもたちは競ってmother役をやりたがるそうですよ。
ただでさえ仕切りたがりなのに、7歳も年上となると、子ども時代のシャーロック、兄にはとても敵わなかったんでしょうねえ。お茶以外でも…

誰もが歴史の教科書で勉強した「東インド会社」や「ボストン茶会事件」も絡んできて、コーヒーと紅茶の歴史はすごく面白いのですが、だいぶ脱線したのでこの辺にしておきます。
参考にさせていただいたサイトや論文をリンクしますので、ご興味のある方はご訪問ください。

UCC上島珈琲>コーヒーの基礎知識>コーヒーの歴史

「イギリスにおける紅茶文化」京都産業大学文化学部 国際文化学科 成本 真央

(英国文化史を調べてるとよくヒットする、京都産業大学の学生さんたちの論文にはしょっちゅうお世話になってます…)

さて、リンク先のUCCの年表によると、初めてコーヒーに砂糖が入れられたのは1625年。ミルクが入れられるようになったのは、1660年頃。ホームズがどちらを入れたとしても、おかしくないですね。
ブラック派という可能性もありますが、以下の記述から、どちらかを入れていたのではないかと思ったんです。

ベーカー街へ帰って風呂にはいり、衣服をとりかえると、私は急にひどく元気づいた。下の部屋に降りてみると、もう食事の用意ができていて、ホームズはコーヒーを注いでいた。
(中略)「たいへんなことになったもんだね」ホームズはコーヒーをかきまぜながらいった。「君はどう思う?」(四つの署名)


上記の一文を見つけたときは「やった!」と思ったものですが、原文をあたると「かきまぜた」という表現はないんですよね。

“Isn’t it gorgeous!” said Holmes, grinning over his coffee cup. “What do you think of it?”


もっとも、当時のイギリスのコーヒーは今のようなドリップ式ではなく豆を煮出して淹れていたそうなので、掻き混ぜていたとしても、豆かすなどを除いていた、という可能性もあるかも。
ホームズ自らコーヒーを注いでいるのは、"The Blind Banker"でジョンに、"The Reichenbach Fall"でジムにお茶を淹れてあげる場面とつながっていますね(バスカヴィルのアレはともかく)。

ところで、シャーロックがコーヒーに砂糖を入れるのは、彼の「食事」に対する考えに関連している気がします。

「仕事中は食べないんだ、消化が脳の働きを妨げるから(拙訳)」 



これは、原作のホームズも言っていたセリフです。(関連記事:『バーツの食堂で』)

シャーロックは、脳をハードディスクやエンジンに例えるなど、自分の体を機械のように考えて、仕事用に「最適化」しようとします。仕事中は、食事すら「楽しみ」ではなく「最適化の一環」に位置づけているのでしょう。砂糖を入れるのは、甘味が欲しいというよりは、脳を効率よく働かせるためかもしれません。
でも「単なる甘党なんじゃないか」と想像するのも、それはそれで可愛くていい!と思います。

謙遜は美徳?

"You're too modest, Mr Holmes."
「あなたは謙虚すぎますよ、ホームズさん」
"I'm really not."
「そんなことはない」 (拙訳)


一視聴者としても、全力を振り絞って「そんなことない」と言わせていただきたいですが(たぶん同居人も)、原作でも「謙遜」についての会話がワトスンとの間で交わされますね。

原作では、マイクロフトの存在はホームズとワトスンの他愛ない雑談の中で明かされます。
「ギリシャ語通訳」の冒頭で、「才能は遺伝によるものか環境によるものか」という話題で盛り上がる二人。その中で、ワトスンは「君の推理の才能は少年期からの訓練によるもの」と指摘しますが、ホームズはそれを認めながらも、遺伝によるものもあると思う、と言います。

「だって僕の兄弟のマイクロフトなんか、僕より多くその特性を持っているもの」



初めて兄の存在を知ったワトスンが、ホームズが謙遜して自分より兄弟の方が優れていると言っているのではないか、と聞くと、ホームズがこう答えます。

「ワトスン君、僕は謙遜を美徳の一つに数える人には同意できないね。論理家は、すべての物事をあるがままに見なければならない。自分の価値を法外にひくく見積るのは、自分の力を誇張するのとおなじに、はなはだ事実に即さない。だから僕がマイクロフトは僕よりも優れた観察力をもっているといったら、まったくのところそれが正真正銘の事実だと思ってくれていい」



状況が状況でなかったら、「そんなことはない」の後にこれだけの長広舌が続いていたのかと思うと、状況が状況でよかったです。多分ホープも若干うんざりです。(いや、むしろ意気投合するか?)
現代版では今のところ、マイクロフトの「探偵としての能力」は、それほど前面に押し出されていません。
しかし、ジョンの外泊中のできごとをシャーロックより細かく当てたこともありますし(関連記事:『ソッファ~♪』)、同じ場面で弟に「なぜ自分で調査しないんだ」と聞かれています。これは兄の力を認めていなければ出てこない発言だと思いますので、おそらくシャーロックと同等か、それ以上の観察力・推理力があるのでしょうね。

それにしても、原作のホームズは、ワトスンが「それ謙遜?」と思う程度には日頃から謙遜してるんでしょうか。
ニュアンスをどれほど理解できているかわからないのですが、原作ではこんな会話もあります。

「君は人類にとって恩人だよ」
ホームズは肩をすくめた。「うん、なァに、その、ほんの少しは役にたっているかねぇ。L’homme c’est rien–l’oeuvre c’est tout(人はむなしく、業績こそすべてだ)とギュスターヴ・フローベールもジョルジュ・サンドに書き送っているようにね」(赤髪組合)



「謙遜」というよりは、いつものごとくワトスンの表現が大げさなので、修正しようとしたという感じもありますね。(この時は活動期から停滞期に入る手前で元気が無いので、ワトスンの文章を責めた時のような攻撃的な印象はありませんが)
シャーロックも今のところ、謙遜とは縁がないように思えます。上記の「そんなことはない」だって、謙虚じゃないから謙虚じゃないと言ったまでのことですし。

ところで、自分の推理を披露せずにいられないシャーロックはよく"show off"(見せびらかし、自己顕示)だと非難されます。
ジムにはこの特性を弱みとして利用されてしまいます。本人曰く、「水道みたいに出したり止めたりできるものじゃない」。ということは、自分の力を見せ付けるために意図的に言っているわけではないのですね。
原作でも、ホームズが依頼人を見たとたんにその人の職業や出身地などを当ててみせることがよくありますが、これは依頼人を驚かせ、能力を信頼させるためのひとつのテクニックと解釈していました。どうやらシャーロックの場合はそうではないようです。口から勝手に出てしまって、自分でコントロールできないのかもしれません。
第2シリーズの2話では、ジョンがシャーロックの言動について「アスペルガー」と表現します。

全ての人がそうであるように、ホームズにも彼の「特性」がたくさんあります。観察力、記憶力、分析能力が非常に優れている、一つの物事に寝食を忘れるほど集中する、恋愛など「思考の邪魔になる」干渉を好まない、精力的な時期と怠惰な時期を繰り返す、嫌いな人には失礼な態度をとる、部屋の整頓は苦手だが服装は常にきちんとしている…
現代版は原作の人物像のひとつの「解釈」ですので、やや大げさに描写されている面や、変更されている面もありますが、基本的にはホームズの特性を現代の「診断法」で捉え直していますね。
時代によっては、「個性」のひとつだったものが「病理」として捉えられたりもする。
「犯罪」だったことが「合法」になったり、その逆もある。("SHERLOCK"でいうと、『同性愛』が前者で『麻薬』が後者ですね)
「現代版」の面白さはそんなところにもありますよね。登場人物たちの性格は、現代の社会にこういう性格の人が生きていたら、周りの人にこんな反応をされ、こんな風に成長して…というシミュレーションのもとに設定されているのかもしれません。"The Blind Banker"に出てきた、シャーロックの学友セバスチャンの話からも、原作では明言されていなかった「皆に嫌われていた」という表現が出てきますね。

物語の導入部でホームズが誰かの細部を観察して「名推理」を見せるのは、原作になくてはならないシーンですが、初めてなら「すごい!」と感動しても、あまり何度も見ると「またやってるよ…」という印象は確かにあります。ましてや、シャーロッキアンならいくつもの映像化作品やパスティーシュを見てきているわけですから、「また見せびらかしてる」という感じは強いのかも。そういう作り手の思いも反映しているのかもしれませんね。

(原作からの引用はすべて延原謙訳)

レストレードは知っている?

時々、このブログを読んで下さった方とメールでお話させていただくことがあります。
SHERLOCKに関係ある、なしに関わらずとても嬉しく、楽しくやりとりさせていただいているのですが、そこで思いもよらなかったような「元ネタ」を教えていただき、ぜひにとお願いして記事にとりあげさせていただいたことが何度かありました。
今回もそんな記事です。星宿さんのメールで教えていただいたものです。

「犯人は2人」に出てきたワトスンの容貌の話をしていたのですが、そのお返事にこんな一節がありました。

>スタディ・イン・ピンクの最後の方のレストレイド警部とシャーロックの会話シーンに似ている気がしました。
>どちらも、本当は判っているんだけど気付いてないふうに装うレストレイド?みたい。


星宿さんがおっしゃっているのは、「犯人は二人」で、ある目的のため「恐喝王」ミルヴァートンの家に忍び込んだ(つまり、不法侵入ですね)ホームズとワトスンをレストレードが訪ねてくる場面です。次に引用します。

この大活躍の翌朝、質素な居間で食後のパイプを楽しんでいるところへ、警視庁のレストレード君がひどくむずかしい顔をしてやってきた。
「ホームズさん、お早う。ワトスンさん、お早う。たいへんお忙しいですか?」
「お話をうかがっていられないほどじゃありませんよ」
「昨晩ハムステッドで大きな事件がありましてね。とくにお忙しいのでなかったら、ご協力ねがいたいと思ってうかがったのです」
「ふむ、ハムステッドでね。どんな事件ですか?」
「殺しです。(中略)そして金めのものは何一つ紛失していないことからみても、犯人たちは相当の地位ある人物で、秘密の暴露を防止するだけが目的じゃないかと思うのです」
「犯人たちというと、一人じゃないのですね?」
「犯人は二人でした。もうひと息で現行犯を押さえられるところだったのです。でも足跡や人相はわかっています。九分どおりそのほうから逮捕できるとは思いますが、一人はなかなか敏捷なやつでしたけれど、もう一人のほうは庭師の手つだいがいったん捕えたのに、格闘になって逃げられてしまいました。こいつは中背ながらがっしりした体格で、顎がはって首がふとく、髭があってマスクをつけていました」
「それだけではつかみどころがありませんね。そう、ワトスン君のようなやつだともいえますね」
「ほんとにね」警部はひどく面白がって、「まったくワトスンさんそっくりですね」



そして、"A Study in Pink"でのシャーロックとレストレードの会話。

「弾丸は小銃から窓を突き抜けている。あの距離からだ。射撃の名手。」
「ただの狙撃屋ではない、戦士だ。全く手が震えていなかった、戦闘に慣れているのは明らかだ」
「僕が本当に危なくなるまで撃たなかった。堅い道徳規範の持ち主。おそらく軍務の経験がある男だ、そして、鋼の神経…」

ここで、シャーロックは狙撃したのがジョンだということに気づきます。急にそわそわして「今の話は忘れてくれ」と言い出し、ジョンに駆け寄ろうとするシャーロックをレストレードは不審げに見ていますが、やがて

「わかった、尋問は明日だ。行け」とシャーロックを促し、なんともいい笑顔で二人のいる方向を見やります。

話題に上っている「犯人」がワトスン(ジョン)であるということ、そしてその「人物像」がレストレードやシャーロックの言葉でだんだん浮かび上がってくる描写が「ぜんぜん違うけど、根っこのほうで酷似している気がする」と星宿さんは指摘なさいます。

そして、その「人物像」へのホームズ(シャーロック)の反応。
ホームズはこんな感じ。

「せっかくですが、レストレードさん、これはお手つだいできませんね。というのは、このミルヴァートンという男を私は知っているのです。あれはロンドンでも有数の危険人物の一人でしたし、この世には法律でどうにもならない犯罪というものがあります―ということは、個人の復讐というものも、ある程度みとめねばならないと思うからです。(後略)」


一方シャーロックは
「ええと、そうだな、忘れてくれ」「全て無視してくれ」「ただの…あー、ショックによるたわごとだ」
と、しどろもどろ。もっとも、実質「首謀者」で心の準備ができていたホームズと、ジョンの行為に気づいたばかりのシャーロックを比べるのは酷かもしれません。ミルヴァートンに対するホームズの気持ちは、ジョンの台詞に反映されています。

「大丈夫か?」
「もちろん大丈夫だ」
「でも、人を一人殺したばかりだ」

「ああ…その通りだ。否定はしない。でもすごくいい奴じゃなかった」


ここでジョンは、自らの道徳規範を語ったり、「君のためにそうせざるを得なかったんだ」というような弁明はしません。そっけない台詞ではありますが、言っている内容はホームズと同じではないでしょうか。

このジョンの行動は、ワトスンの姿も受け継いでいます。
ミルヴァートン宅への侵入をホームズが決意した時の、ホームズとワトスンの会話。

「(前略)この手段が法的には許されないにしても、道義的に正しいのは君も認めてくれると思う。ミルヴァートンの家に押し入るのは、例の手帳を力づくで取りあげる為だ―そのためには、君もいすを振り上げて僕に力を貸そうとしてくれたじゃないか」
「そうさ」そういわれて私もちょっと言葉につまったが、「不正な手段に使おうとしているものだけが目的であるかぎり、道義的には正しいといえる」


「(前略)僕は自尊心と名声にかけても、かならず仕とめるまで闘ってみせるよ」
「どうも気がすすまないけれど、やるしかなかろうね。いつ出かける?」
「君は来なくてもいいよ」
「そんなら君も行かせないよ。僕は断じていうが、今晩の冒険に僕をつれていかないというなら、まっすぐに警察に馬車を乗りつけて、君のことを訴えてやる。決しておどかしなんかじゃないよ」
「君は行っても用がないのだよ」
「どうしてそんなことがわかる?何が起こるかしれないじゃないか。いずれにしても決心はできているんだ。自尊心は君の専売じゃないよ。名声だってそうだ」


ホームズの身が危ないとなると、いすを振り上げて相手を攻撃しようとするワトスン。
相手の家に不法侵入して書類を破棄するという危険な犯罪行為に、迷わず加わろうとするワトスン。
「君は行っても用がない」と言うホームズに(もっと危険が少ないケースでは常にワトスンの同行を望むので、これは明らかにワトスンの身を案じての『嘘』です)自らの強い意志を見せるワトスン。

原作では「道義」「自尊心」「名声」を持ち出して、現代版では「ひどい運転手だった」などという冗談に紛らせてと、それぞれの時代らしい伝え方をしていますが、ワトスン(ジョン)の本心はただひとつ「君を破滅させるくらいなら、自分が犯罪者になったほうがいい」ということではないでしょうか。

って、いつの間にかジョンの話になってますけど(星宿さんすみません!)今回はレストレードでした。
果たして、レストレードは「犯人」のひとりがワトスンであることに気づいていたのでしょうか?
ここで、星宿さんの見解を引用させていただきます。

>ただ単純に、犯人の容貌を話しているうちにワトスンに似ているから笑ってしまったともとれるし、警部自身、取り逃がされた男がワトスンだとなんとなく判っていてミルヴァートンは悪いヤツで殺されても仕方なかったし、彼が抹殺されたことで助かる人が大勢いる筈だから、このまま証拠不十分でお蔵入りにしてしまおう、と思いながらカッコ良く諦めて笑っているようにも読めてしまったのです。

星宿さんの分析は、現代版のレストレードのジョンに対する思いにもそのまま当てはまるのではないかと思います。皆さんはどう思われるでしょうか?

私なりの考えを述べさせていただくと、原作のレストレードも、現代版レストレードも、十分なヒントを得ているんですよね。

原作のレストレードは、ワトスンの人相や足跡から調べていけば「九分どおり」犯人が見つかるという確信を得ています。ホームズはああ言いましたが、「ブルドッグのように粘り強い」(関連記事:『レストレードについて』)彼なら、捜査を進めさえすれば、自らの言葉通りワトスンにたどり着くのではないでしょうか。それを引っ込めたのは、星宿さんの仰るように事情を察してあえて「かっこよく諦めた」からかもしれません。

現代版レストレードは、シャーロックの「推理」を聞いています。該当する人物がジョンであるという結論に辿りつくのは難しいことではないはず。状況から見ても、シャーロックの居場所を連絡してきて、なおかつ先に現場にいたジョンは「容疑者」になり得るにも関わらず、全く追及しなかったのはやはり「見逃した」のだと思います。
(ジョンの指にはシャーロックが指摘した「火薬やけど」が残っているので、ちょっとでも突っ込まれたら危なかったんですよね。マイクロフトはしっかり見ていると思いますが…)

「犯人は二人」の翌月には、「六つのナポレオン」が発表されています。共に、発生年の明記されていない事件ではありますが、「六つのナポレオン」冒頭ではレストレードが221Bに遊びにきて、ホームズやワトスンと仲良く会話する様子が描かれます。

現代版のレストレードも、221Bのクリスマスパーティーに顔を出したり、やむなくシャーロック逮捕の運びになったことを事前に教えてくれたり、シャーロックやジョンと「仕事の枠を超えた友達になっている」と言っていいと思います。
シャーロックとレストレードの、面倒見のよい兄と素直でない弟のような独特の関係は相変わらずですが、ジョンとレストレードはぐっと仲良くなった模様。シャーロックが知らないうちに、いつの間にか「グレッグ」「ジョン」と呼び合うようになっています。

職務に情熱を燃やすレストレードにも、警察官として遵守すべき「法律」とは別に、彼自身の正義感や、人間の命に対する思いがあって、ひとりの人間としての判断でジョンやワトスンを「守った」のではないかしら。その行動のおおもとには、シャーロックやホームズを「守ろう」としたジョンやワトスンへの共感があったのだと思います。だからこそ、その後「仕事仲間」ではなく「友人」として仲良くなったのではないでしょうか。今のところはそんな風に考えています。

(原作の引用部分は延原謙訳、現代版の台詞の引用部分は拙訳)

ジョンの肘掛け椅子

ジョンが221bを初めて訪れた時、迷わずにひとつの肘掛け椅子を選んで腰を下ろします。
彼はこの時脚の調子がよくなかったので、何げない動作に見えるのですが、原作ファンにとっては感動の一瞬なんです。

この「ワトスンの肘掛け椅子」は原作にもありました。



…と、偉そうに言っておいて、wikiのワトスンのページにも使われている、一番よく見る挿絵を引用してみて愕然。
肘掛け、ついてない!

画像検索をかけてみると、ホームズが肘掛け椅子に座っている絵はいっぱい出てくるのですが、ワトスンは立っているか、簡易な椅子に掛けてる絵が多いですね。ひとつの画面に肘掛け椅子ふたつはさすがにうるさいから?

"SHERLOCK"の221Bでは、ジョンがどっかり腰掛けて、シャーロックが立ってうろうろしてる構図の方が多い印象があるのですが、これはシャーロックに落ち着きがないから、いや、若々しいからでしょうか…

のっけから怪しくなってきましたが、「ワトスンの椅子」はあるんですよ!本当に!
証人はほかならぬホームズです!

ライヘンバッハの滝で失踪して3年目、不意にワトスンの医院に現れたホームズが、それまでの経緯を語る長い長い台詞の最後のパラグラフ。

「(前略)ロンドンに着くと、まずベーカー街の旧居に自身乗りこんで、おかみさんのハドスン夫人を気絶せんばかりに驚かしてしまった。旧居は兄のマイクロフトの骨折りで、書類などもそっくりそのまま、以前の通りに保存されていた。というわけで、きょうの午後二時には、昔なつかしいあの部屋の坐りなれた肘掛いすに僕は納まったわけだが、親友ワトスン君が昔どおり、おなじみのいすに掛けていないのだけが物足りなかった」(『空家の冒険』)



「というわけで、」以下の文は、延原先生の素朴でしみじみとした語り口もいいんですが、原文もいいんです。
adornは「彩を添える」とか「飾る」、「魅力的にする」という感じで、もうひとつの椅子にワトスンがいないとあの部屋の景色が完成しないんだ、というホームズの気持ちが、和訳とはまた違ったかたちで伝わってきますよね。だからこそ、ジョンがあの椅子に「納まった」瞬間にはちょっとした感動があります。

So it was, my dear Watson, that at two o’clock to-day I found myself in my old armchair in my own old room, and only wishing that I could have seen my old friend Watson in the other chair which he has so often adorned.”



感動したのはいいんですが、まだ「肘掛け」問題は解決しておりません。
原作のワトスンとホームズはずっと一緒に暮らしていたわけではなくて、何度か疎遠になっている時期があり、その都度「再会」があります。まず、ワトスンがメアリ・モースタン嬢と結婚して221Bを出たあと、ホームズとの交流が復活するまでしばらく間があります。(その間にワトスンは医院を開業して経営を軌道に乗せているので、結構長いブランクだと思われます。)二人の「再会」は「ボヘミアの醜聞」で描かれます。次に、「最後の事件」から二年余りのホームズの失踪。いわゆる「大空白時代」ですね。再会は上記の「空家の冒険」です。
その後また221Bで同居を始めますが、ホームズが探偵をやめてサセックスに引っ越すよりも前に、ワトスンは221Bを出ています。理由は、再婚という説が有力なようですが、メアリの時のように妻が描かれることはありません。何があったかわかりませんが、またここで二人の間にすこし距離が置かれ、ワトスンが久しぶりに訪ねてくる場面が「マザリンの宝石」にあります。「よく道を忘れずに来てくれた」とワトスンを迎えるホームズ。(ちなみに原文は"it is good to see you in your old quarters once again." ワトスンが出て行ったことにもなかなか訪ねてこないことにも不満なホームズの皮肉を汲み取った、名訳だと思います…)

「(前略)アルコールやってもいいのかい?ガソジンも葉巻も昔と同じところにある。まあ昔よく掛けたひじ掛け椅子に納まってみせてくれたまえ。僕はあいかわらずパイプで哀れなタバコをやっているが、いやになってやしないだろうね?(後略)」



やはり、「おなじみの椅子」は肘掛け椅子(the customary armchair)だったようです。
隠退直前の事件の話、「這う男」には、「ひじ掛け椅子におさまってひざを立て」たホームズが、「片手をあげてなつかしい私のひじかけ椅子のほうに振った」という描写があるので、ホームズ、ワトスンそれぞれに肘掛け椅子があるようですね。
こちらの挿絵には両方の椅子に肘掛けがついています。


ホームズは自分の椅子を懐かしい、慕わしい場所と感じていて、もうひとつの椅子にはワトスンが座っていて欲しいのですね。一方、「這う男」でワトスンは「ホームズは自分に話しかけながら思索を進めるのが好きだけれど、大部分はベッドに向かって話しかけているようなもの」というようなことを言っています。

「そこにいて欲しい」という思いは、友情とか感傷とか、美しい言葉だけで語れるものではないのかもしれません。ホームズの支配者的な資質に起因しているかもしれないし、「同じ場所にあるべきものがないと落ち着かない」という、神経症的な理由があるのかもしれないですよね。それに対するワトスンの苛立ちとか、二人の間の倦怠感とか、離れたい衝動とか、二人の友人の歴史にはそういう負の要素も含まれていたのだと思います。
でも、たとえ相手を疎ましく思っている時や、忘れている時でも、それぞれの居場所はお互いの心にいつもあって、ホームズにとってのワトスンの居場所の象徴が、この椅子だったのでしょうね。
今はどこでどうしているのかわからないシャーロックも、あの肘掛け椅子にジョンが座っている光景を思い浮かべることがあるのでしょうか。

(原作の引用はすべて延原謙訳)
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Author:ナツミ
シャーロック・ホームズが好きです。どちらかというとワトスン君がより好きです。

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